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ぽんきち
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極楽浄土に行くか、現世に甦るか
現在の日本で、人の死後、死体はどうなるかというと、火葬が大多数である。2020年代には99.9%が火葬されているという。火葬後は、少し前までは、「家の墓」に入る例が多かっただろうが、近年は合祀墓や納骨堂、樹木葬など、多様化しつつある。
昔から火葬で家の墓という形が普通だったかといえばそうではない。
では、古来、日本の葬送はどのようなものであったか、その変遷と日本人の死生観にはかかわりがあるかを考察するのが本書である。

著者は歴史学・民俗学の研究者。
葬式に限らず、庶民の歴史は記録に残りにくい側面がある。本書では、権力者の葬送とともに、庶民の葬送についても考察している。
大まかには、日本では中世後期までに火葬が浸透したが、近世はじめから、一部は火葬の継続があったものの土葬への回帰があり、現代は再び火葬に転じた、という流れである。一部、火葬が残ったのは、近畿から北陸にかけての浄土真宗門徒の間であり、こうした集落ではサンマイ(三昧)と呼ばれる共通の火葬場を持った。個人や家の墓がある地域とない地域があり、ない場合には、一部収骨し、残りは決められた場所に放棄するなどする。拾った骨は本山に納める。墓のある場合は、拾った骨(多くはやはり主なもの)を2つまたは3つに分け、1つは墓に納め、2つの場合はもう1つを本山に、3つの場合は本山と檀那寺に納める。
著者は火葬後の寺院納骨を仏や聖人との一体化、それによる西方極楽往生の願いを意味していると考察している。
(*この話、少々驚いた。私は新潟県出身で実家は浄土真宗だが、本山に骨を納めるという話は聞いたことがない。本書で出てくる事例は北陸でも石川かほくあたりまでで、新潟となると京都から遠すぎたのかもしれない。)

記録上、日本で最も古い火葬は700年、玄奘に師事した後、帰国した僧、道照のものだという。二番目が持統天皇。このあたりは仏教とのかかわりを連想させる。
持統天皇に続き、3代の天皇も火葬であったが、その後、8世紀半ばから土葬が優勢となり、10世紀以降、再び火葬が多くなる。火葬が徐々に浸透していくにつれ、時代が下ると寺院納骨の形が出てくる。浄土思想と組み合わされて、火葬され寺に納められるのが最も丁寧な死者供養の形となっていくわけである。
本書でそう述べられているわけではないが、火葬され、煙となって空へ登っていくというのは極楽浄土へ行くこととイメージ的にも結び付けやすいようには思う。

対して、土葬はといえば、現世への再生や輪廻転生への逆戻りを連想させる。著者は中世の口承文学『小栗判官』を例に挙げる。謀略で殺された小栗判官と家臣。閻魔は彼らを娑婆に戻そうとする。小栗は土葬、しかし家臣らは火葬されていた。このため、小栗のみ娑婆に戻ることができた、というものだ(とはいえ、完全な身体を持つものではなく、「餓鬼」としてなのだが)。
近世、天皇・大名・武家は火葬を停止する。徳川将軍家では遺体を地下の石室に納めた。家康は日光東照宮に「遷座」して神とされた。
天皇家も葬儀は仏教によって行うが、土葬へと回帰した。

庶民の変遷は地域性による部分もあり、さまざまで、上位階級と同様に土葬への転換が行われた例、そもそも火葬への転換がなく土葬が続いていた例、先に触れた火葬が続いていた例が混在していた。

現在、仏教系の葬儀で極楽浄土へと言いながらも、お盆にご先祖様の魂が帰ってくると言ったりするのは、あるいはこうした土葬と火葬を行き来した名残であるのかもしれない。そう思うとなかなか興味深い。
今後、弔いの形は時代に合わせて変化していくのだろうが、死者を悼む気持ちがあれば、結局のところ、「形」にさほどこだわることもないのかなという気もする。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1831 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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この書評へのコメント

  1. ゆうちゃん2025-07-29 13:38

    うちも浄土真宗です。祖父と父の幼い頃は富山で過ごしたそうで、北陸出身です。
    両親を亡くして、初めて浄土真宗だと聞きましたが、例えば浄土真宗では戒名の付け方が1通り(男女を含めると2通り)しかないとか、卒塔婆がないとか色々知りました。とは言え、付け焼刃である面は否めません。こちらの書評を拝読して「墓のある場合は、拾った骨を2つまたは3つに分け、1つは墓に納め、2つの場合はもう1つを本山に、3つの場合は本山と檀那寺に納める」には僕も驚きました。うちは檀那寺は富山にあるらしいですが、神奈川県にいる僕は、こちらで同じ宗派のお寺にお葬式や四十九日、一回忌をあげてもらいました。お坊さんとはそれなりに親しくなりましたので、三回忌の時にはこの習慣について訊いてみようと思います。

  2. ぽんきち2025-07-29 13:12

    ゆうちゃんさん

    コメントありがとうございます☆

    私、進学で家を出て、それっきり故郷で暮らしておらず、元々信仰心も薄いので(^^;)、葬式の風習もいまいちよくわかっていません。
    が、少なくとも祖父母や父のお骨を本山に、という話はまったく出なかったので、本山に納骨することは、実家の寺では「あたりまえ」というほどではないと思います。

    ググってみたら、「本山納骨」というのは、浄土真宗が有名ではあるものの、他宗でもすることはあるようです。
    https://guide.e-ohaka.com/info/honzannoukotsu/
    信仰的な側面(本山なら宗祖の傍で安心)もあり、本山に全て納めてしまう場合には墓を持たなくてもよいという経済的な側面もあり、という感じなのでしょうかね。

    こういう慣習的な話は集落単位・お寺単位でも違いそうな気がします。

  3. No Image

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