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ぷるーと
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法隆寺修復と薬師寺再興に命をかけた宮大工の壮絶な生き様。
宮大工西岡常一は、法隆寺の宮大工の家に生まれた。
法隆寺には、中村、厨子、金剛、多聞と、宮大工が四組あった。そのうちのひとつ金剛組は江戸時代に四天王寺に配属となって大阪に居を移し、いまでも金剛組は天王寺に大きなビルを構えている。

法隆寺宮大工棟梁家は、代々『愚子見記』という大工技法書を鑑札として寺から預かる。四大工のうち多聞系列の長谷川がこの本を伝えてきたのだが、明治になって常一の祖父の代から西岡家で預かるようになった。西岡家が、法隆寺修復の際の棟梁として仕えるようになったのだ。

そして、昭和の大修復で、西岡常一は棟梁として指揮をとり、「法隆寺の鬼」と言われるほどになった。

この本は、大阪で映像製作会社を営んでいた作者が憧れであった西岡常一を撮りたいと願い、西岡常一に許されて撮影されたドキュメントから棟梁の言葉とその生き様をまとめたものだ。

明治生まれの西岡常一は、祖父の英才教育を受けて育った。英才教育といっても、あれこれ細かい指導を受けるのではなく、道具をひたすら砥ぐだけということが続き、高校は大工とは何の関係も無さそうな農業高校に行かされたという。それでも、農業高校に通ううちに生き物は全て土によって生かされていると気付き、土を見ることが木を見るのにどれほど大事かと気付いたという。そんな棟梁は、木材を見ただけでどこの産かが分かったし、どこの木材がどのような性質で何に向くか全て分かっていたという。

何度も繰り返される棟梁の言葉はどこまでも謙虚で、飛鳥建築への愛に溢れている。こういう本物の職人によって日本の建築だけでなく、伝統産業は護られてきたのに、近代日本政府はあまりにも職人をないがしろにしてきた。職人に対する尊敬の念が無さすぎるから、辛いだけだと職人のなり手がいなくなってしまった。ドイツのマイスター制度のようなものができなかったのも、職人に対する尊敬がないからなのだろう。西岡棟梁のような職人は、もういないかもしれない。それは、あまりにも悲しいことではないだろうか。

大学時代からずっと関西にいて、薬師寺再興も間近で見ていたのに、「いつも工事してるなあ」ぐらいにしか思っていなかった。また、薬師寺に行こう。西岡棟梁に思いを馳せながらじっくり細部まで見せていただこう、と思った。
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ぷるーと
ぷるーと さん本が好き!1級(書評数:2932 件)

 ホラー以外は、何でも読みます。みなさんの書評を読むのも楽しみです。
 よろしくお願いします。
 

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