ぽんきちさん
レビュアー:
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「わからない」ことの怖さ
小松左京の自選恐怖小説集。
小松と言えば昭和のSFを牽引した1人。ではSFと恐怖小説の接点とは何かというところだが、著者自身による「あとがき」に、「近代SFはそのスタートのときから、伝統的なホラーをモダンホラーに仕立て上げるというひとつの伝統を持って」いたとある。なるほど、そうした側面はあったのかもしれない。
本書収録は全15編。
そこここで、どことなくSF的な印象を受ける。特にSFを思わせるのは、「影が重なる時」「召集令状」「蟻の園」「骨」あたりだろうか。
冒頭の「すぐそこ」は、<近くて遠きは田舎の道>といった話に、安部公房の「砂の女」を思い出させる不条理も滲ませている。
古代史や神話・異文化に材を取った作品群では、著者の博学ぶりも窺わせる。「秘密(タブ)」はポリネシア民話。「悪霊」は日本古代史の中で非業の死を遂げた人々から土蜘蛛まで。「黄色い泉」は古事記を下敷きにしているがなかなか大胆な翻案。ただ、知識が先走りして、特に「黄色い泉」についてはちょっと説明がくどいように思う。
表題作「霧が晴れた時」は、15ページほどだが、読み心地としてはショートショートのような切れ味。これを表題作に選んだのは、著者自身が気に入っていたということだろう。
「伝統的ホラーをモダンホラーに」という路線に最も近いのは「まめつま」「くだんのはは」だろうか。ただし、ベースの話はどちらも、著者が例に挙げている小泉八雲の「むじな」ほど古くなく、どちらかというと都市伝説に近いようなものではないかと思う。
著者自身、書きながら恐怖を感じた作品が3つ、あとがきに挙げられているが、見事に自分が怖いと思ったものとは、ずれていた。
個人的には「まめつま」に一番ぎょっとした。怖さとしては、暗がりでわっと脅かされる怖さに近いような気がするが。
全般として、SF寄りのものも、サイエンスが全面に出ているのではなく、情念で押してきている印象を受ける。ある種、荒唐無稽な設定もあるのだが、どこか「知性」を感じさせるのは著者の持ち味だろう。
何事かの怪異が起こる。えてして、その背後にあるのは何者かの執念や怨念であり、詰まるところなぜそうなるのかの原因は「わからない」。そのことがもたらす恐怖が取り上げられている作品群のように思う。
恐怖小説集であるので、著者のSFはまた違う傾向なのかもしれない。遠い昔に「日本沈没」を読んだきりなので、そのあたりは何とも言えない。
ところで、個人的にはSFもホラーもあまり得意分野ではないのだが、なぜこれを手に取ったかと言えば、「くだんのはは」が収録されているためである。
本作の初出は1968年。この時代、「くだんのはは」といえば、戦死兵士の母である「九段の母」を思い浮かべる人が多かっただろう(靖国神社が九段にあるため)。だがこの「くだん」はある種の妖怪である。19世紀中頃から各地で言い伝えられるようになったもので、小松の作品でさらによく知られるようになったようである。但し、著者がタイトルをわざわざ平仮名表記にしているのは、「九段の母」をダブルミーニングで重ねているのかもしれず、戦争批判の意図はおそらくあるのだろう(戦争批判という面では「召集令状」の方がその色が強いかもしれない)。
「くだんのはは」は、著者のホラーの中では名作とされ、確かに美しい中に、噛み締めるとじわりと怖さが広がる。
別の著者らの作品で「くだん」を扱ったものがあり、この妖怪に少々興味があった。「くだん」については機会があれば別の本で追ってみたいと思う。
小松と言えば昭和のSFを牽引した1人。ではSFと恐怖小説の接点とは何かというところだが、著者自身による「あとがき」に、「近代SFはそのスタートのときから、伝統的なホラーをモダンホラーに仕立て上げるというひとつの伝統を持って」いたとある。なるほど、そうした側面はあったのかもしれない。
本書収録は全15編。
そこここで、どことなくSF的な印象を受ける。特にSFを思わせるのは、「影が重なる時」「召集令状」「蟻の園」「骨」あたりだろうか。
冒頭の「すぐそこ」は、<近くて遠きは田舎の道>といった話に、安部公房の「砂の女」を思い出させる不条理も滲ませている。
古代史や神話・異文化に材を取った作品群では、著者の博学ぶりも窺わせる。「秘密(タブ)」はポリネシア民話。「悪霊」は日本古代史の中で非業の死を遂げた人々から土蜘蛛まで。「黄色い泉」は古事記を下敷きにしているがなかなか大胆な翻案。ただ、知識が先走りして、特に「黄色い泉」についてはちょっと説明がくどいように思う。
表題作「霧が晴れた時」は、15ページほどだが、読み心地としてはショートショートのような切れ味。これを表題作に選んだのは、著者自身が気に入っていたということだろう。
「伝統的ホラーをモダンホラーに」という路線に最も近いのは「まめつま」「くだんのはは」だろうか。ただし、ベースの話はどちらも、著者が例に挙げている小泉八雲の「むじな」ほど古くなく、どちらかというと都市伝説に近いようなものではないかと思う。
著者自身、書きながら恐怖を感じた作品が3つ、あとがきに挙げられているが、見事に自分が怖いと思ったものとは、ずれていた。
個人的には「まめつま」に一番ぎょっとした。怖さとしては、暗がりでわっと脅かされる怖さに近いような気がするが。
全般として、SF寄りのものも、サイエンスが全面に出ているのではなく、情念で押してきている印象を受ける。ある種、荒唐無稽な設定もあるのだが、どこか「知性」を感じさせるのは著者の持ち味だろう。
何事かの怪異が起こる。えてして、その背後にあるのは何者かの執念や怨念であり、詰まるところなぜそうなるのかの原因は「わからない」。そのことがもたらす恐怖が取り上げられている作品群のように思う。
恐怖小説集であるので、著者のSFはまた違う傾向なのかもしれない。遠い昔に「日本沈没」を読んだきりなので、そのあたりは何とも言えない。
ところで、個人的にはSFもホラーもあまり得意分野ではないのだが、なぜこれを手に取ったかと言えば、「くだんのはは」が収録されているためである。
本作の初出は1968年。この時代、「くだんのはは」といえば、戦死兵士の母である「九段の母」を思い浮かべる人が多かっただろう(靖国神社が九段にあるため)。だがこの「くだん」はある種の妖怪である。19世紀中頃から各地で言い伝えられるようになったもので、小松の作品でさらによく知られるようになったようである。但し、著者がタイトルをわざわざ平仮名表記にしているのは、「九段の母」をダブルミーニングで重ねているのかもしれず、戦争批判の意図はおそらくあるのだろう(戦争批判という面では「召集令状」の方がその色が強いかもしれない)。
「くだんのはは」は、著者のホラーの中では名作とされ、確かに美しい中に、噛み締めるとじわりと怖さが広がる。
別の著者らの作品で「くだん」を扱ったものがあり、この妖怪に少々興味があった。「くだん」については機会があれば別の本で追ってみたいと思う。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。現在、中雛、多分♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:KADOKAWA
- ページ数:419
- ISBN:9784041308639
- 発売日:1993年07月01日
- 価格:700円
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