rodolfo1さん
レビュアー:
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懸命に働き、現状に満足せず成り上がろうとして焦燥したものの、挫折して再び故郷に集結し、自らの死を見つめながら再び人生の再構築を試みる6組の男女の物語。
桜木紫乃作「情熱」を読みました。
桜木紫乃『情熱』は、パンデミック前後の日本を舞台に、北海道で生きる初老から高齢の男女が、人生の終盤に差しかかりながらも再出発や再構築を試みる姿を描いた短編集です。従来の桜木作品が「流れてきた者たちの焦燥と漂流」を主題にしていたのに対し、本作では人生の選択や諦念を経た後の穏やかな模索が中心となります。収録作は以下の六編。
第一話「兎に角」では、東京で報道カメラマンとして活躍しながら離婚を機に北海道に戻った牧村が、広告撮影の現場で40年ぶりに旧知の二葉と再会します。二人は少年少女時代を札幌の塾で共に過ごした仲でした。美容師として活動してきた二葉は、同性婚カップルの結婚写真撮影を牧村に依頼し、やがて彼を仕事の専属カメラマンに迎えます。二葉が事務所に飾った「ジャッカロープ」の頭骨は“兎に角やってみろ”という自身の信条の象徴であり、それに目を留めた牧村との縁は、かつて途切れた人生をつなぎ直すものとなります。
第二話「スターダスト」では、63歳の作曲家と古馴染みのディレクター河合が、衰えを自覚しつつも若手ディレクター糸井の企画に挑戦する話です。パンデミックで停滞する音楽界において、若手歌手飛島悠が新曲をぶっつけ本番で歌う企画に挑み、従来の情念演歌から脱却しようとします。録音では河合がサックス演奏で失敗しますが、仲間に支えられてなんとか演奏を終えます。打ち上げの後、河合はジャズバーで「スターダスト」を奏で、自分はまだ音楽家であると確かめます。老いを抱えつつもなお情熱を持ち続ける姿が印象的でした。
第三話「ひも」では、74歳のホスト朗人が、美容室経営者江里子に養われるヒモ生活を送っています。「朗人がボケたら関係解消」という約束を抱えながら暮らす中、江里子の娘美穂と名乗る女性が現れ、自分は江里子と生き別れた娘だ、ベトナム移住を前に別れを告げに来たと告げ、思わず朗人は彼女に金を。。。しかし江里子もまた朗人に、本来帰るべき場所があるのではないかと奥歯にものが挟まったような物言いをし、実は江里子の元にもまた。。。老境にあって、過去に断ち切ったはずの関係が思いがけず甦る“おかしなセレモニー”が描かれます。
第四話「グレーでいいじゃない」は、60歳で世を去ったジャズピアニスト・トニーの葬儀を契機に、かつての仲間や母であるピアノ教師が彼を語ります。神童と呼ばれたトニーは、母からクラシックの道を外れたことを許されず絶縁状態となったまま亡くなりました。かつて母は彼の演奏を一度だけ聴きに訪れ、厳しい言葉を残して去っていました。晩年トニーの最後のパートナーとなった紀和が奏でるアルトサックスの音に触れ、母は心の内を語り、最後にトニーと同じ言葉を口にしました。愛と断絶、許しの難しさが胸を打つ作品でした。
第五話「らっきょうとクロッカス」では、50歳で地方転勤を命じられた芙美の姿が描かれます。独身を貫き裁判所職員として出世街道を歩んできた彼女にとって、異動は大きな挫折であったのでした。別れの挨拶の為に芙美が会いに行った弁護士竹下は、亡き作家の妻を秘かに偲び続けていました。二人は互いに失ったものを抱えながらも、日常の中で寄り添い合います。芙美は“ふしだらな母親とは違う完璧な女でなければならない”という強迫から解き放たれ、竹下の助言により「百点を他人からもらう」生き方を受け入れていきます。
最終話「情熱」では、小説家島村が大学教授夏海と共に九州を訪れます。夏海は異色の経歴を持ち、14歳の頃に恋人から寺山修司の「思い出さないで」を贈られた過去を語ります。その男は早逝しましたが、島から出た夏海のその後を方向付けたのは実はすべてその男でした。島村は「思い出さないで」を読み、その一節「便所のマリア」から夏海の過去を知り、島村はその男のエピソードを通じて、自らの人生や老境の意味を省みます。与えられなかった“明日”をどう捉えるかが核心に置かれ、読後に深い余韻を残したと思いました。
本短編集は、人生の岐路を過ぎた男女が、自らの過去を振り返りながら新たな生の形を探す過程を描きます。登場人物はいずれも北海道に根ざした者たちであり、かつて流浪し焦燥を抱えていた者が故郷に戻り、諦めと和解の中で再び歩み始める姿が共通します。老いの切なさを抱えつつも、再生への微かな光を見出す――従来の桜木作品とは一線を画す、成熟した筆致が光る短編集で、大人の小説としてとても味わい深かったと思いました。
多少補足します。第五話を読まれた道民以外の読者さん方は、なぜ主人公達はこんなにビヤガーデンにこだわるのかと思われたと思います。しかし大抵の道民はこのイベントに大層思い入れがあるのです。試される大地北海道では夏のイベントが大層貧困であります。夏山登山すれば熊に襲われますし、ビーチに行っても海が寒くて泳げません。大通公園の緑地帯殆ど全部を使って開催されるこのビヤガーデンはそれは壮麗なもので、夏の北海道民の数少ない楽しみなのであります。道民は全道からバスを仕立てて大通り公園に集まるので、このようなイベントは他に例を見ないと思います。なんとも切ない話でありましょう?
