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hackerさん
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「子どもの教育については、私は、かれらに小さな美徳ではなく、大きな美徳を教えるべきだと思う」(本書収録『小さな美徳』より)
本書は、ナタリーア・ギンツブルグが1962年に刊行したエッセー集ですが、11の収録作の執筆時期は1944年から1962年まで散らばっており、執筆した場所も、ローマ、トリーノ、ロンドンと分かれています。この時期には、最初の夫の獄死(1944年)と再婚(1950年)があり、政治的にもイタリアの激動期でした。ですので、収録作を書いた時と場所は重要なことであり、本書の序でギンツブルグは次のように述べています。

「執筆年は重要であり、文体の変化を示すので参考になる。私はまさにそれを書いているときでなければ、自分の書いたものを修正できないので、何ひとつ加筆しなかった。時間が過ぎると、もはや手直しできないのである。それゆえこの本はおそらく文体がきわめて不統一で、それについてはご容赦ねがう」

さて、こういうエッセー集というのは紹介するのが難しく、この拙文では引用が多くなると思いますが、ご容赦ください。例によって、印象的なものを紹介します。()は序で記されている初出の時期です。


●『アブルッツォの冬』(1944年秋)

「アブルッツォにはふたつの季節しかない、夏と冬だ。春には冬のように雪が降り、風が強く、秋は夏のように暑く、晴れる。夏は6月に始まり、11月に終わる。低い、干上がった丘が太陽に焼かれる長い日々、道路の黄色い埃、そして子どもたち赤痢が終わると、冬が始まる。すると人びとは路上での生活をやめて、はだしの男の子たちが教会の石段から消える」

このように始まるエッセーですが、反ファシズム運動家だった最初の夫レオーネが、南イタリアの貧村であるこの地に流刑となった時、ギンツブルグも子どもたちとこの地で1940年から1943年11月まで過ごしました。その地の厳しい気候や赤貧の中で暮らす村人のことを、淡々と描いた本作は、辛い内容でもありますが、訳者解説によると、レオーネは友人の歴史学者に次のように書き送ったそうです。

「夜、子どもが寝たあと、ぼくが翻訳したりゲラを直したりしているテーブルの前にすわって、彼女(ギンツブルグ)も自分の短篇や翻訳にかかります。それはぼくらの最良の時間です」

これに呼応するように、本作は最後は次のように締めくくられます。

「私の夫は、私たちが村を離れた数か月後に、ローマのレジーナ・チェーリ刑務所で死んだ。彼の孤独な死の恐怖を目の前にして、それが私たちに起こったことなのか、ジローの店でオレンジを買い、雪のなかを散歩した私たちに起こったことなのか、と自分に問いかける。あのころ私は、容易で幸福で、かなえられる願いと経験、ともにめざす仕事にみちた未来を信じていた。だがあのころが私の生涯の最良のときだったのであり、それが永遠に私から逃げ去ったいまになってはじめて、ようやくそれがわかるのだ」

ギンツブルグが「この流刑地生活がレオーネとの夫婦生活で最良の時期だった」と述べているは知っていましたが、レオーネそしてもしかしたら自分に危害が加えられる心配がなかった時期であったことが、このエッセーを読むと分かります。


●『イギリス讃歌とイギリス哀歌』(1961年春)

「イギリスは美しくて陰鬱だ。じつは私は多くの国を知らないが、イギリスは世界でもっとも陰鬱な国ではないかと思っている」

ギンツブルグのエッセーは出だしの「つかみ」がとても上手いと思いますが、これもその一例です。本作を書いた頃は、二番目の夫とロンドンで生活していて、「讃歌」と「哀歌」とは言うものの、印象に残るのは後者の方です。

