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ウロボロス
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辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作です。
本書は、辺境・辺地で生きた無もなき庶民の生活史・誌である。その人々の生涯が読むものの心をうごかすのは、今は、貧しいけれど、額に汗して働けばいつかは必ず報われると信じて生きたかつての日本人の庶民の喜びと哀感が、どの頁にも溢れているからだろう。しかもその哀切と喜びが男女の性愛のこのうえもない原初的なまがうことのないミステリアスな秘匿に溢れ、汲めども尽きぬ歓喜とともに語られているからだろう。
 
特に興味を惹かれたのが何といっても『土佐源氏』の章です。この物語の主人公は、父無し子の非嫡出子として生まれ、馬喰の親方のもとで修行しながらその極意を修得してゆく。
《わしは家から三里ばかり離れた所在のばくろうの家へ奉公にいった。仕事は百姓家へ替える牛を追うてあるくことじゃった。あっちの牛をこっちにやり、こっちの牛をあっちへやる。》

さらに牛への愛情と同等のまなざしと優しさで人間の女にもせっしてきた。

《わしわなぁ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちゅうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、あうと必ず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけは嘘がつけだった。女も同じでかまいはしたがだましはしなかった。》
これを読めばなぜこの章のタイトルが土佐源氏となっているか?合点がいくはずです。(笑)。

また、江戸末期から明治の時代の農家における家父長制の記述にも興味をそそられた。
江戸後期の百姓の次男三男は大工、木挽、石工、水夫などをし、他郷へ稼ぎにでるものが大勢いた。彼らは字の読み書きもできないので組織の決まり事を丸暗記していたという。そんな彼らが世間師として戦争に赴き騎兵隊や振武隊へ入隊したのである。
そして落書きが彼らのレジスタンスであるという記述に驚いた。そうした文字遊びコトバ遊びの例として以下の文章を紹介する。  

「いくさが⑧か、それとも⑧か、どうせ⑧であろう、そんなら⑧か」これは、こう読むそうである。「いくさが 'はじまる' か。それとも 'やまる' か。どうせ 'やまる' であろう。そんなら 'まるはじ' か」

ヨイショコショ節もここに一つ紹介します。

「関(下関)のヨイショコショは、前田の沖でうまくやけます薩摩芋」これは下関の前田の沖で薩摩の軍艦を砲撃したときの唄でした。

前近代から近代へのとば口のなかで農作業や戦禍の貧困の渦中にありながらも彼ら、彼女らは懸命に生き、貧苦のなかで唄い、踊った。

最後の章で語られる文字の読み書きができるものとできないものとの愛情溢れる怜悧な分析は
慧眼にして深いところにまでとどいている。

解説の網野善彦氏が紹介している宮本常一さんの以下の言葉をおいて終わりとします。

《私は長い間歩きつづけてきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というものは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う》
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ウロボロス
ウロボロス さん本が好き!1級(書評数:275 件)

これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。

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