紅い芥子粒さん
レビュアー:
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映画監督の伊丹十三が「墜落死」したのは、1997年のことだった。享年64歳。大江健三郎の夫人は伊丹十三の妹で彼とは親友でもあった。「取り替え子」は2000年に発表された、伊丹十三を追悼する小説である。
作家の古義人のもとには、50巻ものカセットテープがある。
妻の兄でもある親友の吾良から送られたものだ。
テープには、吾良の声がつまっている。吾良は、有名な映画監督だった。
録音されているのは、五十年前に四国松山の高校で古義人と出会って以来の、吾良と古義人の物語。
最新のそのテープは、ドシンという音で終わっている。
「おれは向こう側に行く」といった、そのあとに……
吾良の死後、古義人は”向こう側”へ行ってしまった吾良との対話にのめりこむ。
”田亀”と名付けたカセットプレーヤーの再生ボタンと停止ボタンを繰り返し押しながら、録音された吾良の声の物語に反論したり、考え込んだりするのだった。
やがて、古義人はドイツへ発った。
ベルリンの大学から特別講師に招かれていたからだが、録音された吾良の声のすすめもあったのだ。押し寄せるマスコミを遮断し、いっとき小説から離れ自分を見つめ直すためには、ベルリンがいいのではないかと、”田亀”の中から吾良がすすめてくれたのだ。
ベルリンには、三年ほど前に吾良も滞在していたことがあったのだった。
ドイツに”田亀”は連れて行かなかったが、古義人はベルリンに滞在した百日間に、”向こう側”に行った吾良との対話をさらに深めていく。
五十年前、四国松山の高校生だった時に経験し、吾良を決定的に変えてしまった、あの出来事。意識下に封じ込めていた”アレ”の記憶を掘り起こしていく。
小説は、序章から第六章までは古義人の視点で語られるが、終章だけは、古義人の妻で吾良の妹の千樫の視点で語られている。
古義人の帰国後、ひとりの若い女性が、千樫をたずねてくる。
三年前に吾良がドイツに滞在したとき、通訳をつとめた女性だった。
彼女は妊娠していて、中絶するために日本に帰って来たのだという。
相手の男性とは、すでに別れていた。
彼女は吾良とも恋愛関係にあり、それがスキャンダルにもなっていた。
千樫と吾良のことを語り合ううち、中絶するつもりだった彼女の気が変わる。
吾良は死んでしまったが、自分が生み直したい、生まれてくる子をきっと吾良のように育てたいという。
千樫は、彼女に共感し、物心両面で彼女に協力することを誓う。
タイトルの「取り替え子」は、古義人がドイツから持ち帰ったモーリス・センダックの絵本からきている。
”Outside Over There"(「まどのそとのそのまたむこう」というタイトルで福音館から出版されている)と非売品の”Changelings"。
カセットテープに録音されていたのは、吾良と古義人の物語ばかりではなかった。
古義人の文学、執筆姿勢に苦言を呈してもいた。
きみは新しい読者を獲得する気があるのか、とか。
誰に向けて小説を書いているのか、とか。
読者にわかってもらおうと努力しているのか、とか。
それは古義人も、つまり大江健三郎も、おおいに気にしていたことらしい。
本を出しても売れない、読者は減っていくばかりで新しい読者がつかない、完成度を追及していくと分かりやすさからかけ離れていくことを……
「取り替え子」もわかりにくい小説だった。親友を追悼する小説なら、こんなに凝った書き方をしなくてもいいのにと思った。
大江さんも、もう”向こう側”の人になってしまったけれど、大江健三郎の本を読みながら、もっと分かりやすく書いてほしいと、何度思ったことか。
妻の兄でもある親友の吾良から送られたものだ。
テープには、吾良の声がつまっている。吾良は、有名な映画監督だった。
録音されているのは、五十年前に四国松山の高校で古義人と出会って以来の、吾良と古義人の物語。
最新のそのテープは、ドシンという音で終わっている。
「おれは向こう側に行く」といった、そのあとに……
吾良の死後、古義人は”向こう側”へ行ってしまった吾良との対話にのめりこむ。
”田亀”と名付けたカセットプレーヤーの再生ボタンと停止ボタンを繰り返し押しながら、録音された吾良の声の物語に反論したり、考え込んだりするのだった。
やがて、古義人はドイツへ発った。
ベルリンの大学から特別講師に招かれていたからだが、録音された吾良の声のすすめもあったのだ。押し寄せるマスコミを遮断し、いっとき小説から離れ自分を見つめ直すためには、ベルリンがいいのではないかと、”田亀”の中から吾良がすすめてくれたのだ。
ベルリンには、三年ほど前に吾良も滞在していたことがあったのだった。
ドイツに”田亀”は連れて行かなかったが、古義人はベルリンに滞在した百日間に、”向こう側”に行った吾良との対話をさらに深めていく。
五十年前、四国松山の高校生だった時に経験し、吾良を決定的に変えてしまった、あの出来事。意識下に封じ込めていた”アレ”の記憶を掘り起こしていく。
小説は、序章から第六章までは古義人の視点で語られるが、終章だけは、古義人の妻で吾良の妹の千樫の視点で語られている。
古義人の帰国後、ひとりの若い女性が、千樫をたずねてくる。
三年前に吾良がドイツに滞在したとき、通訳をつとめた女性だった。
彼女は妊娠していて、中絶するために日本に帰って来たのだという。
相手の男性とは、すでに別れていた。
彼女は吾良とも恋愛関係にあり、それがスキャンダルにもなっていた。
千樫と吾良のことを語り合ううち、中絶するつもりだった彼女の気が変わる。
吾良は死んでしまったが、自分が生み直したい、生まれてくる子をきっと吾良のように育てたいという。
千樫は、彼女に共感し、物心両面で彼女に協力することを誓う。
タイトルの「取り替え子」は、古義人がドイツから持ち帰ったモーリス・センダックの絵本からきている。
”Outside Over There"(「まどのそとのそのまたむこう」というタイトルで福音館から出版されている)と非売品の”Changelings"。
カセットテープに録音されていたのは、吾良と古義人の物語ばかりではなかった。
古義人の文学、執筆姿勢に苦言を呈してもいた。
きみは新しい読者を獲得する気があるのか、とか。
誰に向けて小説を書いているのか、とか。
読者にわかってもらおうと努力しているのか、とか。
それは古義人も、つまり大江健三郎も、おおいに気にしていたことらしい。
本を出しても売れない、読者は減っていくばかりで新しい読者がつかない、完成度を追及していくと分かりやすさからかけ離れていくことを……
「取り替え子」もわかりにくい小説だった。親友を追悼する小説なら、こんなに凝った書き方をしなくてもいいのにと思った。
大江さんも、もう”向こう側”の人になってしまったけれど、大江健三郎の本を読みながら、もっと分かりやすく書いてほしいと、何度思ったことか。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:講談社
- ページ数:392
- ISBN:9784062739900
- 発売日:2004年04月15日
- 価格:650円
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