三太郎さん
レビュアー:
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「ほんの少しで十分だと思っている人でも、もう十分と思うことはないものだ。 by エピクロス」強欲が強欲を生む欲望の資本主義はいかにして生まれたか?
2012年に英国で出版された、経済学者と哲学者の親子が書いた今日の資本主義の源泉を探る試み。
NHKのシリーズ番組に「欲望の資本主義」というのがあるが、この本も似たような問いかけから始まったように思える。
話は1929年の大恐慌の時代にあのケインズが書いた百年後の先進国の労働環境に関する予測から始まる。ケインズは不況のさなかに、2030年には欧米の労働時間は週15時間まで短くなるとの予想を立てた論文を発表したが、まったく注目されなかったという。
なぜケインズは労働時間は短くなると予想し、にもかかわらず労働時間は実際にはさほど変わらず、むしろ高所得層では長くなる傾向さえあるのはなぜなのか。
ケインズは先進国では百年後には生産性の効率化によりGDPは4倍以上になり、その結果として労働者は長く働く必要がなくなると考えた。ケインズにはGDPの延びによって短時間労働で同じ収入が得られるのなら、人々は働く時間を減らして余暇の時間を増やし生活を楽しむはずだという思い込みがあったのかも。
でも実際には米英では1980年以降GDPは延びたが労働時間はほぼ横ばいで大きくは減少しなかった。欧州の国々でもGDPは延びたが労働時間はほぼ横ばいで、大きく減ることはなかった(正確にはイタリアでは減らず、独仏では少し減少した)。1980年台はレーガン大統領とサッチャー首相の時代であり、米英で新自由主義が躍進した時期であった。この間、米英の高所得層では労働時間はむしろ増加している。米英では所得が上位10%の富裕層の所得が国民の全所得に占める割合は次第に高くなっている。つまり低所得者と高所得者の所得の乖離が大きくなっている。
生産性の向上によっても労働時間がむしろ長くなる理由については、経営者が正規雇用の社員を減らし、少ない正社員に長時間労働を求めるようになったことが原因だとの指摘がある。少ない正社員を長時間働かせ足りない部分は非正規雇用でまかなうようになったからだと。規制緩和の結果かな。
一方、長時間働いて収入を上げたいという正社員側の要望も影響している可能性がある。収入は多ければ多いほど良いのであって、誰も今の収入で十分とは思わなくなった影響もあるかも。お金があればあるほど良い暮らしができると考える社会では余暇を楽しむ心の余裕なんて生まれないのかもね。
(ここで自分の話を挟むと、1986年に入社して2017年に60歳で定年になるまで同じ会社に勤務したが、45歳頃に年収が最大になり、バブル崩壊(リーマンショック)後は定年まで漸減した。50歳以降は自分のペースで仕事をし原則定時で帰宅したので本を読む時間が増えて、このサイトに参加するようになった。収入は増えなかったがそんなにお金は必要なかったし、なにしろ読書は低コストだ。)
後半は経済成長はどこまでも続くのか?について考えている。ケインズはそもそも経済成長はある時点で自然に止まると考えていたようだ。皆が生活するに十分な収入が得られるようになり、労働時間が短くなり、その分趣味に時間をかけるようになればそれ以上の経済成長は必要ないと思ったのだろう。
過去には人口増加と資源の枯渇により成長に限界が訪れるとの主張があったが、実際には資源は次々と新たに開発され、成長の限界は見えない。そのためか、現実の社会では今でも経済成長は永遠に続くべきものと考えられている。
一方、地球環境を守るためには経済成長を抑えなければならないとの主張がある。極端な環境保護派は即時に経済成長をゼロにすべしと訴えている。著者らによればこれらの主張は合理的な判断によるというよりは信仰に近いものだという。著者らには炭酸ガス削減の目標も合理的な根拠に乏しく極端な主張に見えるようだ。西洋の環境保護派の経済成長に対する態度には倫理的な信念が根っ子にはありそうだ。著者らはこの論調には組しない。
最後に著者らは真に豊かな生活を得る条件とは何かを問いかけ、七つの基本条件を提案する。その条件とは①健康②安定③尊敬(尊厳)④人格(自己の確立)⑤自然との調和⑥友情⑦余暇である。
