休蔵さん
レビュアー:
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ウミガメを軸にさまざまな話題が提供されている1冊。いまのクマ問題を考えるうえでもヒントになりそうな話題も含まれていると思う。
ウミガメは水族館でしか見たことがなく、それもチャンスは相当に限られていた。
本書を手にしたのはたまたまだったけど、ウミガメだけの話ではなく、行政のあり方や教育についての考えなど幅広い話題が提供されていた。
著者は鹿児島大学水産学部を卒業してから名古屋鉄道(株)に入社。
南知多ビーチランド、八重山海中研究所を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科で学位を取得したとのこと。
そして、河合塾(生物講師)、日本ウミガメ協議会(会長)、東京大学大学院農学生命学研究科生圏システム学専攻(客員教授)、神戸市立須磨海浜水族館(園長)、岡山理科大学生物地球学部(教授)を歴任とのこと。
そんな経歴だからこその話題の幅広さと納得がいった。
本書は大きく4つの章からなる。
第1章 砂浜のはなし
第2章 ウミガメのはなし
第3章 ウミガメとヒトのはなし
第4章 鹿児島のはなし
砂浜はウミガメが繁殖するために必要不可欠であることは言うに及ぶまい。
産卵場として無くてはならない存在だ。
でも、世の中はウミガメのためだけに動いていない。
むしろ、ヒトのために動かされている。
船舶を呼び寄せるために港湾を整備するとなると、その場所を大きく掘り下げるという。
すると、そこへ周辺から砂が流れ込む。
周囲のビーチはあっという間に姿を消していくという。
砂が無くなるのを防ぐため、突堤を築くことになるそうだが、そうなると均衡が崩れていよいよ砂浜が瘦せていくそうだ。
行政サイドはそんなことまで想定しないから、対応は常に後手後手とのこと。
ウミガメの調査は各地のウミガメ屋に支えられているという。
むかしは教員がその役割を果たすことも多かったようだ。
子どもたちに孵化したウミガメの足跡の数を数えさせる取り組みを続ける先生もいたとのこと。
それを数十年繰り返すと、とんでもない数のデータが蓄積することになる。
総合的学習の時間なるものを改めて立ち上げなくても、そんな授業を自由にできる時代があり、場所が日本にもあったのだ。
今はどうか?
教科書だけではよくないと、タブレットを配布してネットを駆使した授業が良しとされるようになった。
調べる対象もネットから見つけ出し、ネット内で完結。
そんな本物の教育の場も、無知な大人が関わるとろくなことにならないようだ。
ウミガメはいろんなビーチに産卵する。
孵化する性別は砂の温度に左右されるため、1か所に偏っては性別に著しい偏りが生じてしまいかねない。
それも本能的に避けているのだろうか。
もちろん、物理的な危険の回避という意味ありもあるだろう。
しかし、そんなウミガメ本来の生態を無視した自分勝手な保護の取り組みが実際にあるようだ。
それは卵を1か所に移植して、孵化したら一斉に放流するというもの。
性別は特定にものに偏り、天敵たちは孵化したウミガメを1か所で待ち受ければディナーにありつけるということになる。
自己満足は自然を崩壊させてしまいかねない。
本書はさまざまな話題を提供する。
文章の端々に行政への不信感や現代教育への不満がうかがえる。
しかし、行政のすべてを否定するわけではなく、鹿児島県ウミガメ保護条例を誇りに思うと紹介する。
それはウミガメの卵を高値で取り引きしようとする輩からの保護を目的としたもの。
1970年代、吹上浜にはウミガメの卵についての暗黙のルールがあった。
それは見つけて「カメ」と小さく叫んだ者が総取の権利を持つというもの。
そして、権利者は半分だけをいただくという。
そんな卵は東京で1個1000円という高値で販売されていたそうだ。
1回の産卵数は1000個にもなるから、1か所見つければ10万円の売り上げとなる。
そんなわけで他所からきた業者が総採りするという事態になったとのこと。
それを防ぐために作られた条例で、「ウミガメを捕獲してはならない」、「ウミガメの卵を採取してはならない」という簡単なもの。
法令とは単純明快なものが良い。
集落に出没するクマについても単純明快なルールができれば良いのに。
行政にわざわざ電話してくる人がゼロになるように。
自然保護のあり方・考え方について、本書から学べることは相当に多いはず。
本書を手にしたのはたまたまだったけど、ウミガメだけの話ではなく、行政のあり方や教育についての考えなど幅広い話題が提供されていた。
