ゆうちゃんさん
レビュアー:
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「私」の月の世界と太陽の世界の見聞録。ガリバー旅行記の宇宙版とでも言える。
エドモン・ロスタンの戯曲に「シラノ・ド・ベルジュラック」という作品があるが、その主人公で実在の人物のシラノの作品である。彼はたくさんの喜劇を書いたモリエールや「ムガル帝国記」を書いたベルニエと、また科学ではコペルニクス、哲学ではデカルトと同時代人であり、詩人、戯曲家で本書のような小説も書いた。
日本語訳では「日月両世界旅行記」となっているが、これはシラノのふたつの作品を合本したもの。元々は、書かれた年代が各々異なる「月の諸国諸帝国」と「太陽の諸国諸帝国」である。主人公(「私」)は同じだが、一応独立した作品になっている。「月の諸国諸帝国」は、露を満たしたガラス瓶を体の周りにつけた私が、浮力で?舞い上がり、着地したのがカナダだった、ということが発端(力学的には正しくないが、フランスでいったん高高度に浮き上がり、直下降したつもりの地点が、地球の自転のせいでカナダにずれていたということらしい)。そこで今で言う多段式ロケットのようなものを作り、何とか月に到着した。「月の諸国諸帝国」とあるが月で描写されているのは、人間が6人しか到達できなかった楽園の国と、王が治め貴族と平民(月星人とも言うべきか)からなる国の2か国のみである。楽園の描写は少なかった。月星人の国では、人間は下等な動物とされ、私は鳥籠に押し込められて王妃の侍女の世話になっていた。見世物のように扱われていたが、私はそこでギリシア語を解し、地球にも行ったことがあるという魔神に助けられ(魔神は太陽世界から来たことになっている)、彼の案内である宿に行く。そこでこの月星人の世界のあれこれを聞き驚嘆するという話である。例えば墓に収められ、朽ち果ててゆくのはこの世界では究極の恥辱とのこと。また、この世界では老人より若者が尊敬される。宿の主人の息子をキリスト教に改宗させようとしたが失敗し、突然現れた毛むくじゃらの怪物にその宿の主人の息子が首根っこを掴まれ、空に連れ去られるのを助けようとすると、私も一緒に連れて行かれ、落ちた場所がイタリアだった(月の話はこれで終わり)。
「太陽の諸国諸帝国」はその続きである。落下したイタリアからフランスの貴族の友人を訪ね、そこで楽しく談義をして暮らしていたが、私の思想が異端だと断ずるものが現れ捕まってしまう。私は、押し込められた塔で、人間が入れる程度の箱の頂部にクリスタルの二十面体で光を集める装置をつけたものを製作した。単なる塔からの脱出用のつもりが、日光が当たると、どんどん太陽に吸い寄せられた(その詳細は本書を参照)。私はここで太陽の周囲を回る大陸、小人の国、鳥の国を彷徨った。鳥の国では人間であることが罪とされ死刑の判決が言い渡されるが、危ういところで赦免され、森に放逐される。そこの森には昔ギリシアのエピルスにあった樫の木があり、その樫の木の種は鳥によって太陽の国にもたらされた。そこで木の語る話を聞き、火の獣と氷の獣の戦いを見、哲学者カンパネッラ老人に会い、彼と同道して、太陽にある哲学者の国に赴く。
初期のSFみたいに言われることもあるが、一読した感じではガリバー旅行記に似た話である。特に「月」における月星人の国と「太陽」における鳥の国の話は、ガリバー旅行記に登場するヤフーの国にとても良く似た人間風刺の話になっている。ちなみにこのシラノの作品の方がガリバー旅行記より80年も早く刊行されている(が、解説を読むと、どうも長らく風刺部分は削除されて、単なる滑稽譚として刊行されていたらしい。本書がガリバー旅行記に影響した証拠はなさそうだ)。
なので、宇宙を舞台にしても話は徹底的に人間のものであり、人間の習俗やときにはキリスト教をおちょくる表現もある。太陽にある森の国で聞く話は、大半がギリシア・ローマの古典の焼き直しであり、ここだけはあまり感心しなかった。しかし、17世紀中ごろに書かれたとは言え、著者の思想と想像力には脱帽する。
キリスト教を揶揄したものとしては、例えば
と言った感じ。
は当時の世相を皮肉ったもの。現代もそうなりつつあるのが怖い。
に核融合の概念を見、
に進化論の先取りを見、
に免疫機構の概念を見るのは僕の考えすぎかもしれない。
しかし、
は多段式ロケットとしか思えないし、
は今の電子ブックではないか。
僕はロスタンのシラノを主人公にした戯曲が好きで、実在の人物だという本人の作品を読んでみたいと思っていた。解説を読むとロスタンの描くシラノは出自も身分も異なる様だが、この作品を読むと戯曲通りの快男児だったことがわかる。またこの作品が書かれれた頃が天動説と地動説がせめぎあった時代であった。著者は地動説を取っていたようだが、そのような思想がまだまだ危ない時代だった。コペルニクスの学説が文学にも影響したという点でも貴重な本といえるのではないか。
