三太郎さん
レビュアー:
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金井美恵子の作家論・読者論。
金井美恵子さんの若い頃の小説を読んではまってしまい、行きつけの古本屋で彼女の小説を何冊かまとめて買ったのですが、ついでにこの「小説論」も購入しました。
1987年に上梓された著者が40歳ごろの本ですが、岩波市民セミナーでの3回の講演を纏めたものだとか。
一回目の題目は「小説は読まれなくなったのか?」です。この問いはまずどんな小説を考えているのか、によって答えは変わりそうです。真面目な作家なら「現代から近未来への社会の進み行きについて、想像力的なモデルをつくる」のが小説だと考えるのだとか。(でもバブル経済の絶頂期にこんな設問をしても読みたい人がいないのは当然だったかも。)
三島由紀夫の小説論が紹介されますが、これは読者に対して作者が徹底して優位に立つものでした。小説の条件の第一は「言語表現による最終完結性をもつ」ことで、読むことは完全に従属的で読者が作品に参加する余地はなさそうです。(そういった作者が偉そうな小説なら読まれなくなっても不思議ないのかもね。)
ここで金井は1950年に作家のナボコフが米国の大学で行った講義でのあるクイズを紹介します。次の命題は良い読者になるために正しいかどうかを訊ねます。その命題は「読者はその性別に従って、男主人公あるいは女主人公と一体にならねばならない」でした。
答えは当然「否」ですが、読者の中には(それが作家であっても)女性は女性の登場人物に感情移入して小説を読むのが当然と思っている人が多いとか。でもこれだと女性は男性の登場人物については読めないし、逆に男性が女性の登場人物については読めないことになってしまいます。それでは小説を読むには不完全でしょう。良い読者とは想像力をもつ読者だとナボコフは言っています。
小説の読者は男性・女性の二元法ではなくて、想像力によってそのどちらでもないn次元の性を持てるのだと金井さんは言います。
小説から何かテーマを読み取らねばならないのか、という問いもあります。金井さんはテーマ性のある小説は文章がつまらないというようなことを書いています。ロラン・バルトは小説を読むことは「快楽」だとはっきり書いているとか。本から何かしら有益な知識を得るというのは小説の読み方ではないようです。小説の内容と関係なさそうな子細なことを読み飛ばしては小説は楽しめません。
二日目の題目は「新しい小説・古い小説」です。若い作家は19世紀や終戦直後の古い書物よりも同時代に注目されている小説を読み、そこからアイデアを得ているのだが、文芸評論家はトレンドをまるで知らない、というようなことが書かれています。金井さんは評論家に対して厳しい見方をしていますね。
三日目の題目は「物語と大衆文化」です。金井さんは山田風太郎が好きなのだとか。日本文学の私小説的自然主義や小林秀雄流の天才崇拝のロマン主義的伝統がありますが、金井さんはこれらはお好きではなさそうです。
小説家がなぜ小説を書くかという問いに対しては「小説を読んだから書くのだ」というのが正しい答えだとか。あらゆる小説は前に書かれた小説の模倣だといいます。
小説は何を書いてもよいのですが、「キャッチフレーズ」を書いてはいけない、あるいは小説からキャッチフレーズを読み取ろうとしてはいけない、というのが取り敢えずの結論のようでした。
1987年に上梓された著者が40歳ごろの本ですが、岩波市民セミナーでの3回の講演を纏めたものだとか。
一回目の題目は「小説は読まれなくなったのか?」です。この問いはまずどんな小説を考えているのか、によって答えは変わりそうです。真面目な作家なら「現代から近未来への社会の進み行きについて、想像力的なモデルをつくる」のが小説だと考えるのだとか。(でもバブル経済の絶頂期にこんな設問をしても読みたい人がいないのは当然だったかも。)
三島由紀夫の小説論が紹介されますが、これは読者に対して作者が徹底して優位に立つものでした。小説の条件の第一は「言語表現による最終完結性をもつ」ことで、読むことは完全に従属的で読者が作品に参加する余地はなさそうです。(そういった作者が偉そうな小説なら読まれなくなっても不思議ないのかもね。)
ここで金井は1950年に作家のナボコフが米国の大学で行った講義でのあるクイズを紹介します。次の命題は良い読者になるために正しいかどうかを訊ねます。その命題は「読者はその性別に従って、男主人公あるいは女主人公と一体にならねばならない」でした。
答えは当然「否」ですが、読者の中には(それが作家であっても)女性は女性の登場人物に感情移入して小説を読むのが当然と思っている人が多いとか。でもこれだと女性は男性の登場人物については読めないし、逆に男性が女性の登場人物については読めないことになってしまいます。それでは小説を読むには不完全でしょう。良い読者とは想像力をもつ読者だとナボコフは言っています。
小説の読者は男性・女性の二元法ではなくて、想像力によってそのどちらでもないn次元の性を持てるのだと金井さんは言います。
小説から何かテーマを読み取らねばならないのか、という問いもあります。金井さんはテーマ性のある小説は文章がつまらないというようなことを書いています。ロラン・バルトは小説を読むことは「快楽」だとはっきり書いているとか。本から何かしら有益な知識を得るというのは小説の読み方ではないようです。小説の内容と関係なさそうな子細なことを読み飛ばしては小説は楽しめません。
二日目の題目は「新しい小説・古い小説」です。若い作家は19世紀や終戦直後の古い書物よりも同時代に注目されている小説を読み、そこからアイデアを得ているのだが、文芸評論家はトレンドをまるで知らない、というようなことが書かれています。金井さんは評論家に対して厳しい見方をしていますね。
三日目の題目は「物語と大衆文化」です。金井さんは山田風太郎が好きなのだとか。日本文学の私小説的自然主義や小林秀雄流の天才崇拝のロマン主義的伝統がありますが、金井さんはこれらはお好きではなさそうです。
小説家がなぜ小説を書くかという問いに対しては「小説を読んだから書くのだ」というのが正しい答えだとか。あらゆる小説は前に書かれた小説の模倣だといいます。
小説は何を書いてもよいのですが、「キャッチフレーズ」を書いてはいけない、あるいは小説からキャッチフレーズを読み取ろうとしてはいけない、というのが取り敢えずの結論のようでした。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:0
- ISBN:9784000035040
- 発売日:1987年10月30日
- 価格:3円
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