hackerさん
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「おれは地獄を見てきた。もうこれ以上は聞かないで」(東京大空襲後の東京を訪れてきた、ヒロインの疎開先の人の言葉)
ぱるころさんの書評で興味を惹かれ、手に取りました。感謝いたします。
角野栄子は1935年生まれです。ですので、1945年にはちょうど10歳でした。Wikipediaには、出典を明記した、以下の記述があります。
「5歳の時に生母を病気で亡くし、寂しさを紛らわすために物語をよく空想した。深川で質屋を営んでいた父親は物語をよく聞かせてくれた。江戸川区立西小岩国民学校に入学する。父が再婚後すぐに出征したため父が戻るまで小岩の自宅で新しい母と弟で暮らした。小学4年生の秋、山形県西置賜郡長井町(現・長井市)に学童疎開する。深川の店は東京大空襲で焼失した」
2015年刊の本書の時代背景と物語は、ほとんど、この通りです。主人公はイコちゃんという女の子です。ですので、イコちゃんという女の子の一人称で語られる本書には、作者自身が当時の体験や感じたことが反映されているのではないかと思います。例えば、大人たちが「こんなご時世」「お国のために」と言いながら、次第に生活が苦しくなっていく様を、ちょっとおかしいと思いながら語る部分です。
「戦争のために国はたくさんのお金が必要だから、いくらあっても足りないのだという。それで『ぜいたくは敵だ』が、みんなの合い言葉になった。(中略)
食べ物は贅沢品じゃなくても、だんだんと少なくなってきた。お金は戦車を買うために必要だから、食べ物にはたくさん使えないのだ。なにごとも辛抱だ。戦争に勝つまでは」
ですが、後半には、こんなことも思うようになります。
「どうしてこんなことになってしまったのだろう。私の周りには、だれひとりとして、幸せな人はいない。誰かが死に、誰かが行方不明。そして、みんながお腹をすかせている。(太平洋)戦争が始まった時は、みんながみんな、希望に満ち溢れていたのに。今はこれからどうなるのかと不安の塊になっている」
ここが辛辣なのは、太平洋戦争開戦時には、自分も含めた「みんながみんな」浮かれていたじゃないの、ということをはっきり語っている点です。そして、イコちゃんは、決して「良い子」ではありません。ある意味では、わがままです。継母に対するうちとけなさや疎開生活に対する不満も、隠さずにそのまま描かれています。しかし、両親と東京で何不自由なく暮らしていた生活が、東京に残った父親と切り離され、継母と腹違いの弟と一緒にありとあらゆるもの困窮する疎開生活に放りこまれたことを、おとなしく受け入れられるわけがないということなのでしょう。それは小学生の女の子の感情としては、普通のことだと思います。そして、戦時下における、この「良い子」でない、わがままな東京の女の子からの視点から「銃後の生活」を語っている点が、この作品をユニークで素晴らしいものにしています。
本書の物語については、他の方々の書評でも述べられていますので、ここでは細かくは述べません。ただ、東京大空襲をめぐる描写は、さり気なくも生々しく、本書でも最も印象に残る部分だということは強調しておきます。東京大空襲に限らず、戦争による惨劇を直接描写しなくても、そのむごさを伝えることはできるのです。
また、読んでいて、思い出した映画があります。ヴィクトール・エリセ監督の実に美しい『ミツバチのささやき』(1973年)です。映画の舞台は、スペイン内戦終了後の小さな村です。こちらも物語を詳しくは語りませんが、少女、戦争、脱走兵、精霊、怪物という共通のキーワードを持ち、何よりも、脱走兵=精霊というアイデア、生きているにせよ死んでいるにせよ、この精霊が少女と交流するという展開も共通しています。考えてみれば、イコちゃんにしろ、脱走兵にしろ、自分のできる範囲で、戦争に抗議しているのです。
本書の解説は小川洋子が書いているのですが、その中で次のように述べています。
「当然ながら、数字の上で、1945年は遠ざかってゆくばかりだ。今の子どもたちが、直接戦争を体験した人に接する機会は、ほとんどないだろう。
そこで大事な役目を果たすのが、本である。決して忘れてはならない記憶を、時の流れの中、物語は辛抱強く伝え続けてくれる。おかげで私たちは、自分が生まれる以前の時間にさかのぼり、そこに生きる人々と同じ風景に身を置くことができる。彼らと心を通わせることさえできる」
もしかしたら、イコちゃんが、当時の感覚の「良い子」でないのは、現代の子供がタイムスリップしたような感覚を意識したのかもしれません。「直接戦争を体験した人に接する機会」があった私のような老人でも心動かされる小説ですが、もっと若い世代向けに書かれたような気がしますし、そういう人たちに読んでもらいたい作品です。
