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紅い芥子粒
レビュアー:
若いアメリカ人の共同の家で、虎や鷹男と暮らしていたころが、”僕”の青春の黄金期だった――
1963年、大江健三郎28歳のときの作品である。

主人公の”僕”は、二十歳の仏文科の大学生。高校生のとき、たった一度だけ娼婦と交接し、梅毒不安症になった。検査で陰性と出ても、安心できない。そのうち自分の身体に梅毒の兆候があらわれるのではないかと、不安でしょうがない。大学の保健医のもとに通ううち、ダリウス・セルべゾフという若いアメリカ人を紹介された。ダリウスはヨットでヨーロッパ一周の航海を計画している。いっしょに行く日本人を募集しているから、行くといいさ、広い海に出れば精神の病なんて治っちまうよ、というわけだ。

ダリウスの家には、先にひとりの若者が住んでいた。17歳の自称「虎」。虎はアフリカ系米国人の父と日系移民の母を持ち、日米開戦の二年前に母の母国である日本に移り住んだ。おそらく人種差別から逃れるために。日本に来ても人種差別を思い知ることになるのだが。「虎」と自称するのは、トラは黄色と黒の縞だから。虎は黒い肌の美しい少年で、お金持ちのマダムたちのジゴロをしていた。彼は、熱望していた、ヨットでアフリカに渡り、アフリカの空の下、大地を駆ける日を。

ダリウスと”僕”と虎は、ダリウスの白いジャガーに乗って、東京港の貧しい埋め立て地にもうひとりの仲間を迎えに行った。呉鷹男18歳。鷹男は、日本人の母と朝鮮人の父をもつ。16歳のときに、根室のノサップ岬から、盗んだ船で海へ乗り出したことがある。朝鮮へ行きたかったわけではない、どこかわからないが、自分のいるべき世界へ行きたかったのだ。

裕福なダリウスに養われるかたちの共同生活。ヨットを完成させて大海原に乗り出すという、ひとつの夢が、三人を結び付けていた。ヨットを完成させるには少しばかり資金が足りないが、ヨットの名前は決まっていた。”友人たち(レ・ザミ)号”。

数年後になって、”僕”は回想する。若いアメリカ人の共同の家で、虎や鷹男と暮らしていたころが、青春の黄金期だったと。黄金といっても、美しい夢や希望に満ち溢れていたわけではない。性と暴力がうずまくどろどろした日常だが、”僕”たちは家族以上の緊密な絆で結ばれていた。

しかし、黄金の時期は長くは続かない。ダリウスは性犯罪のために日本を出て行き、友人たち号の計画もとん挫した。アフリカの空と大地に焦がれる虎は、強盗してでもヨット完成までの資金を得たいと暴走し、射殺された。虎を失った呉鷹男は、強姦殺人事件の犯人となり死刑宣告を受けた。虎と鷹男の重大事件は、いずれも、”僕”が大喀血をしてサナトリウムに入院している間に起きたことだった。

青春小説というには、汚わいに満ちた物語だが、諧謔的な比喩が巧みな文章で、不快感をあまり感じることなく読み進むことができた。当時の文壇の長老たちには、さんざんに酷評されたというが。

呉鷹男の事件は、1958年の小松川女子高生殺人事件をもとに書かれたものだ。犯人は、18歳の在日コリアンの少年で、少年法の適用もされず、1962年に絞首刑にされたという。


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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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