ウロボロスさん
レビュアー:
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2011年の東日本大震災からしばらくして被災地からラジオ局に「アンパンマンのマーチ」のリクエストが殺到したという。
「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」「もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」──終戦直後に悩みぬいて出した自分なりの答えを、嵩はパンを届けるおじさんに託したのだ。──本文より引用。
私の二人の息子が幼い頃にアンパンマンの絵本を手にしたことはあったように記憶しているが読み聞かせをした記憶はない。妻がしていたような気もするが……さだかではない。
NHKの朝の連ドラもほとんど関心がなく過ごしてきた。しかし今放送のドラマは、やなせたかしの奥さんである暢(のぶ)をヒロインとしたものだそうでこれには大いに注目しているがどうも内容はかなり脚色があるようだ。
私としては梯久美子のこの本に忠実にノンフィクションとしてドラマ化して欲しかった。それはさておきこの本は、著者のデビュー作の『散るぞ悲しき』に匹敵する家族愛への思いと理不尽に戦争に巻き込まれて命を落とした無辜の大衆への無念の思いに何とかして寄り添おうという著者の偽りのない無垢な情熱が静かに厳かにつたわってくる。
著者はかつて『詩とメルヘン』編集者として、やなせたかしのもとで働き、晩年まで親交があったそうだ。以下のインタビューでその想いを正直に吐露している。
「この伝記を書くことでアンパンマンの哲学にふれ、改めて氏に出会い直した気がしています。少しでも本の価格を安くしたいと思い、出版社にお願いして文庫書下ろしという形にしてもらいました。幅広い読者に、このちいさな本が届くことを願っています。」
この伝記を読むまでアンパンマンの作者であるやなせたかしのことを殆ど知らなかった。
戦後に中国大陸から復員してからのやなせたかしの波乱万丈の人生は、おおくの人々との出遭いが深くかかわっている。いずみたく、永六輔、宮城まり子、吉行淳之介、水森亜土、そして手塚治虫……さらにサンリオ創業者の辻信太郎。
最後は、里中満智子。最愛の妻である暢が癌に侵され、途方にくれたやなせに手を差しのべたのが、本人も子宮癌を患った里中満智子であった。ほとんど童謡には関心のなかった私でさえ無意識に未だに口ずさむことのできる『手のひらを太陽に』の作詞者がやなせたかしであった。この本を読むまで知らなかった。
さまざまな人との繋がりがやなせたかしの人生を動かした。なかでも辻信太郎との出会いがターノングポイントとなったのではないか?
山梨シルクセンター(後のサンリオ)の創業者である辻信太郎が気に入ったやなせの詩集『愛する歌』のなかに「ちいさなテノヒラでも」というのがある。この詩がやなせたかしという人間のちいさなしかし芯の強いマキシムとなってその後の人生を歩むことになる。
ちいさなテノヒラでも
しあわせはつかめる
ちいさなこころにも
しあわせはあふれる
私の指をしめらせて
こんなに雨はふるけれど
にぎしりしめた手のなかに
ほんのちいさなしあわせがある
2011年の東日本大震災からしばらくして被災地からラジオ局に「アンパンマンのマーチ」のリクエストが殺到したという。避難所で大合唱する子どもの姿に、92歳だったやなせは感動し、94歳で亡くなるまで、復興のために力を尽くしたそうである。ところでこの伝記の作者の梯久美子さんも雑誌の取材で信州の小説家の丸山健二と面会し丸山に勧められて書いたのが『栗林忠道 散るぞ悲しき』でした。この出会いがなければその後の人生は、どうなっていたかわからないでしょう?「丸山健二」と「やなせたかし」という一見すると交わることのない正反対の二人であるが私の中では梯久美子という稀有な伝記作家によって一つに繋がったのである。それは一人は孤高の中から、もう片方は小さな他者との連帯の中から真の自由と正義を追求するその姿勢において……。
私の二人の息子が幼い頃にアンパンマンの絵本を手にしたことはあったように記憶しているが読み聞かせをした記憶はない。妻がしていたような気もするが……さだかではない。
NHKの朝の連ドラもほとんど関心がなく過ごしてきた。しかし今放送のドラマは、やなせたかしの奥さんである暢(のぶ)をヒロインとしたものだそうでこれには大いに注目しているがどうも内容はかなり脚色があるようだ。
私としては梯久美子のこの本に忠実にノンフィクションとしてドラマ化して欲しかった。それはさておきこの本は、著者のデビュー作の『散るぞ悲しき』に匹敵する家族愛への思いと理不尽に戦争に巻き込まれて命を落とした無辜の大衆への無念の思いに何とかして寄り添おうという著者の偽りのない無垢な情熱が静かに厳かにつたわってくる。
著者はかつて『詩とメルヘン』編集者として、やなせたかしのもとで働き、晩年まで親交があったそうだ。以下のインタビューでその想いを正直に吐露している。
「この伝記を書くことでアンパンマンの哲学にふれ、改めて氏に出会い直した気がしています。少しでも本の価格を安くしたいと思い、出版社にお願いして文庫書下ろしという形にしてもらいました。幅広い読者に、このちいさな本が届くことを願っています。」
この伝記を読むまでアンパンマンの作者であるやなせたかしのことを殆ど知らなかった。
戦後に中国大陸から復員してからのやなせたかしの波乱万丈の人生は、おおくの人々との出遭いが深くかかわっている。いずみたく、永六輔、宮城まり子、吉行淳之介、水森亜土、そして手塚治虫……さらにサンリオ創業者の辻信太郎。
最後は、里中満智子。最愛の妻である暢が癌に侵され、途方にくれたやなせに手を差しのべたのが、本人も子宮癌を患った里中満智子であった。ほとんど童謡には関心のなかった私でさえ無意識に未だに口ずさむことのできる『手のひらを太陽に』の作詞者がやなせたかしであった。この本を読むまで知らなかった。
さまざまな人との繋がりがやなせたかしの人生を動かした。なかでも辻信太郎との出会いがターノングポイントとなったのではないか?
山梨シルクセンター(後のサンリオ)の創業者である辻信太郎が気に入ったやなせの詩集『愛する歌』のなかに「ちいさなテノヒラでも」というのがある。この詩がやなせたかしという人間のちいさなしかし芯の強いマキシムとなってその後の人生を歩むことになる。
ちいさなテノヒラでも
しあわせはつかめる
ちいさなこころにも
しあわせはあふれる
私の指をしめらせて
こんなに雨はふるけれど
にぎしりしめた手のなかに
ほんのちいさなしあわせがある
2011年の東日本大震災からしばらくして被災地からラジオ局に「アンパンマンのマーチ」のリクエストが殺到したという。避難所で大合唱する子どもの姿に、92歳だったやなせは感動し、94歳で亡くなるまで、復興のために力を尽くしたそうである。ところでこの伝記の作者の梯久美子さんも雑誌の取材で信州の小説家の丸山健二と面会し丸山に勧められて書いたのが『栗林忠道 散るぞ悲しき』でした。この出会いがなければその後の人生は、どうなっていたかわからないでしょう?「丸山健二」と「やなせたかし」という一見すると交わることのない正反対の二人であるが私の中では梯久美子という稀有な伝記作家によって一つに繋がったのである。それは一人は孤高の中から、もう片方は小さな他者との連帯の中から真の自由と正義を追求するその姿勢において……。
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これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:文藝春秋
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- ISBN:B0DY1D6GL6
- 発売日:2025年03月05日
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