ゆうちゃんさん
レビュアー:
▼
長年、ポワロ役をテレビドラマで演じたデビッド・スーシェの自伝。とはいえ彼の半生ではなく、題名の通りポワロ役と彼の関わりを中心に述べられている。ポワロ・ファンなら必読と思う。

題名の通り、アガサ・クリスティの名探偵キャラクターである「ポワロ」を長年演じた俳優デビッド・スーシェが、そのポワロ収録の逸話を中心に彼の半生を語る本である。日本ではNHKでよく放送された。自分が観ていたのは1990年代前半まで、本書で初めてポワロものほぼ全作(短編一編だけ収録されていないようだ)スーシェ主演で収録されていることを知った。
彼は医者の父と女優の母の間に生まれたユダヤ系イギリス人で、学生時代から演劇を志してロンドン音楽演劇アカデミーに通い、性格俳優として、長年、舞台やテレビなどに出演して来た。ポワロ主演の話が来たのは本書で度々言及される「プロット・オン・ザ・ランドスケープ」と言うテレビドラマに出演した41歳、1987年の頃である。そしてクリスティのポワロものの短編を中心に1988年から撮影が始まり、その後25年の長期に渡るポワロ・シリーズへの出演をした。本書の95%はこの期間のポワロものの収録の逸話・共演者・作品の部分的紹介などである。
最初にスーシェに話を持って来たのはブライアン・イーストマンで前記のテレビドラマのプロデューサーである。彼がITVと言うテレビ会社がポワロものを作りたがっているとスーシェに話した。ポワロものの収録は、大きく二期に分けられる。前期と呼べるのが、イーストマンが、プロデューサー格、ロンドン・ウィークエンドと言う会社が制作を担当した第一~第六シリーズ(1988~96年)までの短編を中心に制作した時代(長編はスペシャル扱いだった)である。初収録は「コックを捜せ」と言う短編(45分もの)で、スペシャルとして第二シリーズで「エンドハウスの怪事件」(長編)を収録している。但し、著者はあからさまには言っていないものの、第四シリーズまでは好調、第五、六シリーズは、このままではまずいと言う雰囲気が漂っていたことが文章にうかがえる。実際、第五シリーズと第六シリーズの収録の間にはかなりの期間が空いていてスーシェは「オレアナ」と言う舞台劇の方に注力していたし、第六シリーズの後、ITVは一旦、このシリーズを打ち切った。この時期、今ではミステリ作家として有名になったアンソニー・ホロヴィッツが時折、脚本に参加している。
後期と呼べるのが、第七~十三シリーズ(1998~2013年)であり、ロンドン・ウィークエンドに代わりアーツ&エンターテインメント・ネットワーク(A&E)が制作会社として参入した。当初はイーストマンも残ったが、第七シリーズの後ですぐ外され、ミシェル・バックとダミアン・ティマーと言うふたりのエグゼクティブ・プロデューサーが仕切り、無給ながらスーシェ自身も、アソシエイト・プロデューサーとして番組の在り方にかなりの発言権を持てることとなった。こちらの制作は、短編は撮り尽くしたせいか、長編ばかりで年間4本(最終年度は5本)のペースで撮影された。スーシェが全編出演を意識し始めたのは後期の開始時期である。第七シリーズの最初は「アクロイド殺人事件」であり、収録上の最終作品は「死者のあやまち」でクリスティが使っていた邸宅で撮影されている。ポワロものの最終話は「カーテン」だがこの本の執筆は1943年(出版はクリスティの死の直前の1975年)、最終執筆作品は「象は忘れない」(1972年)であり、これらも最終シリーズで収録された。
