三太郎さん
レビュアー:
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若き日のC.W.ニコルのカナダ極北地滞在記。
植村直己の北極圏一万二千キロには1974年から1976年にかけて行った北極圏(グリーンランド、カナダ、アラスカ)の犬橇旅行が記されていたが、イギリス人のニコル氏によるこの本にはカナダの北極圏での1957年から1977年にかけての体験が語られている。
植村の犬橇旅行は極地に住むイヌイット(植村の本ではエスキモーとなっていたがここではニコルに従いイヌイットと記す)の好意と援助に助けられていたのだが、彼の旅がグリーンランドから西へアラスカに向かうに従い、イヌイット達の生活や意識の変容を読み取ることができた。つまり西に向かうにつれてイヌイットの生活は西洋化し伝統的な生活や習慣は失われつつあった。
1940年生まれのニコル氏は17歳から37歳になるまでの20年間にカナダの極地にたびたび出向き、科学調査の助手のような仕事から始め、最後の頃にはカナダ政府の環境保護部門の役人になっていた。その最後の頃が植村の極地旅行の時期と重なっていたのに気が付いたので読み直してみた。
ニコルも極地での調査旅行に犬橇を使うことを好んだ。でも犬を貸してくれたイヌイットはモータートボガン(動力付きの橇)の使用を勧めてきた。植村もカナダではもう犬橇を使うイヌイットはいなかったと書いてる。植村が旅行のゴールだったアラスカの街に着くとあるイヌイットが、グリーンランドからアラスカまでの犬橇旅行にはいくらの賞金が出るのかと聞いてきた。犬橇は既に白人のスポーツであった。
ニコルは極地を去る直前に海岸で戯れにアザラシをライフルで撃ち殺すイヌイットの若者たちに出会う。彼らは先住民としての権利として狩猟は自由だと主張したが、自然とともに生きてきた先祖の狩猟文化は忘れてしまっていた。彼らの先祖はアザラシを根絶やしにしないように生活してきたのだが。
カナダで白人社会とイヌイットやインディアンの先住民との対立が先鋭化したのは、先住民の居留地での石油パイプラインの建設計画が公表されたからだった。先住民は自分たちの権利が侵されると考えた。先住民の若者らは武装蜂起の準備さえしていたという。どこから見ても白人のニコルにはイヌイットが住む極地にはもう居場所がなかったのだろう。彼はそこを去って日本に渡り信州の森の中に住んで森林保護の活動家になった。
一見してイヌイットと見分けがつかない植村はそういったニコルの様な葛藤を感じることはなかったはずだ。しかし植村の旅行記を読んでいたら、カナダのバンクーバー島で夏越ししている最中に、中学校を出たばかりで都会の高校へ進学することになっていたイヌイットの少年が、彼の祖母と大喧嘩したあげくにライフルで自分の腹を撃って自殺した話がでてくる。植村は自殺の理由については書いていないが、英語で教育されイヌイットの言葉をほとんど話せない少年が英語を話せない祖母との喧嘩で自分が民族のアイデンティティを失ったと感じたことが理由の一つだったかもしれない。
ニコルは小説家でもあって、だからこの半生を語る自伝も一種の小説なのかもしれない。17歳の時に海で遭難しかけ、イヌイットの一家に助けられたが、その時であって恋心を抱いたイヌイットの少女に20年後に再会するというエピソードは小説みたいだ。
ニコルがカナダを去る直接の原因になったのは、カナダ政府の進めた石油パイプライン計画での環境アセスメントについて、開発に反対する先住民側の証人として公聴会で開発反対を表明したからだった。公聴会の結果は計画の10年間の凍結だったが、しかし結局はその後に計画は進められたらしい。
ところでこの本の中に1974年の三菱石油の水島製油所での大規模な重油流出事故の話が出てくる。この事故では漏れ出た重油が瀬戸内海の東側半分を覆い、漁業などに多大な影響を与えたという。ニコルはこの事故の調査のために日本を訪れており、そのことがカナダのマッケンジー川での石油パイプラン計画反対につながったらしい。
