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祐太郎さん
祐太郎
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少しでも早く食べたいという庶民の気持ちと関東大震災と太平洋戦争が江戸前(風握り)すしを全国に広げさせた。
回転すしから銀座の高級すし店までさまざまな「すし」がある日本。アラフィフの私にとって、子どものころに暖簾のかかったすし屋に連れて行ってもらうことはなく、小僧寿しでテイクアウトするか、かっぱ寿司にたまに行くぐらいだった。それでもすしを食べることは大きな喜びだった。

小僧寿しや回転すしは、戦後の高度経済成長で接待の場所として高価格化が進んでいたすし業界(戦前からの屋台は消滅)へのカウンターだったわけだが、もとをただせば、江戸時代末期以降、すしは屋台で比較的安価に提供されてきた。屋台という形態になったとき、すし自体もおおきな変化を遂げた。

すしは、滋賀県のフナすしのように発酵すしとして日本ではその歴史をスタートさせた。フナすしのような古くからあるすしでは、コメは発酵のために使うので、食べるのではなく廃棄していた。それが発酵の熟度を抑えることでコメもたべられるようになり、さらに発酵ではなく「酢」をつかうことで、出来上がりまでの時間が大幅に短縮。発酵が作り上げた「酸っぱさ」だけがすしに残ることとなった。そして、生まれたのが上方の箱すしであり、葉で包んだ柿の葉すしであり、江戸の屋台で起こった握りすしであった。

そこまでなら江戸のすしで終わったはずだが、全国に広がった転機が二つ。一つ目は関東大震災。多くの東京人が職人も含めて地方に避難し、江戸前ずしを広げた。そして二つ目が太平洋戦争の敗北。戦後、政府は「飲食営業緊急措置法」を出し、許可されていない飲食店でのコメの提供を禁じた。しかし、東京のすし屋はその対象から外れた。理由は
すし屋には自分で米を持ってきて、「それをすしに握ってくれ」と頼む客がいる。わたしたちはすしに握ってやることで報酬をもらう(略)すし屋や飲食店ではなく加工業なのだ」

という論理(委託加工制度)を作り上げたのだ。これが全国に広まり、廃止されるまでの2年間、全国で握りすしばかりが作られた。これが今の握りすし全盛の基盤となったという。

ところで「鮨」「鮓」「寿司」という漢字がある。「寿司」が当て字なのはわかるけれど、「鮨」と「鮓」の違いとは。太古は違いがったそうだ。「鮨」は魚の塩辛。「鮓」は魚と米と塩で発酵させたものと明確に分かれいた。その文字がコメ文化の少ない華北の(三国志の)魏の学者が一緒にしてしまったことから原因とのこと。

日本におけるすしの歴史が非常にコンパクトにまとまっている良書。
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祐太郎
祐太郎 さん本が好き!免許皆伝(書評数:2353 件)

片道45分の通勤電車を利用して読書している
アラフィフ世代の3児の父。

★基準
★★★★★:新刊(定価)で買ってでも満足できる本
★★★★:新古書価格・kindleで買ったり、図書館で予約待ちしてでも満足できる本
★★★:100均価格で買ったり図書館で何気なくあって借りるなら満足できる本
★★:どうしても本がないときの時間つぶし程度ならいいのでは?
★:う~ん
★なし:雑誌などの一言書評

※仕事関係の本はすべて★★★で統一します。

プロフィールの画像はうちの末っ子の似顔絵を田中かえが描いたものです。
2024年3月20日更新

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