前期の読みどころはスーシェがいかにポワロに成りきるか、の苦労話だろう。クリスティがポワロを滑稽な小男と作品で呼んでいるので、そう言う演技もありなのだろうが、それはあくまでも別の登場人物からの視点であり、スーシェは、第一シリーズの収録前に、クリスティの娘ロザリンドとその夫ヒックスと会食し、くれぐれもポワロを笑い者にしてはいけないと釘をさされている。スーシェは勉強家で、収録に当たってポワロを全部読破し、93項目の特徴調書まで作成していて、スーシェ自身、ロザリンドらに言われるまでもなく滑稽な小男を演じる積りはなかったらしいことがわかる。それでも声をどうするか、特にベルギー訛りの英語をどう喋るか、またいざ収録が始まって歩き方をどうするか、かなり悩み苦労したようだ。意外なことに彼は恰幅が良い訳ではなく、やや太ってみせるためにパッド付の服も着たそうだ。彼は自分が性格俳優であることを本書の至る所で強調している。そんな彼が自分に色が付くことを全く恐れずポワロに入れ込む様には頭が下がる。本書の至る所でスーシェが「ポワロに成りきる」という場面が登場する。
後期では外見だけではなくポワロの心情にもスーシェは思いを寄せている。スーシェによればポワロはカトリック教徒だそうで、全部読破した自分は「あれっ、そうだっけ?」と思った。それはともかく、スーシェによればポワロはこの世の不正をただすために神から遣わされた人物だと固く信じているそうだ。最終話の収録に近づくに従い、人間は時に過ちを犯すという道徳的観点とこの宗教的信念との葛藤がポワロの心理に前面に出てくる。ポワロが女性に関心を持てない男だということは前期から書かれているが、後期に至るに従って家庭を持てなかった孤独感などもポワロの心情として出されている。ただ、収録順を見ると執筆順(「カーテン」を除くとポワロの年齢順)とはほぼ関係がなく、長編第二作目の「ゴルフ場の殺人」が第七期の収録だったり、長編第四作目の「ビッグ・フォー」が最終期の収録だったりするので、ポワロの心情は必ずしもクリスティの文章から読み取れるものではなく、長年、演じているスーシェの心情の発露のような気もする。
スーシェは主演俳優であり、いわばポワロ・シリーズの看板役者の筈だが、一連の収録が終わっても、次のシリーズの撮影があるかどうかは知らされない。幸いなことにポワロものが間延びしても、各所から舞台、テレビドラマ、映画への出演依頼はたくさんあり、仕事には事欠かなかったようだが。余談だが、ピーター・シェーファーのモーツアルトとサリエリの葛藤を描いた「アマデウス」の舞台にも出演していた(当然、彼はサリエリ役である)。第五シリーズの後、次があるかどうかわからないので、女性差別を扱ったアメリカの劇作家デビッド・マメットの戯曲「オレアナ」と言う舞台に出演し、第六シリーズの撮影が1年以上も頓挫している。また、前記の通り一度、撮影は打ち切りになったのだがその知らせも人伝に聞くという不本意、不当な結果となっている。文中でも謝辞でも自分をポワロとして見出したイーストマンのことは持ち上げているが、実際はどうなのだろうか?と思う。後期で新しく着任したエグゼクティブ・プロデューサーたちは、すぐにスーシェをアソシエイト・プロデューサーに起用して、発言権を持たせている。
クリスティの書いたポワロものは、ほぼ執筆順にポワロが歳を取ってゆくが、このテレビ・シリーズは、時代風俗などに一貫性を持たせるため、どの逸話も1930年代に起きたことにしているようだ。また、後期の作品などはポワロものと言いながら、ポワロが登場するのは後半からというものもある。そこはドラマ化で充分考えられ、原作にはなるべく忠実なものの、やむを得ない改変はしているようだ。本書を読むと短編集の「ヘラクレスの冒険」などは翻案と言った方が良い。著者は主演俳優でもあるので、どの作品も一定以上の水準に達していると言うのは当然だが、自分が読んだ感じでは後期で佳作は稀であり、テレビドラマ化に当たってどう上手く処理をしたかも興味がある。僕は、書籍では読破したが、ドラマの方は恐らく第四シリーズくらいまでしか観ていないので、本書を読んで改めて観てみたいと思った。
肝心なことを最後に書くが、ポワロを演じた俳優と言えば、古くはチャールズ・ロートン、アルバート・フィニーやピーター・ユスチノフを経て今ではケネス・ブラナーが有名だが、若い頃に観た感想のまま、ポワロを演じさせて、容姿や仕草、スーシェの右に出るものは居ないと僕も思う。
