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郷土作家シリーズ② プロレタリア文学って、えっと……
村田喜代子『八つの小鍋』以来となる、ひさしぶりの郷土作家シリーズ。手にとったのは『戦旗』派の小林多喜二とともに、『文芸戦線』派としてプロレタリア文学運動を牽引した、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』である。本書には、表題作を含めて計8編の短編が収められているが、ここで特記したいのは『淫売婦』と『死屍を食う男』の2篇である。
『淫売婦』は、帰港地に戻った船乗りの主人公が、三人連れのグループに半ば強引にお金を巻き上げられ、ある一室に連れられていくところから話が展開する。部屋には、全裸の女が凄惨な姿をさらして横たわっており、その姿をみとめた彼は、戦慄をおぼえその場に立ちすくんでしまう。のちに物語の中核は、女をめぐる、欲望と良心の間で揺らぐ主人公の心理を中心に、男たちの素性が明らかになる結末部へと流れ込んでゆく。
本書のなかでも飛び抜けておもしろかったのが、この『淫売婦』だった。巻末の解説によれば、それまで志賀直哉の影響下にあった葉山の、プロレタリア文学へすすむ転機となった画期的な作品として世に知られており、当時は小林多喜二、広津和郎、宇野浩二が賛辞を寄せ、大きな驚きをもって迎えられたという。また獄中で執筆され、巻頭に刑務所長への感謝の辞が設けられているところに凄味さえ感じる。
注目したいのは、主人公が全裸の女性のすがたを目に留めたシーンである。その描き方が何というか、江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作にも通じるような怪奇風のトーンが滲み出てくるのだ。色がついているのである。「あれっ、プロレタリア文学って怪奇小説なの?」などと疑念を挟んでいると、予感は確信にかわった。それがよく現れている作品がある。
『死屍を食う男』は、中学の寄宿舎にて夜な夜なひとりの学生が外出する事の真相を、いっぽうの学生が探りあてる顛末を焦点にしたもので、資本家の搾取と労働者の実態が展開される本書のなかでも、殊に異彩を放っている。話自体は「ふーん、そんなものか」とあまり感心しなかったが、全体に流れる雰囲気から結末部の真相までを追っていくと、怪奇風の雰囲気をたっぷりと含んでいることが分かる。また『新青年』に発表されていることにも驚いてしまった。
そうした傾向は、男の躰が粉砕されたセメントから恋人の手紙があらわれる表題作のモチーフからもうかがえる。こう見ると、本来はジャンル違いとされる小説は意外にも隣接しあい、性格が似通っているものかもしれない。プロレタリア文学には、異なる流派の作風が流れ込んでいることが知れて、ちょっとした発見になった。なお、荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』という本には、こうしたネタが満載だと思われる。こちらは未読なので機を見て、覗いてみよう。
*郷土作家シリーズ
村田喜代子 『八つの小鍋 ー村田喜代子傑作短編集ー』
『淫売婦』は、帰港地に戻った船乗りの主人公が、三人連れのグループに半ば強引にお金を巻き上げられ、ある一室に連れられていくところから話が展開する。部屋には、全裸の女が凄惨な姿をさらして横たわっており、その姿をみとめた彼は、戦慄をおぼえその場に立ちすくんでしまう。のちに物語の中核は、女をめぐる、欲望と良心の間で揺らぐ主人公の心理を中心に、男たちの素性が明らかになる結末部へと流れ込んでゆく。
本書のなかでも飛び抜けておもしろかったのが、この『淫売婦』だった。巻末の解説によれば、それまで志賀直哉の影響下にあった葉山の、プロレタリア文学へすすむ転機となった画期的な作品として世に知られており、当時は小林多喜二、広津和郎、宇野浩二が賛辞を寄せ、大きな驚きをもって迎えられたという。また獄中で執筆され、巻頭に刑務所長への感謝の辞が設けられているところに凄味さえ感じる。
注目したいのは、主人公が全裸の女性のすがたを目に留めたシーンである。その描き方が何というか、江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作にも通じるような怪奇風のトーンが滲み出てくるのだ。色がついているのである。「あれっ、プロレタリア文学って怪奇小説なの?」などと疑念を挟んでいると、予感は確信にかわった。それがよく現れている作品がある。
『死屍を食う男』は、中学の寄宿舎にて夜な夜なひとりの学生が外出する事の真相を、いっぽうの学生が探りあてる顛末を焦点にしたもので、資本家の搾取と労働者の実態が展開される本書のなかでも、殊に異彩を放っている。話自体は「ふーん、そんなものか」とあまり感心しなかったが、全体に流れる雰囲気から結末部の真相までを追っていくと、怪奇風の雰囲気をたっぷりと含んでいることが分かる。また『新青年』に発表されていることにも驚いてしまった。
そうした傾向は、男の躰が粉砕されたセメントから恋人の手紙があらわれる表題作のモチーフからもうかがえる。こう見ると、本来はジャンル違いとされる小説は意外にも隣接しあい、性格が似通っているものかもしれない。プロレタリア文学には、異なる流派の作風が流れ込んでいることが知れて、ちょっとした発見になった。なお、荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』という本には、こうしたネタが満載だと思われる。こちらは未読なので機を見て、覗いてみよう。
*郷土作家シリーズ
村田喜代子 『八つの小鍋 ー村田喜代子傑作短編集ー』
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(2019/11/16)
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この書評へのコメント
- mono sashi2017-11-29 22:36
*Kuraraさん
ひょー、そうなのです。じつは村田喜代子さんからひっそりとスタートしていたのです! 福岡県出身及び福岡にゆかりのある作家って、本当に多くてキリがないのですが、つぎは火野葦平あたりをアップできればと思います。懲りずにお付き合いいただければ幸いです。また数少ない”読んで楽しい”票をいただき感謝・感謝であります。嬉しかったですよ~(_ _)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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