星落秋風五丈原さん
レビュアー:
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民権ばあさんと呼ばれた楠瀬喜多の生涯
幕末、勤王攘夷論で盛り上がったのは薩摩、長州、土佐、肥前である。中でも土佐はあの有名な坂本龍馬を生んだ。にも拘わらず、明治政府が始まると、薩長閥と言われる薩摩、長州が幅を利かせるようになり、土佐や肥前は地盤沈下に陥り、土佐では自由民権運動が盛んになった。その中で存在感を発揮したのは、板垣退助だ。特徴のある髭と、暴漢に襲われた際に言った「板垣死すとも自由は死せず」は、あまりにも有名である。
門井慶喜の小説『自由は死せず』では、幼い頃実父に虐待を受けていた設定になっているが、本編ではディスレクシアであることを隠しているため、やはり若干の昏さはある。とはいっても本編の主人公は、彼ではなく、朝の連続テレビドラマ『らんまん』で島崎和歌子さんが演じていた楠瀬喜多だ。しかも、退助が思いを寄せた相手なので、堂々ヒロイン枠だ。
冒頭シーンは、前参議の退助も同席する議会で、女性ということで卑下されながら喜多が演説する。明治時代は士農工商という身分が撤廃され、四民平等と言われた。自由闊達な空気が広まったかと喪えば、女性に対しては、逆に窮屈になった。江戸時代までは女性天皇が存在したが、明治以降は、法律で女性が天皇になることが禁じられた。近年においても、もし男性皇族が多ければ、女性天皇論は浮上しなかったはずだ。男尊女卑の空気が広まりゆく中、女性戸主として幼い甥を盛り立てていく喜多は、”民権ばあさん”と呼ばれた。“ばあさん”は、決して親しみやすさだけの呼称ではないだろう。税金を払っているのに議会での発言権がない事に憤った喜多は、揶揄する男性たちを前に、持論を堂々と述べる。
史実では、退助と喜多、二人の接点は残っていない。本作では、喜多の夫楠瀬実が、子供の頃から退助に付き従ってきたという設定にしてあるため、学校に通っていたころから三人が知り合いだったことになっている。土佐の乱暴者で鳴らした退助を、当初は喜多も嫌っていたが、次第に彼の人を分け隔てしない性格や、強い信念に共鳴していく。また退助も、自分よりも賢い喜多を認め、ストレートに愛を告白し、やがて同志愛で結ばれる。
主要脇役として、坂本龍馬の姉乙女が登場する。本編では少女時代から―とめ、長じて独と名乗る―として、喜多の学友となる。龍馬も登場するが、断然彼より出番が多い。思うことをなんでも口にする、恐れを知らぬ女性であり、龍馬への愛情はひとしおで、奇禍にあった彼の妻りょうを保護する。多くの歴史ファンにとっては、龍馬が亡くなった時点で物語が終わったように見えているが、その後も乙女やりょうたちの人生は続くのだ。今年は昭和100年だという。明治からはもっと月日が経っている。あまりにも遅い男女平等の歩みを、喜多はどのように見ているだろうか。
門井慶喜の小説『自由は死せず』では、幼い頃実父に虐待を受けていた設定になっているが、本編ではディスレクシアであることを隠しているため、やはり若干の昏さはある。とはいっても本編の主人公は、彼ではなく、朝の連続テレビドラマ『らんまん』で島崎和歌子さんが演じていた楠瀬喜多だ。しかも、退助が思いを寄せた相手なので、堂々ヒロイン枠だ。
冒頭シーンは、前参議の退助も同席する議会で、女性ということで卑下されながら喜多が演説する。明治時代は士農工商という身分が撤廃され、四民平等と言われた。自由闊達な空気が広まったかと喪えば、女性に対しては、逆に窮屈になった。江戸時代までは女性天皇が存在したが、明治以降は、法律で女性が天皇になることが禁じられた。近年においても、もし男性皇族が多ければ、女性天皇論は浮上しなかったはずだ。男尊女卑の空気が広まりゆく中、女性戸主として幼い甥を盛り立てていく喜多は、”民権ばあさん”と呼ばれた。“ばあさん”は、決して親しみやすさだけの呼称ではないだろう。税金を払っているのに議会での発言権がない事に憤った喜多は、揶揄する男性たちを前に、持論を堂々と述べる。
史実では、退助と喜多、二人の接点は残っていない。本作では、喜多の夫楠瀬実が、子供の頃から退助に付き従ってきたという設定にしてあるため、学校に通っていたころから三人が知り合いだったことになっている。土佐の乱暴者で鳴らした退助を、当初は喜多も嫌っていたが、次第に彼の人を分け隔てしない性格や、強い信念に共鳴していく。また退助も、自分よりも賢い喜多を認め、ストレートに愛を告白し、やがて同志愛で結ばれる。
主要脇役として、坂本龍馬の姉乙女が登場する。本編では少女時代から―とめ、長じて独と名乗る―として、喜多の学友となる。龍馬も登場するが、断然彼より出番が多い。思うことをなんでも口にする、恐れを知らぬ女性であり、龍馬への愛情はひとしおで、奇禍にあった彼の妻りょうを保護する。多くの歴史ファンにとっては、龍馬が亡くなった時点で物語が終わったように見えているが、その後も乙女やりょうたちの人生は続くのだ。今年は昭和100年だという。明治からはもっと月日が経っている。あまりにも遅い男女平等の歩みを、喜多はどのように見ているだろうか。
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2005年より書評業。外国人向け情報誌の編集&翻訳、論文添削をしています。生きていく上で大切なことを教えてくれた本、懐かしい思い出と共にある本、これからも様々な本と出会えればと思います。
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- ページ数:0
- ISBN:9784591157992
- 発売日:2025年02月19日
- 価格:2420円
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