著者、ハンナ・アーレントは、ユダヤ系ドイツ人の思想家・哲学者・活動家である。1906年、ハノーヴァーで生まれた彼女は、マールブルグ大学・ハイデルベルグ大学・フライブルグ大学で学び、「アウグスティヌスにおける愛の概念」というテーマで学位を得ている。1933年にパリに亡命。1940年まで、ユダヤ人少年少女のパレスティナ移住を助ける運動に従事し、1941年、さらにアメリカに亡命。1951年にアメリカ市民権を得て、その後、いくつかの大学の教授を歴任した。1975年、69歳で死去。
本書は、アーレントが1963年にイェルサレムで行われたアイヒマン裁判を取材した報告である。この中で、アーレントは、裁判自体の記録だけでなく、アイヒマンがユダヤ人問題においてどのような役割を果たしたか、さらには、各地のユダヤ人がどのような運命を辿ったかを(アイヒマンの役割に限定せずに)詳細に綿密に記載・考察している。元々はThe New Yorker誌に連載されたもので、加筆・改訂して出版されたのが本書となる。
副題が示唆するように、アイヒマンが小市民的で職務に忠実であっただけだとする論点がよく知られる。アイヒマンは粛々とユダヤ人移送に関わっただけだ。彼は別に極端に残酷だったわけでも愚かであったわけでもない。ただ優秀な官僚として、役目を遂行したに過ぎない。
そうした点ももちろん詳細に述べられているのだが、ホロコーストにおいて、ユダヤ人自身が果たした(あるいは果たしてしまった)役割、またイェルサレムの法廷にアイヒマンを立たせることの「正しさ」にかなりのページが割かれている。
ユダヤ人が仲間の名簿を作り、また実際に手を下す際に協力することなくして、この大規模な殺戮は本当に可能だったのか。
潜伏先のアイヒマンを誘拐してまでイェルサレムに連れてきた行為は許されるのか。
人類が予想だにしていなかったほどの、人道に対する大きな罪を裁ける法廷はいったいどこなのか。
判決が下りてから処刑までが極端に早かったことに、正当な理由はあるのか。
そういった論点を見ていくと、アーレントはアイヒマン自体を糾弾したかったのではなく、もっと広く、悪を止めることのできる正義について考察しているようにも思えてくる。
発表時に非常に物議を醸したという。
1つは、アイヒマンが人を殺したいともユダヤ人が憎いとも思っていなかったという主張から、アイヒマンの罪を軽んじているのではないかという非難。
1つは、ユダヤ人の協力に触れた点。
だが、彼女がここでしようとしているのは、いずれかの立場に寄り掛かり、別の立場にあるものを指して声高に非難することではないように思える。
彼女がユダヤ系でなければこの本は生まれなかったのだろうが、しかし、この本の論点には、もはや出自も関係ないのではないか。
邪悪で強大な悪ならば、糾弾し、闘うことも可能だ(そう、困難ではあるとしても、それに対して拳を振り上げることは可能だ)。
だが、悪が「陳腐」であるならば、「使い古されて」「ありふれた」「月並みな」ものであるならば、どこに対して、何に対して、拳を上げて闘えばよいのか。
忍び寄ってくる悪に呑み込まれない術はあるのか。
エピローグの最後の段落に、震撼し、そして背筋を正す。
アイヒマンがなぜ死刑に処されねばならないのか。架空の判事の口を借り、アーレントは述べる。
ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒む(中略)政治を君(*引用者注:アイヒマン)が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何者からも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。
この本を十全に理解し、咀嚼できたかと問われればいささか心許ないが、1つ一里塚を置き、また戻ってくるしるべとしたい。
*さほど厚い本ではないが、二段組で活字も細かく、ページ数を聞いて思い浮かべるより二倍以上のボリュームがある。引用部分から知れるように、訳も読みやすいという部類ではない。
個人的に、ハンナ・アーレントにはいずれ挑戦しようかと思っていたが、今回、本書を手にしたのは、映画(映画「ハンナ・アーレント」オフィシャル・サイト)が話題になっていたため(映画は未見であるし、見に行くかどうかは決めていないのだが)。
門外漢としては、入門書を先に手にするのが妥当だったかもしれないが、そこはページ数で少々軽く見てしまった、というところだ。
*まったくの余談だが、図書館で借りた本は寄贈本で、寄贈者による多くの書き込み・傍線が記されていた。アーレント、訳者、寄贈者のそれぞれの声を聞きながら読んでいるような、いささか不思議な読書体験だった。
*それにしてもつくづく、この問題は大きい。自分は本当に碌に知らないんだなぁと思わされもする。
分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)、ひよこ(ニワトリ化しつつある)4匹を飼っています。
*能はまったくの素人なのですが、「対訳でたのしむ」シリーズ(檜書店)で主な演目について学習してきました。既刊分は終了したので、続巻が出たらまた読もうと思います。それとは別に、もう少し能関連の本も読んでみたいと思っています。
この書評へのコメント
- Tetsu Okamoto2014-01-14 14:39
1960年代はマルクス主義の呪縛もあり、人間は本質的には残酷でないことになっていました。原始共産制は理想社会だったわけです。そのへんの時代的タブーもわかってよむとよりたのしめます。サルやライオンの子殺しの知識が一般化するのが1980年代です。
クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2014-01-14 17:56
b-be-bさん
ありがとうございます。
映画はやはり混んでいるんですね。平日に行けないかなーと思案中です。
本書のテーマは、この後に読んだこの本↓ともリンクするように感じています。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2014-05-24 00:21
hackerさんが紹介されていたドキュメンタリー映画「スペシャリスト」。
廃盤だったのですが、8月にDVD、Blu-rayが発売されるようです。
旧盤をどうにかしてどこかで見ようかと思っていたのですが、8月まで待って新盤を入手しようかな・・・。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2014-08-04 13:03
「スペシャリスト」、復刻発売です。
アマゾンのページでは、8月5日発売とのこと。
予約注文していたところ、発送お知らせメールが来たので、もう出ているようです。
「ハンナ・アーレント」の映画と併せての発売です。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:みすず書房
- ページ数:257
- ISBN:9784622020097
- 発売日:1994年08月01日
- 価格:3990円
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