書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

ぽんきち
レビュアー:
一炊の間、一睡の夢。
「邯鄲の夢」という言葉があります。
人生の意味がわからぬまま旅をしていた青年、盧生が道士に出会います。盧生と道士はともに、邯鄲の町の宿屋に入ります。盧生は自らの貧しい身の上を嘆き、栄耀栄華が我が手に入らないことを悲しみます。ひとしきり口説くと盧生は眠くなり、道士は枕を差し出します。その枕を使うと夢が叶うというのです。枕の横には穴が開いており、盧生が眠るとその穴が大きくなり、彼はその中に入っていきます。名士の娘を娶り、士官も叶い、どんどん出世しますが、冤罪で投獄されます。しかし、どうにか処罰を免れ、そうこうするうちに冤罪も晴らされ、再び信任を得て高位の役人となります。子供たちも皆出世し、一家は栄えて万々歳ですが、彼は老いて病に伏し、やがて死んでしまいます。ふと気づくと元の宿屋。眠る前に主人が蒸し始めた黍はまだ出来上がってもおらず、つまり栄華は一炊の間の夢であったと盧生は悟ります。人生も同じものと説く道士に感謝し、去って行ったという、唐代の小説『枕中記』に由来するものです。
簡単に言えば、栄枯盛衰は夢のように儚いものだというところでしょうか。

能の「邯鄲」は、この小説に由来していますが、細部は異なり、むしろ日本に入ってきてからさまざまに脚色されたもの(例えば『太平記』中の「黄粱夢事」)に準拠しているようです。
成立は15世紀半ばくらいの模様。
時代柄ということか、盧生はただ単に人生に不満というよりも、無信心で仏の道を志さず、そのことが心配で、高僧に人生相談をしようと出かけます。その途中で泊まろうとした宿の女主人に枕を借り、粟のご飯が炊けるまで一眠りするというわけです。
盧生は、「なるほど、これが邯鄲の枕なのか」と言っているので、原典は皆知っているという前提でしょうかね。能の「邯鄲」の盧生は、原典と異なり、讒言されたり投獄されたりせず、いきなり勅使がやってきて、「皇帝があなたに譲位されます」と言います。玉の御輿に乗り、光り輝く御殿に着くと、庭には金銀の砂。人々は皆きらびやかに装い、宝を捧げにやってきます。そうこうするうちに50年。千年の寿命が得られるという、仙人が飲む酒を貢がれ、盧生はご機嫌で舞い踊ります。
能は舞台装置が最低限なので、宮殿がどんなに煌びやかなのか、宝物がどれほど贅沢なのか、すべては観客の想像力に任されます。
ともかくも我が世の春を謳歌していた盧生は、そう、目が覚めてしまうんですね。宿の女主人がご飯が炊けたと起こしにくるわけです。
そこで盧生は「ああ、人生はこの夢と同じだ。思うように歓楽に耽っても、終わってしまえばほんの一瞬。人生とは何かと悩んでいたが、すべて儚い夢なのだ」と悟って、もう旅の目的が遂げられたと故郷へと帰っていきます。

・・・どこかわかったようなわからないような話ですが。
どんなに位人臣を極めても大富豪になっても、結局は一瞬なのだから虚しいものだ、ということかな。そのことと自分の人生とをどう折り合いをつけるのか、自分はどう生きていくのか、は、人それぞれ、というところでしょうかね。
少なくとも私は、邯鄲の枕で寝ても悟りは得ないような気がします(^^;)。


*邯鄲というのは、今でも邯鄲市(中国河北省)として存在しています。戦国時代の趙の首府だったそうで、日本でいうとどこかな・・・? 奈良とか長岡京くらいの感じですかね?
「奈良の夢」、「長岡京の夢」・・・。奈良の方が語呂がいいかな。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1827 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

読んで楽しい:2票
参考になる:23票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『対訳でたのしむ邯鄲』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