日本語訳では「日月両世界旅行記」となっているが、これはシラノのふたつの作品を合本したもの。元々は、書かれた年代が各々異なる「月の諸国諸帝国」と「太陽の諸国諸帝国」である。主人公(「私」)は同じだが、一応独立した作品になっている。「月の諸国諸帝国」は、露を満たしたガラス瓶を体の周りにつけた私が、浮力で?舞い上がり、着地したのがカナダだった、ということが発端(力学的には正しくないが、フランスでいったん高高度に浮き上がり、直下降したつもりの地点が、地球の自転のせいでカナダにずれていたということらしい)。そこで今で言う多段式ロケットのようなものを作り、何とか月に到着した。「月の諸国諸帝国」とあるが月で描写されているのは、人間が6人しか到達できなかった楽園の国と、王が治め貴族と平民(月星人とも言うべきか)からなる国の2か国のみである。楽園の描写は少なかった。月星人の国では、人間は下等な動物とされ、私は鳥籠に押し込められて王妃の侍女の世話になっていた。見世物のように扱われていたが、私はそこでギリシア語を解し、地球にも行ったことがあるという魔神に助けられ(魔神は太陽世界から来たことになっている)、彼の案内である宿に行く。そこでこの月星人の世界のあれこれを聞き驚嘆するという話である。例えば墓に収められ、朽ち果ててゆくのはこの世界では究極の恥辱とのこと。また、この世界では老人より若者が尊敬される。宿の主人の息子をキリスト教に改宗させようとしたが失敗し、突然現れた毛むくじゃらの怪物にその宿の主人の息子が首根っこを掴まれ、空に連れ去られるのを助けようとすると、私も一緒に連れて行かれ、落ちた場所がイタリアだった(月の話はこれで終わり)。
「太陽の諸国諸帝国」はその続きである。落下したイタリアからフランスの貴族の友人を訪ね、そこで楽しく談義をして暮らしていたが、私の思想が異端だと断ずるものが現れ捕まってしまう。私は、押し込められた塔で、人間が入れる程度の箱の頂部にクリスタルの二十面体で光を集める装置をつけたものを製作した。単なる塔からの脱出用のつもりが、日光が当たると、どんどん太陽に吸い寄せられた(その詳細は本書を参照)。私はここで太陽の周囲を回る大陸、小人の国、鳥の国を彷徨った。鳥の国では人間であることが罪とされ死刑の判決が言い渡されるが、危ういところで赦免され、森に放逐される。そこの森には昔ギリシアのエピルスにあった樫の木があり、その樫の木の種は鳥によって太陽の国にもたらされた。そこで木の語る話を聞き、火の獣と氷の獣の戦いを見、哲学者カンパネッラ老人に会い、彼と同道して、太陽にある哲学者の国に赴く。
初期のSFみたいに言われることもあるが、一読した感じではガリバー旅行記に似た話である。特に「月」における月星人の国と「太陽」における鳥の国の話は、ガリバー旅行記に登場するヤフーの国にとても良く似た人間風刺の話になっている。ちなみにこのシラノの作品の方がガリバー旅行記より80年も早く刊行されている(が、解説を読むと、どうも長らく風刺部分は削除されて、単なる滑稽譚として刊行されていたらしい。本書がガリバー旅行記に影響した証拠はなさそうだ)。
なので、宇宙を舞台にしても話は徹底的に人間のものであり、人間の習俗やときにはキリスト教をおちょくる表現もある。太陽にある森の国で聞く話は、大半がギリシア・ローマの古典の焼き直しであり、ここだけはあまり感心しなかった。しかし、17世紀中ごろに書かれたとは言え、著者の思想と想像力には脱帽する。
キリスト教を揶揄したものとしては、例えば
太陽が我々のために作られたというのは傲慢で、この目に見える神が人間を照らしてくれるのは、ほんの偶然の結果だ(23頁)。
と言った感じ。
彼(月で出会った博学なスペイン人)に話を聞くと彼がここに来たのは地球に想像の自由だけでも許される国をただひとつも見いだせなかったからだという(78~79頁)。
は当時の世相を皮肉ったもの。現代もそうなりつつあるのが怖い。
(ブロンズの恥部を腰からぶら下げ、それが貴族の印だと言うのを私がおかしいと指摘した。だが、人を殺す)武器を名誉というよりは、生命を生み出す元になるものを尊重するほうが余程理にかなっている(と言われた)(162頁)。
太陽とて何か自分を養うものが必要だが、その火が不純物を毎日吐き出すのだ(25頁)。
に核融合の概念を見、
アトムが集まり物や生物になるのは・・・偶然であり必然だ。人間だってそうで、人間が出来るまでに数々の偶然が重なったのだ(140~143頁)。
に進化論の先取りを見、
人間の体には我々を攻撃する病気のもつすべての性質と正反対の性質を含むものがあるのだという。それは病気が起きるとそれに効く香油を運んでゆくのだ(168頁)。
に免疫機構の概念を見るのは僕の考えすぎかもしれない。
しかし、
乗り込んだところで起爆装置が働いた。一段目の起爆装置が働くと次の段に点火して私は上昇して行った(29頁)。
は多段式ロケットとしか思えないし、
彼(月で出会った前記の魔神)が出てゆくと本の箱を開けてみた。そこには小さい時計のようなものがあり、ねじと針を巻くと聞きたい章が耳から入る本だった(154頁)。
は今の電子ブックではないか。
僕はロスタンのシラノを主人公にした戯曲が好きで、実在の人物だという本人の作品を読んでみたいと思っていた。解説を読むとロスタンの描くシラノは出自も身分も異なる様だが、この作品を読むと戯曲通りの快男児だったことがわかる。またこの作品が書かれれた頃が天動説と地動説がせめぎあった時代であった。著者は地動説を取っていたようだが、そのような思想がまだまだ危ない時代だった。コペルニクスの学説が文学にも影響したという点でも貴重な本といえるのではないか。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:178
- ISBN:9784003250617
- 発売日:2005年01月01日
- 価格:945円
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