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ゆうちゃん
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ヴィクトリア朝研究者による名探偵ホームズの著者、コナン・ドイルの評伝。彼の文才には否定的で、せいぜい連載物の作者が良い所、人を信じ易い一方で思い込んだら譲らず、それ故、種々のトラブルを起こしたと厳しい
著者のピアソールはヴィクトリア朝の研究者とのこと。それ故か、ドイルの評伝でありながら、ドイルの生きたヴィクトリア朝、エドワード朝、そしてジョージ朝の時代の周辺情報なども詳しく触れている。

コナン・ドイルは1859年エディンバラ生まれ。アイルランドの家系でイエズス会の運営するカトリックの学校に行ったが、当時の厳しい教育にもめげることはなかった。神父になる気はなく、その後はエディンバラ大学の医学部に入学し、医者として身をたてることにした。サウスシーという所で開業しても患者は来ず、暇に任せて小説を書きだした。1883年になると幽霊船で有名なマリー・セレステ号の謎に基づいた物語「ハバクック・ジェフスンの遺書」を書き雑誌に掲載される。その後、幾つかの小説を書いたがシャーロック・ホームズ物の長編「緋色の研究」をウォード・ロック社が、「四つの署名」をリピンコット社が買って雑誌に掲載した。これらもアメリカでは反響があったらしいがイギリスでは当たらない。この間、ドイルは「マイカ・クラーク」、「白衣団」などの歴史小説を書いている。前者はワイルドに褒められ、後者は50刷を重ねたが、いずれも批評家には受けなかった。ドイルが小説を本業としたのはシャーロック・ホームズものの短編をストランド誌に掲載し始めてからで、これは大当たりをとった。その後、妻ルイーズの病気療養のためスイスに行くことを理由に第二短編集「ホームズの思い出」の最後でホームズを殺し、連載は終了した。実際は、自分でたいして価値を置かないホームズ物語に読者が熱中するのが気に入らなかったからだった。重病の妻を抱えながらもドイルはジーン・レッキーという女性と恋に落ちたが、騎士道精神を発揮してルイーズが死ぬまで再婚はしなかった。その後、ボーア戦争に従軍して戦況報告を書いた。その間、他作家によるホームズと似た探偵譚が続々と発表されたが、著者によればそれらの水準は低くホームズの敵ではないという。ボーア戦争と並行して「バスカヴィル家の犬」が執筆されている。現実の冤罪事件(エルダジ事件、スレイター事件)で被告の潔白に寄与する活動をし、それと並行して第三短編集「ホームズの帰還」を執筆する。第一次世界大戦が勃発すると義勇兵を組織し視察に赴いた。この大戦中に執筆されたのが、最後の長編「恐怖の谷」と第四短編集「ホームズ最後の挨拶」である。その後、心霊術研究に没頭し、心霊術研究団体に大幅は資金援助をする。アメリカなどに心霊術に関する講演旅行をした。1927年に第五にして最後の短編集「ホームズの事件簿」を執筆し、1930年に死去した。最後まで執心したのは心霊術だったという。

コナン・ドイルの評伝では推理作家ジュリアン・シモンズの「コナン・ドイル」を読んだことがある。こちらは同業の先輩への敬意に満ちた本であるが、本書はシャーロッキアンでもなければ、推理作家でもないせいか、かなりドイルには手厳しい。シモンズの評伝では、ホームズ物以外でも「チャレンジャー教授」のシリーズやSFに面白いものがあると言ったことが書かれていたが、本書の著者はホームズ物ですら、「仮説と推理の混同」があって、連載ものの著者として読者をその場で納得させる技量には優れている程度、と手厳しい。ホームズ物以外で評価しているのは、晩年に書かれた「心霊術の歴史」くらいである。
ドイルといえば作家でありながら、社会の不正義にも切り込んだことで有名である。だが本書ではドイルの貢献したふたつの冤罪事件の真相解明は比較的あっさりしており、むしろ明らかに英国に非があるボーア戦争の従軍記では英国擁護の姿勢が目立つし、第一次世界大戦のドイルの示した義侠心は軍とっては迷惑千万と言わんばかりだった。因みにボーア戦争に対するシモンズの著作でのドイルの姿勢は英国擁護ではなく公平だったという。どちらもドイルの著作を元に分析しているので、実際はどうだったのだろうか?
それ故、心霊術に没頭したドイルの評価は、「お人よしが判断力を弱めている」と考えた(136頁)、第一次世界大戦の激戦で有名なソンムの戦いについてはドイルの「これで退屈な塹壕暮らしともおさらばだと誰もが喜び、たとえ死が来ようとも、とにかく行動できる喜びに胸が高鳴るのだった・・準備万端、怠りなく、しかも何の支障もなく事が進んだ」(219頁)を引用し、彼が戦争礼賛者のごとくである。本書の最後の言葉も
ドイルは自分の言葉に従わぬ者には天罰が下るだろうと述べている・・本人はカトリックのイエズス会を非難しているが、イエズス会の学校で教育を受けて育った影響がここにはっきりと現れているように思える(286頁)。

とかなり否定的である。シモンズの著作では
一個の人間としての行動は一生を通じてそれなりに見事だった。彼はまれな廉直の士であり、彼は生まれ育った時代の規範に従って生き、決してその外に目を向けることはなかったが、その規範の中では栄誉ある行動をとるべく心掛けた。フランスのあるジャーナリストは、かつて彼を善良な巨人と呼んだが、この表現こそはコナン・ドイルにぴったりである。仕事の上でも個性の面でも、彼コナン・ドイルこそは、その属するヴィクトリア時代の理想的な代表者だった。

とドイルの間違いを認めつつも偉人と評価している。
大河ドラマで歴史的人物の評価が、取り上げる視点で180度異なる場合がある。ドイルの評伝をふたつ読んだが、これと同じ印象である。ドイル研究書としては知られた本なので、手にしてみたが、自分はドイル・ファンではないもののホームズ・ファンであることは確かで、読み進めるにしたがっていささか戸惑った本だった。
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ゆうちゃん
ゆうちゃん さん本が好き!1級(書評数:1698 件)

神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。

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この書評へのコメント

  1. 三太郎2025-10-06 10:35

    >ボーア戦争の従軍記では英国擁護の姿勢が目立つ

    ドイルは大英帝国絶頂期に育った人ですから、帝国主義を批判する視点はもてなかったのでしょうね。でも彼の書いたシャーロックものには、当時の英国内では常識だったと思われる階級差別や人種差別があまり表に出てこないし、批判的な視点も持っていた気がしています。少なくてもアジア人を人間扱いしていますから。まあ、僕はドイル贔屓なので彼には甘いですが。

    彼の書いたSFも好きなのですが、当時の英国人の科学好きがよく解ると思います。何しろSF小説が売れたわけですからね。

  2. ゆうちゃん2025-10-06 17:48

    三太郎さん、コメントありがとうございます。
    そうですね、シャーロック・ホームズ自身は全く偏見のない人物に描かれていますね。それに「最後の挨拶」という作品では、ホームズ自身に大英帝国の凋落と、それに代わる国の出現を予言させています。
    本書によれば、残念ながらドイル自身には偏見があったみたいで、日本人を蔑視する呼称も「使おう」と呼び掛けたみたいです。事実なら日本人としては残念です。僕は、ホームズ物以外のドイルの作品を読んだことはないのですが、本書の評価は辛すぎます。三太郎さんはじめ、このサイトの書評や別書でそれらの設定や筋書きを知っており、SFチックな作品は、彼の生きた時代としては先進的で、読む価値があると思っておりますし、何時か読んでみたいと思っております。

  3. No Image

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