著者は鹿児島大学水産学部を卒業してから名古屋鉄道(株)に入社。
南知多ビーチランド、八重山海中研究所を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科で学位を取得したとのこと。
そして、河合塾(生物講師)、日本ウミガメ協議会(会長)、東京大学大学院農学生命学研究科生圏システム学専攻(客員教授)、神戸市立須磨海浜水族館(園長)、岡山理科大学生物地球学部(教授)を歴任とのこと。
そんな経歴だからこその話題の幅広さと納得がいった。
本書は大きく4つの章からなる。
第1章 砂浜のはなし
第2章 ウミガメのはなし
第3章 ウミガメとヒトのはなし
第4章 鹿児島のはなし
砂浜はウミガメが繁殖するために必要不可欠であることは言うに及ぶまい。
産卵場として無くてはならない存在だ。
でも、世の中はウミガメのためだけに動いていない。
むしろ、ヒトのために動かされている。
船舶を呼び寄せるために港湾を整備するとなると、その場所を大きく掘り下げるという。
すると、そこへ周辺から砂が流れ込む。
周囲のビーチはあっという間に姿を消していくという。
砂が無くなるのを防ぐため、突堤を築くことになるそうだが、そうなると均衡が崩れていよいよ砂浜が瘦せていくそうだ。
行政サイドはそんなことまで想定しないから、対応は常に後手後手とのこと。
ウミガメの調査は各地のウミガメ屋に支えられているという。
むかしは教員がその役割を果たすことも多かったようだ。
子どもたちに孵化したウミガメの足跡の数を数えさせる取り組みを続ける先生もいたとのこと。
それを数十年繰り返すと、とんでもない数のデータが蓄積することになる。
総合的学習の時間なるものを改めて立ち上げなくても、そんな授業を自由にできる時代があり、場所が日本にもあったのだ。
今はどうか?
教科書だけではよくないと、タブレットを配布してネットを駆使した授業が良しとされるようになった。
調べる対象もネットから見つけ出し、ネット内で完結。
そんな本物の教育の場も、無知な大人が関わるとろくなことにならないようだ。
ウミガメはいろんなビーチに産卵する。
孵化する性別は砂の温度に左右されるため、1か所に偏っては性別に著しい偏りが生じてしまいかねない。
それも本能的に避けているのだろうか。
もちろん、物理的な危険の回避という意味ありもあるだろう。
しかし、そんなウミガメ本来の生態を無視した自分勝手な保護の取り組みが実際にあるようだ。
それは卵を1か所に移植して、孵化したら一斉に放流するというもの。
性別は特定にものに偏り、天敵たちは孵化したウミガメを1か所で待ち受ければディナーにありつけるということになる。
自己満足は自然を崩壊させてしまいかねない。
本書はさまざまな話題を提供する。
文章の端々に行政への不信感や現代教育への不満がうかがえる。
しかし、行政のすべてを否定するわけではなく、鹿児島県ウミガメ保護条例を誇りに思うと紹介する。
それはウミガメの卵を高値で取り引きしようとする輩からの保護を目的としたもの。
1970年代、吹上浜にはウミガメの卵についての暗黙のルールがあった。
それは見つけて「カメ」と小さく叫んだ者が総取の権利を持つというもの。
そして、権利者は半分だけをいただくという。
そんな卵は東京で1個1000円という高値で販売されていたそうだ。
1回の産卵数は1000個にもなるから、1か所見つければ10万円の売り上げとなる。
そんなわけで他所からきた業者が総採りするという事態になったとのこと。
それを防ぐために作られた条例で、「ウミガメを捕獲してはならない」、「ウミガメの卵を採取してはならない」という簡単なもの。
法令とは単純明快なものが良い。
集落に出没するクマについても単純明快なルールができれば良いのに。
行政にわざわざ電話してくる人がゼロになるように。
自然保護のあり方・考え方について、本書から学べることは相当に多いはず。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
この書評へのコメント

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- 出版社:南方新社
- ページ数:0
- ISBN:9784861245213
- 発売日:2025年03月01日
- 価格:1980円
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