北海道出身の作家さん達が北海道話にこだわるのは、そうした悲しくて切ない道民性を道民以外の人々が殆ど理解できないからではないかと思います。私はパンデミックに際して生まれて初めて夏休みに中標津を訪れましたが、その物悲しさに思わず涙ぐみそうになりました。空港からホテルまでの道中、田畑など全く無く、牧場以外の場所には樹木はおろか雑草すらまばらにしか生えていませんでした。先日訪れたハワイのラナイ島も同じようなものでしたが、ラナイ島は常夏の島ですが、中標津は真夏ですらうすら寒く、こんな土地を夢の土地だとだまされて入植しては夢破れて去って行った多くの開拓民達の苦労を思い知ったのでありました。
それでもこの小説の主人公達は北海道に帰ってくるのですね。そんな過酷な土地ではあっても故郷ですから。夏の終わりにゴルフをしていると頭の上を白鳥達が渡って行きます。それを見た道民ゴルファーは口々に「渡りだ」と呟くのです。夏にしか故郷で過ごせない鳥達を自らになぞらえているのだと思っていつも切なくそれを聞く私であったのでした。。。
桜木紫乃『情熱』は、パンデミック前後の日本を舞台に、北海道で生きる初老から高齢の男女が、人生の終盤に差しかかりながらも再出発や再構築を試みる姿を描いた短編集です。従来の桜木作品が「流れてきた者たちの焦燥と漂流」を主題にしていたのに対し、本作では人生の選択や諦念を経た後の穏やかな模索が中心となります。収録作は以下の六編。
第一話「兎に角」では、東京で報道カメラマンとして活躍しながら離婚を機に北海道に戻った牧村が、広告撮影の現場で40年ぶりに旧知の二葉と再会します。二人は少年少女時代を札幌の塾で共に過ごした仲でした。美容師として活動してきた二葉は、同性婚カップルの結婚写真撮影を牧村に依頼し、やがて彼を仕事の専属カメラマンに迎えます。二葉が事務所に飾った「ジャッカロープ」の頭骨は“兎に角やってみろ”という自身の信条の象徴であり、それに目を留めた牧村との縁は、かつて途切れた人生をつなぎ直すものとなります。
第二話「スターダスト」では、63歳の作曲家と古馴染みのディレクター河合が、衰えを自覚しつつも若手ディレクター糸井の企画に挑戦する話です。パンデミックで停滞する音楽界において、若手歌手飛島悠が新曲をぶっつけ本番で歌う企画に挑み、従来の情念演歌から脱却しようとします。録音では河合がサックス演奏で失敗しますが、仲間に支えられてなんとか演奏を終えます。打ち上げの後、河合はジャズバーで「スターダスト」を奏で、自分はまだ音楽家であると確かめます。老いを抱えつつもなお情熱を持ち続ける姿が印象的でした。
第三話「ひも」では、74歳のホスト朗人が、美容室経営者江里子に養われるヒモ生活を送っています。「朗人がボケたら関係解消」という約束を抱えながら暮らす中、江里子の娘美穂と名乗る女性が現れ、自分は江里子と生き別れた娘だ、ベトナム移住を前に別れを告げに来たと告げ、思わず朗人は彼女に金を。。。しかし江里子もまた朗人に、本来帰るべき場所があるのではないかと奥歯にものが挟まったような物言いをし、実は江里子の元にもまた。。。老境にあって、過去に断ち切ったはずの関係が思いがけず甦る“おかしなセレモニー”が描かれます。
第四話「グレーでいいじゃない」は、60歳で世を去ったジャズピアニスト・トニーの葬儀を契機に、かつての仲間や母であるピアノ教師が彼を語ります。神童と呼ばれたトニーは、母からクラシックの道を外れたことを許されず絶縁状態となったまま亡くなりました。かつて母は彼の演奏を一度だけ聴きに訪れ、厳しい言葉を残して去っていました。晩年トニーの最後のパートナーとなった紀和が奏でるアルトサックスの音に触れ、母は心の内を語り、最後にトニーと同じ言葉を口にしました。愛と断絶、許しの難しさが胸を打つ作品でした。
