ゆうちゃんさん
レビュアー:
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地主から追い立てを食らい、楽園と言われるカリフォルニアを目指すジョード一家の物語。それと並行して、著者の地主階級や商人の生き方への鋭い批判も読める。

この作品は、大学2年生の時に映画館でヘンリー・フォンダ主演のモノクロ作品を観て、その8年後に原作を買って読んだものである。映画・小説とも苦しむ農民の姿を描いた作品だという記憶はあったが、小説の方の結末の衝撃だけはよく記憶しているものの、筋書きはかなり忘れてしまった。
オクラホマの小作農だったジョード一家の物語。トムは喧嘩から殺人事件を起こしてマカレスターの刑務所に入っていたが出所した。冒頭は彼が実家に帰るところから。途中で少年時代に知った説教師・ケーシーに出会う。彼はもう説教師を虚しい仕事だと言って辞めている。ふたりで実家に戻ると空き家になっていた。この一帯は、地主がトラクターで小作を追い出したのだが、それでも粘ってこの地に留まったミューリー・グレーブズからそのことを聞いて知る。ジョード一家はジョン伯父のところだと言われトムとケーシーはそちらに向かう。ジョン伯父のところも追い立てを食らっており、ジョード一家は独身のジョン伯父と供にカリフォルニアを目指しトラックに荷物を積み込んでいるところだった。一家は、果樹園などでの作業者を募集しているという広告を頼りにそこを目指すのだった。刑務所暮しのトムのこのことをどう知らせようかと気を揉んでいたところにトムが現れたので、皆は喜ぶ。一台のトラックにトムの祖父母、ジョン伯父、トムの兄妹それにケーシーも乗り込んだ。今にも故障しそうなトラックで、オクラホマから国道66号を通り、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ州を通ってカリフォルニアを目指す。この旅の途中で祖父母は亡くなり、トムの兄ノアもコロラド河で漁師で生計を立てると去って行った。出会いもあり、オクラホマ市を通過してベサニーの町の道端でキャンプをしたときに、「隣人」となったウィルソン夫妻とは友達になった。車が故障して困っていた彼らを車の知識があるトムと弟のアルが修理してやり、彼らはカリフォルニアの手前まで一緒に進む。最後の砂漠の横断の時、ウィルソンは妻セリーの体力が持たないと彼らと別れた。ジョード一家が砂漠を越え、カリフォルニア渓谷の見事な果樹園を見下ろす場面で上巻は終わる。カリフォルニアには、ジョード一家だけではなく、追い出された小作人たちが全米から押しかけている。そして、カリフォルニアに近づくにつれて、そこの暮らしが、聞いていたほどよいものではなさそうだという情報を得ていく。
だがジョード一家は一度決めたことを最後までやり通すつもりだ。
本書は、ジョード一家のあれこれを描写した本筋の章と、当時の社会の状況や著者の思いを書いた章に分かれている。著者の思いを描いた章は、商業に対する不信の様なものが前面に出されている。商人がいかに低コストで、時にはまがいものまでを高く売りつけ儲けようとしているのか。例外は第十五章に登場するジョーとミニーの店くらいだ。彼らは、ギリギリの状態で旅をする一家に破格の価格でパンとキャンディーを売る。第十九章には、カリフォルニアの歴史が書かれている。そこでも元々メキシコ領だったこの地を、アメリカが居直り占有し、彼らが次第に大地主、果ては不在地主になって行く過程が描かれる。そうなると土地を見た事もない「地主」まで登場する。大土地を占有し、少人数になった彼らが恐れるのは大多数の貧民の団結である。
登場人物の大半は田舎言葉と言うか方言のような言葉を話す。それを名訳者の大久保康夫氏が読みやすい文章で読ませてくれる。元説教師のケーシーは祈ることと留守番することくらいしか役立たないのだが、一家の心の支えになり、また著者の言いたい事を代弁してくれるいい味を出している。
