そうきゅうどうさん
レビュアー:
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トーマス・ベルンハルトの『石灰工場』が新訳版で登場。まるでミニマル・ミュージックのように繰り返される言葉による語りには、ある種の魔術的効果とも言える何かがある。
高校の時だったか大学の時だったか、私はトーマス・ベルンハルトの『石灰工場』を一度、ハヤカワ・リテラチャーから出ていた竹内節の訳で読んでいる。全編が間接話法で書かれた、自称自然科学者の男による妻殺しの話、ということで、前衛的なミステリのつもりで読んだら、これが期待したものとは全く違っていた。とにかく、ただひたすら退屈で、最後まで読んだのかどうかも定かではない。そして今、手元にないということは多分、古本屋に売ってしまったのだろう。もう二度と読むことはない、と思って。
そんな私もそれなりにいい歳になって、昔読んで良くも悪くもいろいろ思うところのあった本を読み返すことをしている。そうすると、昔はあんなにキラキラ輝いて見えた本が今は見る影もなく色褪せてしまっていたり、逆に昔は最低の駄作だと思えた本がとても面白く感じたりすることがある。なので『石灰工場』も読み返したいと思っていたのだが、図書館にもAmazonのマーケットプレイスにもなく、諦めていた。それが偶然読んだ「週刊新潮」の書評欄で、河出書房新社から新訳が出ていたことを知り、早速読んでみた。
本作は、石灰工場に妻と2人で暮らす自称自然科学者のコンラートが、妻を射殺して2日間肥だめに隠れていたところを見つかり逮捕されたところから始まり、彼がなぜそのような事件を起こすに至ったか、ということが、彼らの周りの人々からの伝聞という形で徐々に明らかになっていく、という物語だ。これだけ見ると(名探偵や名刑事こそ出てこないものの)普通の謎解きミステリのストーリーラインのようだし、実際、プロットだけを追えばそうなのだが、そこに書かれているのはミステリとは似ても似つかぬ、ただ延々と続く意味不明の言葉、言葉、言葉、…だ。
それについてはなかなか上手い表現が見つからないが、田舎の町で年寄りが集まって何かの出来事について話している感じ、と言えばいいだろうか。その出来事について語りながらも、「そういえば、あそこん家(ち)はああだった、こうだった」、「そういえば昔、あそこではあんなことがあった、こんなことがあった」、「○○さんからあんなことを聞いた、こんなことを聞いた」と話題は取り止めもなくあちこち飛び、本当のことなのかただの噂なのかも分からない話も混じり、聞いていても一向に先に進まない、みたいな。
そして章立てはおろか改行すらほぼないまま、まるでミニマル・ミュージック(注:音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽)のように、同じような文言がひたすら続いていく。
10~20代の私が読んでいて死ぬほど退屈だった理由がよく分かる。だが今は、読んでいると繰り返される言葉の作り出すリズムが心地よくなってきて、気がつくとどんどん先へと読み進んでいる。私は本作以外にベルンハルトの作品を読んだことがないので、これが彼のスタイルなのかどうか分からないが、あの語りにはある種の魔術的効果とも言える何かがあるようだ。また、コンラートが頭の中では完成させているはずの論文をいつまでたっても書き始められないなど、どこかカフカを思わせる下りもある。
コンラートの妻殺しについては何か意外な動機や真相があるわけではないので、ミステリとして読んでも失望するだけだと思うが、しかし、ほぼ全編が「…と○○が言っていたとのことだ」という間接話法で書かれていることの意味、そして時々顔を出す「私」とは誰なのか、という謎は残る。
そんな私もそれなりにいい歳になって、昔読んで良くも悪くもいろいろ思うところのあった本を読み返すことをしている。そうすると、昔はあんなにキラキラ輝いて見えた本が今は見る影もなく色褪せてしまっていたり、逆に昔は最低の駄作だと思えた本がとても面白く感じたりすることがある。なので『石灰工場』も読み返したいと思っていたのだが、図書館にもAmazonのマーケットプレイスにもなく、諦めていた。それが偶然読んだ「週刊新潮」の書評欄で、河出書房新社から新訳が出ていたことを知り、早速読んでみた。
本作は、石灰工場に妻と2人で暮らす自称自然科学者のコンラートが、妻を射殺して2日間肥だめに隠れていたところを見つかり逮捕されたところから始まり、彼がなぜそのような事件を起こすに至ったか、ということが、彼らの周りの人々からの伝聞という形で徐々に明らかになっていく、という物語だ。これだけ見ると(名探偵や名刑事こそ出てこないものの)普通の謎解きミステリのストーリーラインのようだし、実際、プロットだけを追えばそうなのだが、そこに書かれているのはミステリとは似ても似つかぬ、ただ延々と続く意味不明の言葉、言葉、言葉、…だ。
それについてはなかなか上手い表現が見つからないが、田舎の町で年寄りが集まって何かの出来事について話している感じ、と言えばいいだろうか。その出来事について語りながらも、「そういえば、あそこん家(ち)はああだった、こうだった」、「そういえば昔、あそこではあんなことがあった、こんなことがあった」、「○○さんからあんなことを聞いた、こんなことを聞いた」と話題は取り止めもなくあちこち飛び、本当のことなのかただの噂なのかも分からない話も混じり、聞いていても一向に先に進まない、みたいな。
そして章立てはおろか改行すらほぼないまま、まるでミニマル・ミュージック(注:音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽)のように、同じような文言がひたすら続いていく。
10~20代の私が読んでいて死ぬほど退屈だった理由がよく分かる。だが今は、読んでいると繰り返される言葉の作り出すリズムが心地よくなってきて、気がつくとどんどん先へと読み進んでいる。私は本作以外にベルンハルトの作品を読んだことがないので、これが彼のスタイルなのかどうか分からないが、あの語りにはある種の魔術的効果とも言える何かがあるようだ。また、コンラートが頭の中では完成させているはずの論文をいつまでたっても書き始められないなど、どこかカフカを思わせる下りもある。
コンラートの妻殺しについては何か意外な動機や真相があるわけではないので、ミステリとして読んでも失望するだけだと思うが、しかし、ほぼ全編が「…と○○が言っていたとのことだ」という間接話法で書かれていることの意味、そして時々顔を出す「私」とは誰なのか、という謎は残る。
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「ブクレコ」からの漂流者。「ブクレコ」ではMasahiroTakazawaという名でレビューを書いていた。今後は新しい本を次々に読む、というより、過去に読んだ本の再読、精読にシフトしていきたいと思っている。
職業はキネシオロジー、クラニオ、鍼灸などを行う治療家で、そちらのHPは→https://sokyudo.sakura.ne.jp
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:0
- ISBN:9784309209128
- 発売日:2024年09月24日
- 価格:3245円
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