彼は医者の父と女優の母の間に生まれたユダヤ系イギリス人で、学生時代から演劇を志してロンドン音楽演劇アカデミーに通い、性格俳優として、長年、舞台やテレビなどに出演して来た。ポワロ主演の話が来たのは本書で度々言及される「プロット・オン・ザ・ランドスケープ」と言うテレビドラマに出演した41歳、1987年の頃である。そしてクリスティのポワロものの短編を中心に1988年から撮影が始まり、その後25年の長期に渡るポワロ・シリーズへの出演をした。本書の95%はこの期間のポワロものの収録の逸話・共演者・作品の部分的紹介などである。
最初にスーシェに話を持って来たのはブライアン・イーストマンで前記のテレビドラマのプロデューサーである。彼がITVと言うテレビ会社がポワロものを作りたがっているとスーシェに話した。ポワロものの収録は、大きく二期に分けられる。前期と呼べるのが、イーストマンが、プロデューサー格、ロンドン・ウィークエンドと言う会社が制作を担当した第一~第六シリーズ(1988~96年)までの短編を中心に制作した時代(長編はスペシャル扱いだった)である。初収録は「コックを捜せ」と言う短編(45分もの)で、スペシャルとして第二シリーズで「エンドハウスの怪事件」(長編)を収録している。但し、著者はあからさまには言っていないものの、第四シリーズまでは好調、第五、六シリーズは、このままではまずいと言う雰囲気が漂っていたことが文章にうかがえる。実際、第五シリーズと第六シリーズの収録の間にはかなりの期間が空いていてスーシェは「オレアナ」と言う舞台劇の方に注力していたし、第六シリーズの後、ITVは一旦、このシリーズを打ち切った。この時期、今ではミステリ作家として有名になったアンソニー・ホロヴィッツが時折、脚本に参加している。
後期と呼べるのが、第七~十三シリーズ(1998~2013年)であり、ロンドン・ウィークエンドに代わりアーツ&エンターテインメント・ネットワーク(A&E)が制作会社として参入した。当初はイーストマンも残ったが、第七シリーズの後ですぐ外され、ミシェル・バックとダミアン・ティマーと言うふたりのエグゼクティブ・プロデューサーが仕切り、無給ながらスーシェ自身も、アソシエイト・プロデューサーとして番組の在り方にかなりの発言権を持てることとなった。こちらの制作は、短編は撮り尽くしたせいか、長編ばかりで年間4本(最終年度は5本)のペースで撮影された。スーシェが全編出演を意識し始めたのは後期の開始時期である。第七シリーズの最初は「アクロイド殺人事件」であり、収録上の最終作品は「死者のあやまち」でクリスティが使っていた邸宅で撮影されている。ポワロものの最終話は「カーテン」だがこの本の執筆は1943年(出版はクリスティの死の直前の1975年)、最終執筆作品は「象は忘れない」(1972年)であり、これらも最終シリーズで収録された。
前期の読みどころはスーシェがいかにポワロに成りきるか、の苦労話だろう。クリスティがポワロを滑稽な小男と作品で呼んでいるので、そう言う演技もありなのだろうが、それはあくまでも別の登場人物からの視点であり、スーシェは、第一シリーズの収録前に、クリスティの娘ロザリンドとその夫ヒックスと会食し、くれぐれもポワロを笑い者にしてはいけないと釘をさされている。スーシェは勉強家で、収録に当たってポワロを全部読破し、93項目の特徴調書まで作成していて、スーシェ自身、ロザリンドらに言われるまでもなく滑稽な小男を演じる積りはなかったらしいことがわかる。それでも声をどうするか、特にベルギー訛りの英語をどう喋るか、またいざ収録が始まって歩き方をどうするか、かなり悩み苦労したようだ。意外なことに彼は恰幅が良い訳ではなく、やや太ってみせるためにパッド付の服も着たそうだ。彼は自分が性格俳優であることを本書の至る所で強調している。そんな彼が自分に色が付くことを全く恐れずポワロに入れ込む様には頭が下がる。本書の至る所でスーシェが「ポワロに成りきる」という場面が登場する。