「イギリス人には想像力が欠けている。みなが同じ服を着る」

「イギリスの女店員は世界でもっとも愚かな店員だ。
 しかしその愚かさには、シニズムや無礼、横柄さ、軽蔑がまったくない。まったく俗悪を欠く愚かさ。彼女はまったく下品でない。ゆえに怒らせない。イギリスの女店員の目は虚ろに、きょとんと凝視する、果てしない草原にいる羊たちの目のように。(中略)
 それゆえ、たまたまさほど愚かでない女店員にめぐりあうと、私たちは驚嘆して、店の物をぜんぶ買いたくなってしまう」

私もロンドンで暮らしてことがありますから、ここで書かれているは、ある程度分かります。ただ少し弁護すると、イギリスが「陰鬱」なのは、太陽光線の弱さと雨の多い天候の影響が大きいと思っていて、ギンツブルグのようにイタリアから来ると、よけい強く感じるのではないでしょうか。ターナーの絵とゴッホの絵の違いを思い浮かべてもらえば良いでしょう。

●『メゾン・ヴォルペ』(1960年春)

「ロンドンの、わが家の近くに《メゾン・ヴォルペ》という店がある。それが何かは知らず、入ったこともない。レストランかカッフェだろうと思う。おそらくそこに入ることはないだろうから、その名前は私には謎のまま残るだろう。だが私はロンドンと、そごで過ごした時間を思い出すと、耳にその音が響いて、ロンドンのすべてが私にとって、そのパリ風の名前に要約されているような気がする」

この出だしから想像できるように、不味いことで定評のあるロンドンのレストラン若しくはイギリス料理についてのエッセーです。

「ロンドンのイタリア人は、会えば、レストランの話をする、ロンドンのどこを探しても、集まって楽しくお喋りし、食事のできるレストランはない。個々のレストランは混みすぎるか、がらんとしているかだ。そしてどれも慇懃さ、もしくはわびしさを特徴としている。ときにそのふたつが混じりあい、ときに慇懃さや背もたれの高い硬い椅子や毛皮の夫人たち、銀のデカンタなどがわびしさにまさり、ときにはわびしさが慇懃さを制して、生気なくよどんでいる。それに、どこでも、ほぼ同じ料理、黒く縮んだステーキに小さな茹でトマト一個、オイルも塩もかかっていないサラダ菜一枚が添えられて出てくる」

「しばらくすると、この国で生きるには、食物を買うのに軽率な行為は許されないことがわかる。ケーキ屋に入って、ケーキを選び、家に持ち帰って食べるということができない。こんな単純で無邪気な行為がこの国ではできない。なぜならそれらのケーキは、優雅にチョコレートでつつまれ、アーモンドが入っているが、食べてみると、まるで石炭や砂をこねあわせたようなのだ。公平を期すためにつけ加えておかなければならないが、害はなにもない」

まぁ、イタリア人ならこう感じても無理ないと思いますが、ここも少し弁護してみましょう。イギリスの料理は不味いと言われますが、唯一平均点をつけると日本より上ではないかと思われるのがインド料理です。アジア系のエスニックや中近東料理も美味しいです。また、自分の経験から言うと、衣食住三拍子揃っている都市というのはほとんどなくて、東京やパリは衣食は良いのですが住はひどく、ロンドンはその逆で住は素晴らしいですが衣食はイマイチです。ロンドンの金融街から電車に一時間乗ると、野性のキツネやフクロウが庭に現れることもある住環境が用意されています。それと、食べ物が不味いことも、プラスに働くこともあるようです。昔、会社の先輩にこう聞かれたことがあります。

「なぜ、イギリスは世界に冠たる大英帝国を築くことができたか、分かるか?」

私は、うにゃうにゃと何か答えたような記憶がありますが、先輩はこう続けました。

「こんな不味いものを食べて平気なら、世界中どこへ行っても暮らせるからだ。日本人には無理だ」

●『彼と私』(1962年夏、「未発表と思われる」との作者コメントがあります)

