hackerさん
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ひと目で藤田嗣治の手になるものと分かる表紙です。これって、すごいことですよね。
1950年刊の本書は、藤田嗣治(1886-1968)が、アメリカの詩人エリザベス・コーツワース(1893-1986)とコラボしたものです。本書の帯には、次のように書かれています。
「73年前のこと、戦後日本からフランスへ戻る旅の途中、NYで過ごした藤田嗣治は、児童文学者で詩人のエリザベス・コーツワースと、二人で夢のような絵本を作った」
藤田嗣治は1955年にフランス国政を取得、つまり日本国籍を捨てていますから、この旅は覚悟のあったものなのでしょう。本書解説によると、エリザベス・コーツワースは、1916年から丸一年余り、日本、中国、フィリピン、インドネシア、タイを旅したことがあるそうで、代表作と目される『極楽へ行った猫』(1931年)は次のように紹介されています。
「『昔むかし遠い日本で...』で始まるこの物語は涅槃図の注文を受けた絵描きと慎ましい飼い猫とのファンタジックな色彩の作品です」
おそらく、藤田嗣治は、コーツワースのこの本の存在を知っていて、コラボに応じたのだと思います。
さて、本書は、絵本でもありますが、基本的にはコーツワースの詩集です。それに、藤田嗣治のスケッチが挿絵として10枚付けられたものです。スケッチの対象は、同じ一対の猫の親子ですが、両方とも一枚に描かれているのは表紙に採用されているものだけで、あとは一匹ずつ描かれたものとなっています。いずれも、ひと目で藤田嗣治の手になるものと分かるものばかりで、当然ですが、素晴らしいです。
一方、コーツワースの詩の方ですが、単純な猫可愛がりの詩ではありません。猫の野性的性質を認めつつ、その優美さと美しさを称える、といった内容のものが多いです。ただ残念ながら、私の筆力では、詩について、何かを語るというのは難しいので、気に入った詩を二つだけ紹介しておきます。
●『田舎の猫』
「『どこへいくの ミセスキャット
あなたは人里はなれてまったくのひとりぼっちね』
『小さいネズミや大きなドブネズミなんかを狩る場所よ 排水溝だらけの』
『でもあなたはお家や家族からはるか遠くにいるわ
長い長い道をやってきたのね』
『ずっと遠くまでうろつくのは 長いことあるきまわることになって
ぶらぶらしてネズミを見つける数が多くなるのよ』
『でもあなたは暗い松林の近くにいるし
狐たちも狩をしにいくわね』
『知っているわ
狐は私から十分な罰金をとりたいのよ
でも 猫としては何をすべきかしら』
『私はご飯をあげなくちゃならない子猫たちを抱えているのよ
この子たちを骨と皮だけにするようなことはできないわ』
ミセスキャットは まだらの頭を振って
母親だけの孤独な子育てに出発した」
●『母と娘』
「白地に金色と黒色の斑点のある猫が
しなやかで陽気に横たわっている
母猫は子猫をなめてきれいにする
子猫は小さなかぎ爪でなでかえす
遊ぶことを学びながら
そして今は黄色い毛皮のボールのような子猫は
ミルク色が混じったブルーの目
スミレの花のような顔をしていて
母猫は 子猫をすぐそばにしっかりつかんで
ずっとその場にとどめておく
母猫と娘猫のふたりは
沈着と享楽の間 そして優雅とお茶目の間の
つり合いをとっている
それはまさに かってそんな風に関心の的だった
ルブラン夫人とその令嬢のようだ」
ところで、言葉を用いない絵は、それだけでストレートに伝わるものがありますが、小説以上に原語の音の響きが重要な、詩の翻訳というのは、本当に難しいと思っています。それでも、言葉の持つ力が伝わることはあるもので、翻訳というのは大変な仕事だと思う次第です。
「73年前のこと、戦後日本からフランスへ戻る旅の途中、NYで過ごした藤田嗣治は、児童文学者で詩人のエリザベス・コーツワースと、二人で夢のような絵本を作った」
藤田嗣治は1955年にフランス国政を取得、つまり日本国籍を捨てていますから、この旅は覚悟のあったものなのでしょう。本書解説によると、エリザベス・コーツワースは、1916年から丸一年余り、日本、中国、フィリピン、インドネシア、タイを旅したことがあるそうで、代表作と目される『極楽へ行った猫』(1931年)は次のように紹介されています。
「『昔むかし遠い日本で...』で始まるこの物語は涅槃図の注文を受けた絵描きと慎ましい飼い猫とのファンタジックな色彩の作品です」
おそらく、藤田嗣治は、コーツワースのこの本の存在を知っていて、コラボに応じたのだと思います。
さて、本書は、絵本でもありますが、基本的にはコーツワースの詩集です。それに、藤田嗣治のスケッチが挿絵として10枚付けられたものです。スケッチの対象は、同じ一対の猫の親子ですが、両方とも一枚に描かれているのは表紙に採用されているものだけで、あとは一匹ずつ描かれたものとなっています。いずれも、ひと目で藤田嗣治の手になるものと分かるものばかりで、当然ですが、素晴らしいです。
一方、コーツワースの詩の方ですが、単純な猫可愛がりの詩ではありません。猫の野性的性質を認めつつ、その優美さと美しさを称える、といった内容のものが多いです。ただ残念ながら、私の筆力では、詩について、何かを語るというのは難しいので、気に入った詩を二つだけ紹介しておきます。
●『田舎の猫』
「『どこへいくの ミセスキャット
あなたは人里はなれてまったくのひとりぼっちね』
『小さいネズミや大きなドブネズミなんかを狩る場所よ 排水溝だらけの』
『でもあなたはお家や家族からはるか遠くにいるわ
長い長い道をやってきたのね』
『ずっと遠くまでうろつくのは 長いことあるきまわることになって
ぶらぶらしてネズミを見つける数が多くなるのよ』
『でもあなたは暗い松林の近くにいるし
狐たちも狩をしにいくわね』
『知っているわ
狐は私から十分な罰金をとりたいのよ
でも 猫としては何をすべきかしら』
『私はご飯をあげなくちゃならない子猫たちを抱えているのよ
この子たちを骨と皮だけにするようなことはできないわ』
ミセスキャットは まだらの頭を振って
母親だけの孤独な子育てに出発した」
●『母と娘』
「白地に金色と黒色の斑点のある猫が
しなやかで陽気に横たわっている
母猫は子猫をなめてきれいにする
子猫は小さなかぎ爪でなでかえす
遊ぶことを学びながら
そして今は黄色い毛皮のボールのような子猫は
ミルク色が混じったブルーの目
スミレの花のような顔をしていて
母猫は 子猫をすぐそばにしっかりつかんで
ずっとその場にとどめておく
母猫と娘猫のふたりは
沈着と享楽の間 そして優雅とお茶目の間の
つり合いをとっている
それはまさに かってそんな風に関心の的だった
ルブラン夫人とその令嬢のようだ」
ところで、言葉を用いない絵は、それだけでストレートに伝わるものがありますが、小説以上に原語の音の響きが重要な、詩の翻訳というのは、本当に難しいと思っています。それでも、言葉の持つ力が伝わることはあるもので、翻訳というのは大変な仕事だと思う次第です。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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