三太郎さん
レビュアー:
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遅さや矛盾を受け入れ自由を貴ぶのが「南の思想」だ。ブレーキの壊れた資本主義社会への地中海からの対案。
著者のカッサーノ氏はイタリアの社会学者で、この本では古代ギリシャに起源をもつ「地中海的思考」の復権を訴えて、欧州で注目を集めたそうです。翻訳者のランベッリ氏は日本の大学に所属する日本文化の研究者ですが、彼の本イタリア的考え方―日本人のためのイタリア入門は既にレビューしたことがありました。
ランベッリさんはカッサーノさんの書作に感銘を受け、日本でも関心を持つ人が多かったことからこの本を翻訳したといいます。「地中海的思考」についてはランベッリさんの本のレビューから引用するのがよさそうです。
『「南の知」の特徴は絶対的な理念に疑いの眼を向けます。一見いい加減なように見えますが、思考の柔軟さの表れでもあります。「北の知」では善悪をはっきりさせるがよいとされますが、「南の知」ではどんなことにも議論の余地があると考えます。
「弱い思想」という哲学が提唱されています。一つの基準のもとに統一された「強い思想」は思考の自由を驚くほど制限してしまう。自分の人生を狭い枠に押し込めてしまう。絶対的真理を前提とする理性は他の思想を理解することができません。一方の「弱い思想」は差異・複雑性・多様性を受け入れます。』
ここでは地中海的思考を南の思考とか弱い思考とか言い換えています。
本書の著者によれば、西洋の思考の大本になったのは古代ギリシャ人たちの考え方でした。古代ギリシャ人たちは自分たちの都市を陸と海の出会うところ、岸辺や渚の近くに作りました。彼らは身軽に船で海へ乗り出し、ギリシャ半島を離れてイタリア半島や地中海沿岸まで進出し植民都市を築きましたが、決して内陸へは進出しませんでした。
岸辺では異文化の人々との出会いがあり、様々な軋轢も生じます。自分たちの文化を絶対とする原理主義では戦争しかありませんが、ギリシャ人は異なる意見の人々と議論はしても殺し合いまではしませんでした。そこから生まれたのが「南の知」です。絶対的な真理に対する懐疑と敵対する相手にも一分の理があるとする態度です。
著者は古代ギリシャ人の哲学を復活させようとした、二人の対照的なドイツの哲学者を机上にのせます。一人目が親ナチスだとして後年批判されたハイデガーです。ハイデガーは古代ギリシャとドイツは周囲を他者(他国)に取り囲まれているという共通点があると考えます。しかしハイデガーの考えるドイツにはギリシャにあった海との境界線(渚)がありませんでした。ハイデガーの思想がドイツ中心の全体主義になるのはそのためです。
もう一人の哲学者はニーチェです。ニーチェにとっての哲学は渚から船で大洋へ船出することでした。しかし彼の船出は再び渚に帰還することを想定しておらず、実際に彼は海の向こう(精神病院)へ行ってしまい帰りませんでした。
オデュッセウスの帰還が古代ギリシャ人の思考のモデルになっているようです。つまりオデュッセウスの船出は未知の大陸ではなくて故郷を目指したものでしたが、長い回り道の結果やっと故郷へ帰還したのでした。
現在の資本主義社会はどこに向かっているのか知らずに大洋を航海する船のようなものです。破滅が待っているのは間違いなさそうですが、帰るべき故郷を皆見失ってしまったようです。
ランベッリさんはカッサーノさんの書作に感銘を受け、日本でも関心を持つ人が多かったことからこの本を翻訳したといいます。「地中海的思考」についてはランベッリさんの本のレビューから引用するのがよさそうです。
『「南の知」の特徴は絶対的な理念に疑いの眼を向けます。一見いい加減なように見えますが、思考の柔軟さの表れでもあります。「北の知」では善悪をはっきりさせるがよいとされますが、「南の知」ではどんなことにも議論の余地があると考えます。
「弱い思想」という哲学が提唱されています。一つの基準のもとに統一された「強い思想」は思考の自由を驚くほど制限してしまう。自分の人生を狭い枠に押し込めてしまう。絶対的真理を前提とする理性は他の思想を理解することができません。一方の「弱い思想」は差異・複雑性・多様性を受け入れます。』
ここでは地中海的思考を南の思考とか弱い思考とか言い換えています。
本書の著者によれば、西洋の思考の大本になったのは古代ギリシャ人たちの考え方でした。古代ギリシャ人たちは自分たちの都市を陸と海の出会うところ、岸辺や渚の近くに作りました。彼らは身軽に船で海へ乗り出し、ギリシャ半島を離れてイタリア半島や地中海沿岸まで進出し植民都市を築きましたが、決して内陸へは進出しませんでした。
岸辺では異文化の人々との出会いがあり、様々な軋轢も生じます。自分たちの文化を絶対とする原理主義では戦争しかありませんが、ギリシャ人は異なる意見の人々と議論はしても殺し合いまではしませんでした。そこから生まれたのが「南の知」です。絶対的な真理に対する懐疑と敵対する相手にも一分の理があるとする態度です。
著者は古代ギリシャ人の哲学を復活させようとした、二人の対照的なドイツの哲学者を机上にのせます。一人目が親ナチスだとして後年批判されたハイデガーです。ハイデガーは古代ギリシャとドイツは周囲を他者(他国)に取り囲まれているという共通点があると考えます。しかしハイデガーの考えるドイツにはギリシャにあった海との境界線(渚)がありませんでした。ハイデガーの思想がドイツ中心の全体主義になるのはそのためです。
もう一人の哲学者はニーチェです。ニーチェにとっての哲学は渚から船で大洋へ船出することでした。しかし彼の船出は再び渚に帰還することを想定しておらず、実際に彼は海の向こう(精神病院)へ行ってしまい帰りませんでした。
オデュッセウスの帰還が古代ギリシャ人の思考のモデルになっているようです。つまりオデュッセウスの船出は未知の大陸ではなくて故郷を目指したものでしたが、長い回り道の結果やっと故郷へ帰還したのでした。
現在の資本主義社会はどこに向かっているのか知らずに大洋を航海する船のようなものです。破滅が待っているのは間違いなさそうですが、帰るべき故郷を皆見失ってしまったようです。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:講談社
- ページ数:0
- ISBN:9784062583657
- 発売日:2006年07月11日
- 価格:800円
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