「彼は暑がり、私は寒がり。ほんとうに暑いとき、彼は暑い、暑いと嘆いてばかりいる。夜に私がカーディガンを羽織るのを見て、いやな顔をする。
 彼は数か国語に堪能、私はどれもうまく話せない。彼は、彼一流のやり方で、知らない言語でも話せる。
 彼は方向感覚が抜群にいい、私は方向音痴」

彼とは二番目の夫、英文学者のガブリエル・バルディーニのことです。この出だしからお分かりのように、半分冗談、半分真面目な内容のとても楽しいエッセーです。ただ、それだけでなく、レオーネの死の打撃から回復して再婚する相手としては、とても良い選択だったと感じさせてくれる優れた作品です。

●『私の仕事』(1949年秋)

題名通り「書く」ということについてのエッセーです。これは部分を紹介するより、全文を読んでもらった方が良いと思うのですが、特に好きな部分だけ引用しておきます。

「私は魂の片隅では、私は自分がどういう者であるかをつねに、よく知っている、つまり小物、小物の作家だということだ。(中略)だがそれは私には大したことではない。(中略)重要なことは、これが仕事だ、職業だ、一生するだろうことだ、という信念をもつことだ」

●『小さな美徳』(1960年春)

「子どもの教育については、私は、彼らに小さな美徳ではなく、大きな美徳を教えるべきだと思う。貯蓄ではなく気前の良さとお金に対する無関心、慎重さではなく勇気と危険を顧みないこと、要領のよさではなく率直さと真実の愛、駆け引きではなく隣人への愛と献身、成功願望ではなく存在し、知るという願望を」

このエッセーは、簡単に言うと、子どもには現実に汲々とすることではなく、もっと大きく世界を見ること、大きく世界を知ることを教えようという内容です。分かりやすい例として、子どもに貯蓄を教える非を挙げています。

「私たちは各自それぞれお金の問題につきまとわれているので、自分の子どもたちにまず教えようと思いつく小さな美徳は貯蓄である。貯金箱を買い与え、お金を使わないでためておくのはなんとすばらしいことか、数か月後には、かなりの、立派な額の貯金になると説明する。また使いたいのをがまんするのはなんとすばらしいことか、そうすれば最後には何か高価なものが買えると言う。(中略)私たちの時代にはお金も、それを貯める楽しみもこんにちほど恐ろしい、汚らしいことではなかったことを忘れている、お金は、時がたてばたつほど汚くなるものだ。要するに、貯金箱は私たちの最初の過ちで、自分たちの教育体系に、小さな美徳を組み込んだのである」

ただ、作者の言いたいことは分かるのですが、子どもに貯金をさせるなど到底不可能な家庭もあるわけで、親の経済的条件を考慮に入れないこういう主張は、やや引っかかるものを感じます。正直なところ、こういうエッセーで、自己のことを語るのならともかく、悪く言うと説教めいたことを書くのには、あまり感心しません。しかし、その意味で印象的でしたし、表題作でもあるので、紹介してみました。


最後ですが、ギンツブルグ自身が述べているように、翻訳を通してとは言え、彼女の作品を何作か読むと、文体が執筆時期に応じて変化していることを感じます。個人的には、若い時よりも、ある程度年をとってから書いた文章の方が好きです。クリント・イーストウッドが年をとってから「昔より、映画を撮るのが上手くなった」という趣旨の発言をしたことがありますが、ギンツブルグにも当てはまるのかもしれません。ただ、ここは好みの分かれるところだと思います。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. かもめ通信2024-04-09 07:00

    私も丁度、積んであった別訳本を読み終えたところでした。
    レビューはもう少し先になると思いますが。

  2. hacker2024-04-09 07:49

    おや、そうでしたか。書評を楽しみにしています。私は、これで未知谷から出ているギンツブルグ初期の本は全部読んだので、ちょっと先になりますが『モンテ・フェルモの丘の家』を読むつもりです。

  3. No Image

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