オクラホマの小作農だったジョード一家の物語。トムは喧嘩から殺人事件を起こしてマカレスターの刑務所に入っていたが出所した。冒頭は彼が実家に帰るところから。途中で少年時代に知った説教師・ケーシーに出会う。彼はもう説教師を虚しい仕事だと言って辞めている。ふたりで実家に戻ると空き家になっていた。この一帯は、地主がトラクターで小作を追い出したのだが、それでも粘ってこの地に留まったミューリー・グレーブズからそのことを聞いて知る。ジョード一家はジョン伯父のところだと言われトムとケーシーはそちらに向かう。ジョン伯父のところも追い立てを食らっており、ジョード一家は独身のジョン伯父と供にカリフォルニアを目指しトラックに荷物を積み込んでいるところだった。一家は、果樹園などでの作業者を募集しているという広告を頼りにそこを目指すのだった。刑務所暮しのトムのこのことをどう知らせようかと気を揉んでいたところにトムが現れたので、皆は喜ぶ。一台のトラックにトムの祖父母、ジョン伯父、トムの兄妹それにケーシーも乗り込んだ。今にも故障しそうなトラックで、オクラホマから国道66号を通り、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ州を通ってカリフォルニアを目指す。この旅の途中で祖父母は亡くなり、トムの兄ノアもコロラド河で漁師で生計を立てると去って行った。出会いもあり、オクラホマ市を通過してベサニーの町の道端でキャンプをしたときに、「隣人」となったウィルソン夫妻とは友達になった。車が故障して困っていた彼らを車の知識があるトムと弟のアルが修理してやり、彼らはカリフォルニアの手前まで一緒に進む。最後の砂漠の横断の時、ウィルソンは妻セリーの体力が持たないと彼らと別れた。ジョード一家が砂漠を越え、カリフォルニア渓谷の見事な果樹園を見下ろす場面で上巻は終わる。カリフォルニアには、ジョード一家だけではなく、追い出された小作人たちが全米から押しかけている。そして、カリフォルニアに近づくにつれて、そこの暮らしが、聞いていたほどよいものではなさそうだという情報を得ていく。
こうして仕事を欲しがる奴らを集めると500人くらいになるが、仕事に必要なのは200人くらいだ。時給25セントと訊いて半分は諦める。そして恐ろしく腹が減っていて時給代わりにパンをくれれば働こうという連中が残るのだ。彼らは人間を多く集めれば、特に腹を減らした奴らを集めれば、それだけ賃金を低く抑えられる訳だ(373頁)。
だがジョード一家は一度決めたことを最後までやり通すつもりだ。
本書は、ジョード一家のあれこれを描写した本筋の章と、当時の社会の状況や著者の思いを書いた章に分かれている。著者の思いを描いた章は、商業に対する不信の様なものが前面に出されている。商人がいかに低コストで、時にはまがいものまでを高く売りつけ儲けようとしているのか。例外は第十五章に登場するジョーとミニーの店くらいだ。彼らは、ギリギリの状態で旅をする一家に破格の価格でパンとキャンディーを売る。第十九章には、カリフォルニアの歴史が書かれている。そこでも元々メキシコ領だったこの地を、アメリカが居直り占有し、彼らが次第に大地主、果ては不在地主になって行く過程が描かれる。そうなると土地を見た事もない「地主」まで登場する。大土地を占有し、少人数になった彼らが恐れるのは大多数の貧民の団結である。
ひとりが大きな全体に結ばれることになると、それは正しいことで神聖なのだ(160頁)
心が貧しいと百万エーカー持っていても、豊かには感じない筈だ。(カリフォルニアにまで一緒に旅したウィルソンの妻)セリーが、じい様が亡くなった時にテントを貸してくれたようなあんな豊かさはない(404頁)
登場人物の大半は田舎言葉と言うか方言のような言葉を話す。それを名訳者の大久保康夫氏が読みやすい文章で読ませてくれる。元説教師のケーシーは祈ることと留守番することくらいしか役立たないのだが、一家の心の支えになり、また著者の言いたい事を代弁してくれるいい味を出している。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:468
- ISBN:9784102101049
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