④の自己の確立のためには安定した財産(収入ではなく)が必要だという。収入(フロー)ではなくて財産(ストック)が重要だと。自己の確立には、ある程度の私有財産が不可欠で、それがないと個人は世間からの独立が保てない。(土地の所有が認められない中国などを見ると、これはもっともだと思える。)
⑦の余暇については、翌日の仕事のためのリフレッシュとは異なり、それ自体を楽しむための活動だと。TVを観るなどの暇つぶしは余暇ではなくて休養だという。(GWの家族旅行などは余暇か休養か微妙な感じだ。)余暇の見本になるのは江戸時代の日本人の生活だという。確かに茶道、華道、俳句に盆栽など趣味の領域の発展が著しかったのが江戸時代だ。
国家の役割は個人がこれらの基本条件を持ち得るようにすることだ。(だから国家が過重労働や孤独死を問題にするのはもっともなことだと思う。)
ところで、経済成長がこれらの豊かさの基本条件によい影響を与えたという事実はほぼ見当たらない。むしろ項目によっては悪化させているようだ。
実は経済成長が政治の至上課題になったのは、1970年代の2度のオイルショックを経てレーガンやサッチャーの新自由主義が正義になってしまったからだ。そして裕福層の貪欲な欲望に突き動かされてグローバリズムが進展した。どうしたら政治に「徳」を呼び戻すことが可能なのだろうか。
著者らは方策として所得の再分配により貧富の差を縮小すること、労働時間のシェアーやベーシックインカムの導入を挙げている。勤労者が労働意欲を抑えてでも労働をシェアーする必要がありそうだ。(24時間働くサラリーマンは社会悪かもしれない。)
もう一つの方策は国民の消費意欲を抑制することだ。贅沢品を欲しがる気持ちがなくなれば必要以上に収入を求めることもなくなる。
最後は僕の読後の印象ですが、幸福な生活の基本条件を満たすための方策はなかなかハードルが高そうです。それに消費マインドを抑制すると現代では仕事がなくなる人が出てきそう。でも高価なタワーマンションや高級ブランドの商品を買う前に本当にそれが自分の生活の豊かさに必要なのか、もう一度見直すのはよいことかも。高価な商品は大抵は持つ人が周囲に見せびらかしたいという、まあ「悪徳」の一種なのですから。
「足るを知る」という老子の言葉を噛みしめたいなあ。
NHKのシリーズ番組に「欲望の資本主義」というのがあるが、この本も似たような問いかけから始まったように思える。
話は1929年の大恐慌の時代にあのケインズが書いた百年後の先進国の労働環境に関する予測から始まる。ケインズは不況のさなかに、2030年には欧米の労働時間は週15時間まで短くなるとの予想を立てた論文を発表したが、まったく注目されなかったという。
なぜケインズは労働時間は短くなると予想し、にもかかわらず労働時間は実際にはさほど変わらず、むしろ高所得層では長くなる傾向さえあるのはなぜなのか。
ケインズは先進国では百年後には生産性の効率化によりGDPは4倍以上になり、その結果として労働者は長く働く必要がなくなると考えた。ケインズにはGDPの延びによって短時間労働で同じ収入が得られるのなら、人々は働く時間を減らして余暇の時間を増やし生活を楽しむはずだという思い込みがあったのかも。
でも実際には米英では1980年以降GDPは延びたが労働時間はほぼ横ばいで大きくは減少しなかった。欧州の国々でもGDPは延びたが労働時間はほぼ横ばいで、大きく減ることはなかった(正確にはイタリアでは減らず、独仏では少し減少した)。1980年台はレーガン大統領とサッチャー首相の時代であり、米英で新自由主義が躍進した時期であった。この間、米英の高所得層では労働時間はむしろ増加している。米英では所得が上位10%の富裕層の所得が国民の全所得に占める割合は次第に高くなっている。つまり低所得者と高所得者の所得の乖離が大きくなっている。
生産性の向上によっても労働時間がむしろ長くなる理由については、経営者が正規雇用の社員を減らし、少ない正社員に長時間労働を求めるようになったことが原因だとの指摘がある。少ない正社員を長時間働かせ足りない部分は非正規雇用でまかなうようになったからだと。規制緩和の結果かな。
一方、長時間働いて収入を上げたいという正社員側の要望も影響している可能性がある。収入は多ければ多いほど良いのであって、誰も今の収入で十分とは思わなくなった影響もあるかも。お金があればあるほど良い暮らしができると考える社会では余暇を楽しむ心の余裕なんて生まれないのかもね。