角野栄子は1935年生まれです。ですので、1945年にはちょうど10歳でした。Wikipediaには、出典を明記した、以下の記述があります。
「5歳の時に生母を病気で亡くし、寂しさを紛らわすために物語をよく空想した。深川で質屋を営んでいた父親は物語をよく聞かせてくれた。江戸川区立西小岩国民学校に入学する。父が再婚後すぐに出征したため父が戻るまで小岩の自宅で新しい母と弟で暮らした。小学4年生の秋、山形県西置賜郡長井町(現・長井市)に学童疎開する。深川の店は東京大空襲で焼失した」
2015年刊の本書の時代背景と物語は、ほとんど、この通りです。主人公はイコちゃんという女の子です。ですので、イコちゃんという女の子の一人称で語られる本書には、作者自身が当時の体験や感じたことが反映されているのではないかと思います。例えば、大人たちが「こんなご時世」「お国のために」と言いながら、次第に生活が苦しくなっていく様を、ちょっとおかしいと思いながら語る部分です。
「戦争のために国はたくさんのお金が必要だから、いくらあっても足りないのだという。それで『ぜいたくは敵だ』が、みんなの合い言葉になった。(中略)
食べ物は贅沢品じゃなくても、だんだんと少なくなってきた。お金は戦車を買うために必要だから、食べ物にはたくさん使えないのだ。なにごとも辛抱だ。戦争に勝つまでは」
ですが、後半には、こんなことも思うようになります。
「どうしてこんなことになってしまったのだろう。私の周りには、だれひとりとして、幸せな人はいない。誰かが死に、誰かが行方不明。そして、みんながお腹をすかせている。(太平洋)戦争が始まった時は、みんながみんな、希望に満ち溢れていたのに。今はこれからどうなるのかと不安の塊になっている」
ここが辛辣なのは、太平洋戦争開戦時には、自分も含めた「みんながみんな」浮かれていたじゃないの、ということをはっきり語っている点です。そして、イコちゃんは、決して「良い子」ではありません。ある意味では、わがままです。継母に対するうちとけなさや疎開生活に対する不満も、隠さずにそのまま描かれています。しかし、両親と東京で何不自由なく暮らしていた生活が、東京に残った父親と切り離され、継母と腹違いの弟と一緒にありとあらゆるもの困窮する疎開生活に放りこまれたことを、おとなしく受け入れられるわけがないということなのでしょう。それは小学生の女の子の感情としては、普通のことだと思います。そして、戦時下における、この「良い子」でない、わがままな東京の女の子からの視点から「銃後の生活」を語っている点が、この作品をユニークで素晴らしいものにしています。
本書の物語については、他の方々の書評でも述べられていますので、ここでは細かくは述べません。ただ、東京大空襲をめぐる描写は、さり気なくも生々しく、本書でも最も印象に残る部分だということは強調しておきます。東京大空襲に限らず、戦争による惨劇を直接描写しなくても、そのむごさを伝えることはできるのです。
また、読んでいて、思い出した映画があります。ヴィクトール・エリセ監督の実に美しい『ミツバチのささやき』(1973年)です。映画の舞台は、スペイン内戦終了後の小さな村です。こちらも物語を詳しくは語りませんが、少女、戦争、脱走兵、精霊、怪物という共通のキーワードを持ち、何よりも、脱走兵=精霊というアイデア、生きているにせよ死んでいるにせよ、この精霊が少女と交流するという展開も共通しています。考えてみれば、イコちゃんにしろ、脱走兵にしろ、自分のできる範囲で、戦争に抗議しているのです。
本書の解説は小川洋子が書いているのですが、その中で次のように述べています。
「当然ながら、数字の上で、1945年は遠ざかってゆくばかりだ。今の子どもたちが、直接戦争を体験した人に接する機会は、ほとんどないだろう。
そこで大事な役目を果たすのが、本である。決して忘れてはならない記憶を、時の流れの中、物語は辛抱強く伝え続けてくれる。おかげで私たちは、自分が生まれる以前の時間にさかのぼり、そこに生きる人々と同じ風景に身を置くことができる。彼らと心を通わせることさえできる」
もしかしたら、イコちゃんが、当時の感覚の「良い子」でないのは、現代の子供がタイムスリップしたような感覚を意識したのかもしれません。「直接戦争を体験した人に接する機会」があった私のような老人でも心動かされる小説ですが、もっと若い世代向けに書かれたような気がしますし、そういう人たちに読んでもらいたい作品です。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- ページ数:0
- ISBN:9784041137451
- 発売日:2023年11月24日
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