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そうきゅうどう
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人はとかく人生をあれこれこねくり回すが、人生でなすべきことは実は三つだけだ。愛すること、愛されること、許しを与えること。それ以外はどうでもいいことなんだよ。(下巻p.301)
あなたがこの本を手にされたのはたまたまだろうか? だとしても、どうか最後まで読んでほしい。ボルティモアのゴールドマンの物語を、誰かに語らずにはいられないから。
『ゴールドマン家の悲劇』は、ジョエル・ディケールによる『ハリー・クバート事件』の続編である(が、『ハリー~』との関連性は薄く、ほぼ独立した作品として読める)。物語の語り手は『ハリー~』に引き続き、作家のマークス・ゴールドマンだが、両作に登場する人物のキャラクタが一部変更されているほか、物語自体も、超絶的な技巧を凝らしたミステリだった『ハリー~』とは一変して、本作はミステリ仕立てのゴールドマン家3代にわたる家族史、といった風合いの作品になっている。

「ハリー・クバート事件」の後、書いた小説が当たって作家の仲間家入を果たした「ぼく」(マークス・ゴールドマン)は、2作目の執筆のためフロリダ州ボカラトンの別荘に滞在していた。そんな折、湖畔をうろつく1匹の犬によって、ほくは今や人気歌手となった元恋人のアレクサンドラ・ネヴィルと再会。そこから、ぼくの心は少年時代の懐かしい日々や青年時代にゴールドマン家を襲った悲劇へと引き戻されていく。

ミステリというものを「何らかの謎が提示され、その謎が解かれるまでの物語」とするなら、ミステリとしての本作は、作中でぼくが繰り返し言及する「ゴールドマン家の悲劇」とはどういうものだったのか?ということにあるだろう。事件の犯人当てではなく、事件そのものを最後に明かされるべき謎としたものには、例えば『緋色の記憶』に代表されるようなトマス・H・クックの一連の作品があるが、クックの描くものがしばしば暗く不気味で救いようがないのに対して、本作は最後までカラッとして明るく、終わり方も爽やかだ。それがディケールという作家の持ち味なのかどうかは分からないけれど、作中である登場人物が語る
人はとかく人生をあれこれこねくり回すが、人生でなすべきことは実は三つだけだ。愛すること、愛されること、許しを与えること。それ以外はどうでもいいことなんだよ。
という言葉に、この作品のまとう雰囲気や作品のテーマが垣間見えるのではないだろうか。

上下巻で650ページを超える長篇ながら、長さを感じさせない。よくある「ページをめくる手が止まらない」という本は、意外な展開の連続で読者の興味を引くものが多いが、本作はマークスの語る一族の過去話が純粋に面白くて、先へ先へと読み進んでしまう。それは、ここで描かれるゴールドマン一族のエピソードは多分、どの一族にもどこか思い当たる部分があって、まるで自分の一族のことのように感じられるからだろう。

凄いサプライズやどんでん返しがあるわけではなく、ミステリとしては薄味となってしまうが、一族の栄光と没落を描いた大河小説としては非常によくできた面白い作品と言える。
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そうきゅうどう
そうきゅうどう さん本が好き!1級(書評数:594 件)

「ブクレコ」からの漂流者。「ブクレコ」ではMasahiroTakazawaという名でレビューを書いていた。今後は新しい本を次々に読む、というより、過去に読んだ本の再読、精読にシフトしていきたいと思っている。
職業はキネシオロジー、クラニオ、鍼灸などを行う治療家で、そちらのHPは→https://sokyudo.sakura.ne.jp

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