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ゆうちゃん
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四十歳になる源氏に、朱雀院から十五歳の娘を嫁に貰って欲しいと言う話が来る。源氏は、とうとう押し切られてしまった。紫の上は心中穏やかではない。その他、源氏の娘で東宮夫人の明石の姫君の出産など

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

故・桐壺院には腹違いの兄弟である朱雀と源氏がいた。朱雀は右大臣家の娘・弘徽殿女御(皇太后)の子、源氏は桐壺の更衣の子だが、源氏は母の身分が低く臣籍降下させられた。皇位は桐壺から朱雀、そして桐壺とその後妻・藤壺の宮との間の子である冷泉帝に移ったが、実は冷泉帝は、源氏と藤壺の宮との間の不義の子である。源氏は左大臣家から正妻を迎えたこともあって、右大臣家とは反りが合わなかった。朱雀が在位の頃は、右大臣家の娘朧月夜との不倫が露見して須磨・明石に流謫に遭ったこともあったが、朱雀はその頃のことを申し訳なく思っていた。桐壺院が亡くなり、朱雀も位を退き、冷泉帝が即位してかなり時間が経った頃に、冷泉帝はある人から源氏が自分の実父だと聞かされ、源氏を昇進させた。源氏は、今では太上天皇(上皇)扱いの身分である(これまでの粗筋)。

この帖から源氏は院と呼ばれている。朱雀院も院だが、本帖の訳では朱雀院は略さずに「朱雀院」、源氏は六条院とでも呼ぶべきところを屋敷の呼称と区別するためか、単なる「院」と呼び分かり易く区別している(拙評では源氏のままとさせていただく)。また、「真木柱」の帖で源氏の養女である玉鬘を強引に妻にした髭黒の右大将は左大将に昇進している。
朱雀院はこの頃、病弱で出家を望んでいるが、溺愛する女三の宮が気がかりだった。自分が死ねば娘の後援者は誰もいなくなる。今のうちに結婚させるべきで、源中納言(源氏の長子・夕霧)が太政大臣の娘・雲井の雁と結婚する前に娶せておけばよかったと後悔するくらいだった。他に選択肢はたくさんあるだろうと突っ込みたくなるところだが、結局、朱雀院は、源氏に女三の宮を押し付けるように世話(結婚)を頼んだ。源氏はあまりに年齢違いなので戸惑うが断り切れずにこの話を受けてしまう(この時、源氏は四十歳。女三の宮は十五歳)。年が明けてまず養女と言うべき玉鬘が源氏の四十賀(四十歳)のお祝いをした。そして、女三の宮は裳着の儀式(成人式)をして六条院に妻として迎えられた。心中穏やかではないのは紫の上だった。これまでも源氏の浮気は許容していたが、女三の宮は朱雀院の娘で自分より身分はかなり上だった。源氏が渋々引き受けたのを知っているので、平静な態度を装っている。しかし、迎えた女三の宮はあまりに幼く、源氏は紫の上が少女だった頃に比べても彼女の魅力と才気に改めて感心するのだった。それでも紫の上は安心できない。女三の宮が片付き、出家した朱雀院はお寺に移った。朱雀院の後宮は解散し、内侍だった朧月夜は、故・皇太后の屋敷だった二条に移った。源氏は、紫の上に気を使う一方で、朧月夜と話したくなり、お忍びで二条を訪ねる。朝帰りした源氏の態度に紫の上は鋭い洞察をするが、「若返った」などと皮肉を言うだけだ。
後半は、流謫中に妻とした明石の君と源氏との間の姫君(明石の姫君)が東宮と結婚後(前帖・「藤裏葉」)、本帖で目出度く出産する話。明石の姫君は御所での居室から「桐壺の方」とも「淑景舎の方」とも呼ばれる(こちらも、拙評では明石の姫君とさせていただく)。出産のため明石の姫君は、六条院に里帰りする。里帰りした後の六条院の描写はあまりなく、十一月になってからの種々の祝宴が記述される。紫の上が主催する源氏の四十賀、年末も近くなってからの秋好中宮(源氏の養女)の四十賀のための諸寺へのお布施の様子、源氏が冷泉帝主催の四十賀を断ったので、息子の夕霧が帝の意向を受けて開く半公式の四十賀の祝いの様子など。なお、源氏がお祝いを断ったので帝が気を遣い息子の夕霧を右大将(髭黒の後釜)に昇進させている。
続いて、翌年・三月に明石の姫君が若宮を無事に出産される話、そして若宮の御誕生で宿願が叶った明石入道(明石の君の父)がこの世に思い残すことはないと深山に籠る話が述べられる。明石の姫君の世話をする母・明石の君と祖母の尼はこれを聞いて悲しむし、源氏は立派なことだと称える。最後に春の六条院での蹴鞠の遊びの描写。太政大臣の長男・右衛門督(柏木)は蹴鞠の名手で、その技量は夕霧も及ばない。蹴鞠をしていると、女三の宮の居室から飛び出した猫の体に御簾の紐が引っ掛かり御簾があがってしまう。その時、右衛門督は女三の宮の姿を見てしまい、ぞっこん惚れてしまった。