第五話「らっきょうとクロッカス」では、50歳で地方転勤を命じられた芙美の姿が描かれます。独身を貫き裁判所職員として出世街道を歩んできた彼女にとって、異動は大きな挫折であったのでした。別れの挨拶の為に芙美が会いに行った弁護士竹下は、亡き作家の妻を秘かに偲び続けていました。二人は互いに失ったものを抱えながらも、日常の中で寄り添い合います。芙美は“ふしだらな母親とは違う完璧な女でなければならない”という強迫から解き放たれ、竹下の助言により「百点を他人からもらう」生き方を受け入れていきます。
最終話「情熱」では、小説家島村が大学教授夏海と共に九州を訪れます。夏海は異色の経歴を持ち、14歳の頃に恋人から寺山修司の「思い出さないで」を贈られた過去を語ります。その男は早逝しましたが、島から出た夏海のその後を方向付けたのは実はすべてその男でした。島村は「思い出さないで」を読み、その一節「便所のマリア」から夏海の過去を知り、島村はその男のエピソードを通じて、自らの人生や老境の意味を省みます。与えられなかった“明日”をどう捉えるかが核心に置かれ、読後に深い余韻を残したと思いました。
本短編集は、人生の岐路を過ぎた男女が、自らの過去を振り返りながら新たな生の形を探す過程を描きます。登場人物はいずれも北海道に根ざした者たちであり、かつて流浪し焦燥を抱えていた者が故郷に戻り、諦めと和解の中で再び歩み始める姿が共通します。老いの切なさを抱えつつも、再生への微かな光を見出す――従来の桜木作品とは一線を画す、成熟した筆致が光る短編集で、大人の小説としてとても味わい深かったと思いました。
多少補足します。第五話を読まれた道民以外の読者さん方は、なぜ主人公達はこんなにビヤガーデンにこだわるのかと思われたと思います。しかし大抵の道民はこのイベントに大層思い入れがあるのです。試される大地北海道では夏のイベントが大層貧困であります。夏山登山すれば熊に襲われますし、ビーチに行っても海が寒くて泳げません。大通公園の緑地帯殆ど全部を使って開催されるこのビヤガーデンはそれは壮麗なもので、夏の北海道民の数少ない楽しみなのであります。道民は全道からバスを仕立てて大通り公園に集まるので、このようなイベントは他に例を見ないと思います。なんとも切ない話でありましょう?
北海道出身の作家さん達が北海道話にこだわるのは、そうした悲しくて切ない道民性を道民以外の人々が殆ど理解できないからではないかと思います。私はパンデミックに際して生まれて初めて夏休みに中標津を訪れましたが、その物悲しさに思わず涙ぐみそうになりました。空港からホテルまでの道中、田畑など全く無く、牧場以外の場所には樹木はおろか雑草すらまばらにしか生えていませんでした。先日訪れたハワイのラナイ島も同じようなものでしたが、ラナイ島は常夏の島ですが、中標津は真夏ですらうすら寒く、こんな土地を夢の土地だとだまされて入植しては夢破れて去って行った多くの開拓民達の苦労を思い知ったのでありました。
それでもこの小説の主人公達は北海道に帰ってくるのですね。そんな過酷な土地ではあっても故郷ですから。夏の終わりにゴルフをしていると頭の上を白鳥達が渡って行きます。それを見た道民ゴルファーは口々に「渡りだ」と呟くのです。夏にしか故郷で過ごせない鳥達を自らになぞらえているのだと思っていつも切なくそれを聞く私であったのでした。。。
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- 出版社:集英社
- ページ数:0
- ISBN:9784087700077
- 発売日:2025年07月04日
- 価格:1815円
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