Rokoさん
レビュアー:
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ダリトは「困窮した者」「押しつぶされた者」「抑圧されている者」という意味です
たしかにカーストは多様な職種に存在してきた。サンスクリット学に精通し、家庭や寺院の儀式を執り行う祭司カースト、武人カースト、機織り、壺作り、油作り、などの職人カースト。絵師、楽団などの芸能カースト、清掃、床屋、出産や葬送儀式に関わるカーストなど、その数は2000~3000に及ぶと言われる。それらがカーストという社会集団を担ってきた。~中略~
しかし、すべてのカーストが対等な立場ではない。ヒンドゥー教の思想である浄・不浄を基層にして序列化されていた。例えば、不可触民の仕事は、ヒンドゥー教でもっとも不浄とされる死や廃棄物に関わるものに限られた。葬儀の楽隊、清掃、皮革業、洗濯、助産師の仕事を不可触民以外のカーストの人びとは忌避した。
インドの不可触民と日本の穢多非人、どちらも不浄な仕事を担う身分という所が一致しているのが、とても怖いのです。人びとの生活の上で必須であるけれど、誰もがやりたいと思わない仕事を押し付け、更に彼らの身分は一番下であると規定しているのです。どうしてそういう差別が存在してしまうのでしょうか。
カースト社会では建前上、自分よりも下位のカーストから不浄性が感染することを防ぐために、一緒に食事をする「共食」や食べ物の授受を慣習的に規制する。
インドのカースト制度の恐ろしさは、穢れは下から上へ感染するという思想です。ですから、カーストを超える結婚は困難を極めるのです。特に、男性の方が下のカーストである場合、結婚を家族から認められることはまずありません。仕方ないので駆け落ちしても、家族に穢れを持ち込んだという理屈で、殺人さえ起きてしまうというのです。
現代のインド社会においてカースト差別を否定することはカーストの存在そのものを否定することではない。その結果、人びとの配慮はカーストにまつわる問題が表面化しないように気をつけることに向かう。
たとえば、村の学校で宴会を行う場合、食べるのを拒否する人が出ないように、暗黙の了解のうちにバラモン・カースト(最上位のカースト)の誰かが料理をする。あるいは煮炊きした料理を避けてスナックだけにするといった具合である。伝統的には、自分より下のカーストの人が料理したものは食べないからだ。
インドの最下層カースト(ダリト)の人口はおよそ2億138万人、インド全人口の16.6%(2011年国税調査)もいます。インドがこれから発展していくためには、カースト差別をこのままにしていてはいけないと、インド政府は考えています。
法律など、建前としてはカースト差別は無くなったことになっていますが、現実は全く違います。高学歴であっても、家族のカーストについては秘密にしている人も多くいます。
「石田衣良の大人の放課後ラジオ #261」で知ったこの本、読んでみてわかったのは、不浄という考え方がカースト差別の根底にあることです。そして、日本でも同じような考え方が残っています。
人々が平等に生きるということの難しさを改めて感じた本でした。
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心・脳に関するものも、ついつい読んでしまいます。
小説もいいけどノンフィクションもね!
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- 出版社:中央公論新社
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- ISBN:9784121027870
- 発売日:2024年01月22日
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