源氏物語の中でもこれまでの最長の帖。ここまで概ね一帖・平均して三十頁ほどだが、本帖に限ると九十頁にもなる。あまりに出来事が多く、二、三帖に分けてもよさそうなものだと思った。粗筋をまとめた積りだが、伝わるかいささか心許ない。
前半で延々と続くのは、朱雀院の女三の宮をどこに嫁入りさせるかの逡巡と源氏への説得、そして女三の宮の幼さの描写である。女三の宮の嫁入り先の選定はあれこれ書かれた後に源氏に決まるが、源氏にする必然性はあまり感じられない。一方で女三の宮の幼稚さの描写で紫の上の魅力がわかるようになっている。この帖では珍しくパンチの効いた皮肉も言えて、まさに理想の妻。源氏はこの帖の中間で朧月夜を訪ねるが、この辺は相変わらずと言った感じ。ただ、印象深いのはふたりで二条にて語り明かした後に、源氏が二条の藤の花を見て感慨に浸る点。若き日の源氏は右大臣に藤の花の宴に招かれ、その晩に勢いで朧月夜を抱き、政敵の右大臣に気づかれて一時失脚したのだった。懐かしい話である。
当時の四十歳、五十歳は長生きで、貴人はそれぞれ四十賀、五十賀など祝ってもらうのが習慣だった。源氏は派手なことが嫌いだと言っているようだが、都合、四度も祝ってもらい、その度に豪奢な宴の様子、祝い品などの描写があり、紫式部もあまり描写を細かく書いても仕方ないと二度ほどは打ち切っている。表向き夕霧主催の四十賀(実際には内廷費で賄われている)では夕霧と右衛門督がお祝いの舞を踊っているが、ここでも紫式部は昔の「紅葉賀」での源氏と太政大臣(当時は頭中将)の舞と比較をしており、懐かしんでいる。
明石入道は、ひ孫(明石の姫君が産んだ若宮)の誕生で宿願が叶ったと深山に隠居してしまった。明石の屋敷も寺に建て替え、領地も寺領にしてしまったのだと言う。本当の意味での隠居だが、ひ孫が生まれたら会いに行きたくなりそうなものだと思うのだが、こういうところは当時の人の考え方はわからない。
この帖で皇太后と呼ばれた右大臣家の実力者(朱雀院の母)が亡くなっていることがわかった。やっと朱雀院も自由に出家が出来るようになったようだが、今の大河ドラマでも女院(吉田羊演じる一条天皇の母)と一条天皇との関係を見るにつけ、天皇と言う地位もかなり窮屈なものだと感じた。
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ゆうちゃん
ゆうちゃん さん本が好き!1級(書評数:1687 件)

神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。

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