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三太郎さん
三太郎
レビュアー:
クラシック界のピアニスト高橋悠治の1970年代の音楽論集。
ピアニストで作曲家の高橋悠治が1970年代に書いた批評を一冊にまとめた文庫本で2004年にでている。

高橋悠治は1938年生まれだから彼が30代の頃に書いた文章だ。彼は日本で柴田南雄に作曲を学び、その後欧州に渡ってクセナキスにコンピュータを用いた作曲を学んだ。前衛音楽の作曲家として知られるようになっていたが、1972年に米国で失職して帰国した。それ以降1977年までに日本で書かれた文章がこの本に纏められている。72年頃の米国ではベトナム戦争が泥沼化し、外国人の音楽家にとっては生きにくい環境だったらしい。日本でも72年には連合赤軍事件があるなどきな臭い時代だった。

文章を読むと当時の高橋は左翼思想の持ち主で、共産主義にシンパシーを持っていたようだ。

しかし彼が語るのは政治思想ではなくて、音楽家はどうあるべきなのか、演奏家はどうあるべきなのかという彼独自の思想であった。

彼がいうには演奏とは「あそび」である。演奏家は演奏する時に感情に没入することなく、自分の演奏と一定の距離を保たなくてならない。

あそびは一過性のもので即興的である。楽譜を演奏することは何かを忠実に再現することではない。

この時期に高橋は多くの作品をLPに録音している。僕がもっている高橋の録音も多くはこの時期のもので、バッハが多く、シューマンやドビュッシーやサティーもある。一方、モーツァルト、ベートーベンやショパンの演奏は僕はまだ聞いたことがない(まったく録音がないわけではないらしいのだが)。

この本では高橋がバッハ、モーツァルトやベートーベンの音楽をどう捉えていたかが解る。

バッハの作品は決して完成されてはいない。だから自由な演奏の可能性が広がる。高橋がバッハの作品を多く演奏したのはそんな理由からだろうか。

2000年以降彼は再びクラシック音楽の録音を再開したようだ。バッハとサティーを再録音している。またフランクのバイオリンソナタやシューベルトの冬の旅のピアノ伴奏も行っている。

ところでこの本の中で特に印象的な批評は小林秀雄「モオツァルト」読書ノートだった。あの小林秀雄の有名な天才モーツァルト論だ。小林のこの評論は世間でおおいに持て囃され、戦後の日本のクラシック音楽批評のお手本になってしまった。つまりレトリックが利いていてお涙頂戴で、実は音楽については何も教えてくれない。モーツァルトは天才だったから凡人には批評できないと言わんばかりだった。

高橋によれば、モーツァルトは16歳かそこらで当時の欧州の音楽家の技法をすべて身に着けてしまったが、早くに熟すぎて次の時代に新しいものを橋渡しすることができなかった。後世の誰もモーツァルトの影響を受けなかったのは、彼の音楽が閉じてしまっていたからだと。つまり後世の作曲家はモーツァルトの音楽を応用しようとは思わなかった。それは音楽技法が閉じていて、モーツァルト自身にしか理解できないものだったからだと。バッハの音楽が後世の作曲家に多くの影響を与えたのとは対照的だった。

実は僕は彼の作曲家としての仕事はあまり知らないのだが遅まきながら聴いていこうと思った。1980年代以降、高橋が何をしようとしていたのかが解るかもしれない。
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三太郎
三太郎 さん本が好き!1級(書評数:829 件)

1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。

長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。

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