植村の犬橇旅行は極地に住むイヌイット(植村の本ではエスキモーとなっていたがここではニコルに従いイヌイットと記す)の好意と援助に助けられていたのだが、彼の旅がグリーンランドから西へアラスカに向かうに従い、イヌイット達の生活や意識の変容を読み取ることができた。つまり西に向かうにつれてイヌイットの生活は西洋化し伝統的な生活や習慣は失われつつあった。
1940年生まれのニコル氏は17歳から37歳になるまでの20年間にカナダの極地にたびたび出向き、科学調査の助手のような仕事から始め、最後の頃にはカナダ政府の環境保護部門の役人になっていた。その最後の頃が植村の極地旅行の時期と重なっていたのに気が付いたので読み直してみた。
ニコルも極地での調査旅行に犬橇を使うことを好んだ。でも犬を貸してくれたイヌイットはモータートボガン(動力付きの橇)の使用を勧めてきた。植村もカナダではもう犬橇を使うイヌイットはいなかったと書いてる。植村が旅行のゴールだったアラスカの街に着くとあるイヌイットが、グリーンランドからアラスカまでの犬橇旅行にはいくらの賞金が出るのかと聞いてきた。犬橇は既に白人のスポーツであった。
ニコルは極地を去る直前に海岸で戯れにアザラシをライフルで撃ち殺すイヌイットの若者たちに出会う。彼らは先住民としての権利として狩猟は自由だと主張したが、自然とともに生きてきた先祖の狩猟文化は忘れてしまっていた。彼らの先祖はアザラシを根絶やしにしないように生活してきたのだが。
カナダで白人社会とイヌイットやインディアンの先住民との対立が先鋭化したのは、先住民の居留地での石油パイプラインの建設計画が公表されたからだった。先住民は自分たちの権利が侵されると考えた。先住民の若者らは武装蜂起の準備さえしていたという。どこから見ても白人のニコルにはイヌイットが住む極地にはもう居場所がなかったのだろう。彼はそこを去って日本に渡り信州の森の中に住んで森林保護の活動家になった。
一見してイヌイットと見分けがつかない植村はそういったニコルの様な葛藤を感じることはなかったはずだ。しかし植村の旅行記を読んでいたら、カナダのバンクーバー島で夏越ししている最中に、中学校を出たばかりで都会の高校へ進学することになっていたイヌイットの少年が、彼の祖母と大喧嘩したあげくにライフルで自分の腹を撃って自殺した話がでてくる。植村は自殺の理由については書いていないが、英語で教育されイヌイットの言葉をほとんど話せない少年が英語を話せない祖母との喧嘩で自分が民族のアイデンティティを失ったと感じたことが理由の一つだったかもしれない。
ニコルは小説家でもあって、だからこの半生を語る自伝も一種の小説なのかもしれない。17歳の時に海で遭難しかけ、イヌイットの一家に助けられたが、その時であって恋心を抱いたイヌイットの少女に20年後に再会するというエピソードは小説みたいだ。
ニコルがカナダを去る直接の原因になったのは、カナダ政府の進めた石油パイプライン計画での環境アセスメントについて、開発に反対する先住民側の証人として公聴会で開発反対を表明したからだった。公聴会の結果は計画の10年間の凍結だったが、しかし結局はその後に計画は進められたらしい。
ところでこの本の中に1974年の三菱石油の水島製油所での大規模な重油流出事故の話が出てくる。この事故では漏れ出た重油が瀬戸内海の東側半分を覆い、漁業などに多大な影響を与えたという。ニコルはこの事故の調査のために日本を訪れており、そのことがカナダのマッケンジー川での石油パイプラン計画反対につながったらしい。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:新潮社
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- ISBN:9784101035116
- 発売日:1987年06月01日
- 価格:1円
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