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ぱせりさん
ぱせり
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「おかあちゃんの命のしずくがね、この石に染みこんどる気がするんよ」
廣島の人々が町ごとそっくり焼かれたあの日の記憶を伝える(遺品のひとつである)「人影の石」(御影石の石段に黒く焼き付けられた人影--その瞬間にそこに座っていた人の影)
1945年の夏、17歳だった幸子は、あの朝、銀行に行ったきり帰ってこない母を探す。被ばく直後の地獄のように変わってしまった廣島を歩き、その後の長い年月、探し続ける。


「影が「おかあちゃん」だと認めてもらうこと、影に「おかあちゃん」の名前をつけることーーそれはつまり、失われた「お母ちゃん」を取りもどすことだった」
「おかあちゃんの命のしずくがね、この石に染みこんどる気がするんよ」
後年の、幸子の言葉を読みながら、『石の記憶』(『八月の光』朽木祥:所収)の少女光子が石段にほっぺをつけている姿だが蘇ってきて重なり、胸がいっぱいになってしまう。


これは、ひとりの(ひとりひとりの)そこに間違いなく生きて暮らしてきた人(たち)の命のしずくを受け継いでいく物語。
それは、幸子から始まって、千鶴(後に幸子の三男の妻になる)、恵美・愛子(千鶴の娘たち)、祈(恵美の娘)四世代、四人の娘たちに引き継がれていく。


原爆資料館の「人影の石」に、名前をつけることに尽力してくれた人の一人が、在日朝鮮人被爆者連絡協議会会長の李実根さん(恵美の師)だったこと、心に残っている。
「朝鮮の人は被爆しても被爆者とは認められず、何の支援も受けられなかったという。そのような人を救うために、李先生がながく活躍されてこられたらしい」
そのような人が、日本人被爆者のために大きな力を尽くしてくれたのだ、ということをこのまま知らずにすぎてしまわなくてよかった、と思う。


千鶴は私と同世代。広島に暮らしていた高校生の千鶴と、関東地方の小さな町で暮らしていた私の周囲の戦争との距離感の違いを強く感じた。高校生の私にとって、父母の時代の戦争はすでに昔の話であり、とても遠いものだった。と思うそばから、いいや、いいや、そういうことじゃない、と思う。
千鶴の独白「目に入っても、どうして見えないのか」という言葉。そういうことなのだ、と。目の前にちゃんとあるのに、見ようとしなければ、見えないのだ、ということ。まして遠くにあるものは。


人影の石については、戦後八十年のうちに、いろいろなことがわかってきている。そして、石の影は少しずつ薄くなってきているという。
その姿はそっくりそのまま、
「あの日行方知れずになった人らを偲ぶ墓標のようなもの」
なのだろう。
この墓標が、戦後に生まれ、今を生きているわたしたちにも語り掛けている言葉がある。見ようとすれば、聞こうとすれば、ちゃんと届く言葉。その見方、聞き方を、四世代の少女たちの暮らし方が、私たちに告げている。


あとがきの著者の言葉
「原爆投下のように空前絶後の事件の輪郭をはっきり浮かび上がらせるためには、逆説的ですが、ささやかな、しかし、かけがえのない人々の生きた姿をていねいに描いていくしかないのではないか」との言葉をかみしめて、戦後八十年目の今日。

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ぱせり
ぱせり さん本が好き!免許皆伝(書評数:1754 件)

いつまでも読み切れない沢山の本が手の届くところにありますように。
ただたのしみのために本を読める日々でありますように。

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この書評へのコメント

  1. p-mama2025-10-04 13:32

    書評を読ませていただいて、私も胸がいっぱいになりました。

  2. ぱせり2025-10-04 14:39

    P-mamaさん、ありがとうございます。良い本と出会えました。

  3. No Image

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