後期では外見だけではなくポワロの心情にもスーシェは思いを寄せている。スーシェによればポワロはカトリック教徒だそうで、全部読破した自分は「あれっ、そうだっけ?」と思った。それはともかく、スーシェによればポワロはこの世の不正をただすために神から遣わされた人物だと固く信じているそうだ。最終話の収録に近づくに従い、人間は時に過ちを犯すという道徳的観点とこの宗教的信念との葛藤がポワロの心理に前面に出てくる。ポワロが女性に関心を持てない男だということは前期から書かれているが、後期に至るに従って家庭を持てなかった孤独感などもポワロの心情として出されている。ただ、収録順を見ると執筆順(「カーテン」を除くとポワロの年齢順)とはほぼ関係がなく、長編第二作目の「ゴルフ場の殺人」が第七期の収録だったり、長編第四作目の「ビッグ・フォー」が最終期の収録だったりするので、ポワロの心情は必ずしもクリスティの文章から読み取れるものではなく、長年、演じているスーシェの心情の発露のような気もする。
スーシェは主演俳優であり、いわばポワロ・シリーズの看板役者の筈だが、一連の収録が終わっても、次のシリーズの撮影があるかどうかは知らされない。幸いなことにポワロものが間延びしても、各所から舞台、テレビドラマ、映画への出演依頼はたくさんあり、仕事には事欠かなかったようだが。余談だが、ピーター・シェーファーのモーツアルトとサリエリの葛藤を描いた「アマデウス」の舞台にも出演していた(当然、彼はサリエリ役である)。第五シリーズの後、次があるかどうかわからないので、女性差別を扱ったアメリカの劇作家デビッド・マメットの戯曲「オレアナ」と言う舞台に出演し、第六シリーズの撮影が1年以上も頓挫している。また、前記の通り一度、撮影は打ち切りになったのだがその知らせも人伝に聞くという不本意、不当な結果となっている。文中でも謝辞でも自分をポワロとして見出したイーストマンのことは持ち上げているが、実際はどうなのだろうか?と思う。後期で新しく着任したエグゼクティブ・プロデューサーたちは、すぐにスーシェをアソシエイト・プロデューサーに起用して、発言権を持たせている。
クリスティの書いたポワロものは、ほぼ執筆順にポワロが歳を取ってゆくが、このテレビ・シリーズは、時代風俗などに一貫性を持たせるため、どの逸話も1930年代に起きたことにしているようだ。また、後期の作品などはポワロものと言いながら、ポワロが登場するのは後半からというものもある。そこはドラマ化で充分考えられ、原作にはなるべく忠実なものの、やむを得ない改変はしているようだ。本書を読むと短編集の「ヘラクレスの冒険」などは翻案と言った方が良い。著者は主演俳優でもあるので、どの作品も一定以上の水準に達していると言うのは当然だが、自分が読んだ感じでは後期で佳作は稀であり、テレビドラマ化に当たってどう上手く処理をしたかも興味がある。僕は、書籍では読破したが、ドラマの方は恐らく第四シリーズくらいまでしか観ていないので、本書を読んで改めて観てみたいと思った。
肝心なことを最後に書くが、ポワロを演じた俳優と言えば、古くはチャールズ・ロートン、アルバート・フィニーやピーター・ユスチノフを経て今ではケネス・ブラナーが有名だが、若い頃に観た感想のまま、ポワロを演じさせて、容姿や仕草、スーシェの右に出るものは居ないと僕も思う。
お気に入り度:







掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:原書房
- ページ数:0
- ISBN:9784562071999
- 発売日:2022年10月24日
- 価格:2970円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。