(ここで自分の話を挟むと、1986年に入社して2017年に60歳で定年になるまで同じ会社に勤務したが、45歳頃に年収が最大になり、バブル崩壊(リーマンショック)後は定年まで漸減した。50歳以降は自分のペースで仕事をし原則定時で帰宅したので本を読む時間が増えて、このサイトに参加するようになった。収入は増えなかったがそんなにお金は必要なかったし、なにしろ読書は低コストだ。)
後半は経済成長はどこまでも続くのか?について考えている。ケインズはそもそも経済成長はある時点で自然に止まると考えていたようだ。皆が生活するに十分な収入が得られるようになり、労働時間が短くなり、その分趣味に時間をかけるようになればそれ以上の経済成長は必要ないと思ったのだろう。
過去には人口増加と資源の枯渇により成長に限界が訪れるとの主張があったが、実際には資源は次々と新たに開発され、成長の限界は見えない。そのためか、現実の社会では今でも経済成長は永遠に続くべきものと考えられている。
一方、地球環境を守るためには経済成長を抑えなければならないとの主張がある。極端な環境保護派は即時に経済成長をゼロにすべしと訴えている。著者らによればこれらの主張は合理的な判断によるというよりは信仰に近いものだという。著者らには炭酸ガス削減の目標も合理的な根拠に乏しく極端な主張に見えるようだ。西洋の環境保護派の経済成長に対する態度には倫理的な信念が根っ子にはありそうだ。著者らはこの論調には組しない。
最後に著者らは真に豊かな生活を得る条件とは何かを問いかけ、七つの基本条件を提案する。その条件とは①健康②安定③尊敬(尊厳)④人格(自己の確立)⑤自然との調和⑥友情⑦余暇である。
④の自己の確立のためには安定した財産(収入ではなく)が必要だという。収入(フロー)ではなくて財産(ストック)が重要だと。自己の確立には、ある程度の私有財産が不可欠で、それがないと個人は世間からの独立が保てない。(土地の所有が認められない中国などを見ると、これはもっともだと思える。)
⑦の余暇については、翌日の仕事のためのリフレッシュとは異なり、それ自体を楽しむための活動だと。TVを観るなどの暇つぶしは余暇ではなくて休養だという。(GWの家族旅行などは余暇か休養か微妙な感じだ。)余暇の見本になるのは江戸時代の日本人の生活だという。確かに茶道、華道、俳句に盆栽など趣味の領域の発展が著しかったのが江戸時代だ。
国家の役割は個人がこれらの基本条件を持ち得るようにすることだ。(だから国家が過重労働や孤独死を問題にするのはもっともなことだと思う。)
ところで、経済成長がこれらの豊かさの基本条件によい影響を与えたという事実はほぼ見当たらない。むしろ項目によっては悪化させているようだ。
実は経済成長が政治の至上課題になったのは、1970年代の2度のオイルショックを経てレーガンやサッチャーの新自由主義が正義になってしまったからだ。そして裕福層の貪欲な欲望に突き動かされてグローバリズムが進展した。どうしたら政治に「徳」を呼び戻すことが可能なのだろうか。
著者らは方策として所得の再分配により貧富の差を縮小すること、労働時間のシェアーやベーシックインカムの導入を挙げている。勤労者が労働意欲を抑えてでも労働をシェアーする必要がありそうだ。(24時間働くサラリーマンは社会悪かもしれない。)
もう一つの方策は国民の消費意欲を抑制することだ。贅沢品を欲しがる気持ちがなくなれば必要以上に収入を求めることもなくなる。
最後は僕の読後の印象ですが、幸福な生活の基本条件を満たすための方策はなかなかハードルが高そうです。それに消費マインドを抑制すると現代では仕事がなくなる人が出てきそう。でも高価なタワーマンションや高級ブランドの商品を買う前に本当にそれが自分の生活の豊かさに必要なのか、もう一度見直すのはよいことかも。高価な商品は大抵は持つ人が周囲に見せびらかしたいという、まあ「悪徳」の一種なのですから。
「足るを知る」という老子の言葉を噛みしめたいなあ。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:筑摩書房
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- ISBN:9784480511119
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