ゆうちゃんさん
レビュアー:
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社会は、平等だった狩猟採集民のバンド(小集団)から部族、首長制、そして国家に進化し、その間、ヒエラルキーと格差が誕生して固定したと言われていた。このドグマを打ち破る新しい人間像を描いた本。
こちらも朝日新聞の書評を読んで興味を惹かれた本。実は新聞の書評欄で目にする前に本屋で見かけ、題名に興味をそそられてはいたのだが、その場で最初の数ページを読んでもあまりピンと来ず、新聞の書評を読んで改めて読みたいと思った本である。
この本では、社会進化学の、ここでは敢えてドグマと書くが、以下を真向から否定し、歴史を通じて新しいホモサピエンス像を打ち立てようとする野心的な本である。本書で否定されている社会進化学のドグマとは、主に以下の4つである。
①テュルゴーの経済的進歩の段階論:社会の進歩は狩猟者から始まり、牧畜、農耕を経て現代の都市商業文明の段階に至る。
実は、この進歩思想には裏があり、それはルソーの試論である。
②ルソーの試論(人間不平等起源論):狩猟採集時代は平等で善、農耕が始まって不平等が生じ、争いが起きた。争いを止めさせるために人間は権力(政府)を作ったが、これが自由を縛る罠となった。
③トマス・ホッブズの理論:人間社会は万人の万人のための闘争へと導く人間の卑しい本能を集団で抑圧することで成り立っているのであり、多数の人間が同じ場所で生活しているような時、そんな抑圧が一層必要になる。
④ルドルフ・フォン・イェーリングの国家の定義:国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である
①の理論は②の試論への反論として編み出されたのだが、本書では両方とも否定されている。③の理論においては、何をかいわんやである(さらにひどい理論とされている)。④は本書では③までとは別の流れの議論となるのだが、このような近代の国民国家の定義で歴史をみてはいけない、という。
では著者らはどうしてこのような考えに至ったのだろうか?第1章では問題設定が行われる。そもそも、人間の不平等の起源を問うても意味はない。ルソーの言う「狩猟採集時代には所有権などの無い平等な自然状態にあった」なる理論は空想であり、ルソー本人も空想の産物に過ぎないと認めている。人間は過去から現在に至るまで同じ程度の能力を有しており、狩猟採集時代がそんな単純な社会である筈はないと言う。ルソーの試論があたかも真実の様に扱われ、今日の社会進化、社会理論、歴史、特にビッグ・ヒストリーの分野の理論は打ち立てられている。第2章では、北米の先住民との交流が始まった頃にヨーロッパで啓蒙思想が流行った要因を分析している。ヨーロッパの思想家が狩猟採集的な生活を送る北米先住民の思想に触れて啓蒙思想を編み出したというが著者たちの主張である。従来は、それはヨーロッパ人が理想を未開人に投影したに過ぎない(いわゆる「高貴な未開人」の考え)とか、何かの間違いくらいで片づけられていたが、そうではないと言う事を著者らは数々の文献を引用して証拠づけている。本書では引用されていないが、『アメリカ建国とイロコイ民主制』という本もある。第3章からが具体論である。第3章では、狩猟採集時代が部族やバンド、首長制と言ったような単純な言葉で片づけられない複雑な社会であることを描き出している。特に目を引くのは、狩猟採集時代でも、季節によってヒエラルキーを設けたり、自由な状態になったりと、社会組織に季節性を持たせた狩猟採集民のことである。結局、狩猟採集時代にもヒエラルキーはあり、ルソーの「不平等の起源」を問うことに代え、なぜ人間は不平等社会を受け入れるまま閉塞に落ちったのかという新たな問いを設けている。この問いの答えは明確に出ないようだが、第11章を見ると、その答えの一端がよくわかるようになっている。第4章では、人間社会は本来広い地域で移動の自由もあったのだが、文化圏により細分化されてしまったことが述べられている。これは束縛のひとつの原因と思われる(文化圏が非常に広ければよいが細分化されてしまうと、ある文化圏に属する人間の移動の自由はそれだけ減っててしまう)。そして、従来は農耕の開始と関連付けられていた所有という概念が、神聖不可侵なものを手元に置くと言うことから始まったのだと言う著者たちの理論が明かされる。第5章では北米大陸西岸のカナダ側とカリフォルニア側の先住民の社会組織の大きな違いを論じ、分裂生成の概念の説明をする。分裂生成とは前章の文化圏の考えとも被るのだが、隣人と自分は違うと言う人間のアイデンティティを示す本能のようなものである。第6、7章では農業の起源を問い直す。農業革命などと称されるが、人類は農業に適した作物の品種改良のために3千年も要しており、このタイムスケールでは「革命」とは言えない。しかも、農業の導入を嫌う社会もあったことを述べている。第8,9章は多人数を擁しヒエラルキーの登場・固定化と結び付けられ易い都市の出現を論じている。果たして都市が出現すれば、必ずヒエラルキーが登場するのだろうか?興味深い反論がウクライナやメソアメリカの遺跡をもとに組み立てられる。第10、11章は国家の起源を論じている。④に挙げたイェーリングの理論をもとに古代国家を論じるとどんな不具合があるのか、著者らはその代わり三つの要素(暴力の統制、知・情報の統制、カリスマ性)で古代の社会組織を論じている。ここではテュルゴーの理論をもとにした社会進化がいかにおかしなものか、決定打が放たれる。確かにユーラシア大陸の社会組織は、互いの影響があって似たような経過をたどったのかもしれない。しかし、コロンブス以前のアメリカ大陸は、人類の社会進化のもう一つの道、の他の影響を受けなかった純粋な一例である。
そしてこの章では第2章に登場するイロコイ族の先住民思想家カンディラロンクの思想が再び参照される。第11章は、結論ではあるが、なぜ人類の社会組織がヒエラルキーに閉塞してしまったのか、著者たちの考えが明かされる。
本書を読み進めるにつれて、2冊の書物のことが思い浮かんだ。一冊目はアメリカの先住民社会を論じたチャールズ・C・マンの「1491年―――コロンブス以前のアメリカ新大陸の新発見」である。概ねこの本に書かれていることは、マンが描写したアメリカ大陸の先住民の様子と矛盾はない。例えばこんな記述が本書にもある。
しかし、著者たちはマンの著作には重大な過誤があると394頁で指摘している。もう一冊はジェイムズ・C・スコットの「反穀物の人類史」である。こちらの方は素晴らしい先行例として著者らは高く評価しているし、第11章ではこの本の概要まで述べている。
本書では、ジャレド・ダイヤモンド(「銃・病原菌・鉄」や「昨日までの世界」)、ユヴァル・ノア・ハラリ(「サピエンス全史」)、ロビン・ダンパーなどが批判のやり玉に挙がっている。ダイヤモンドやハラリは、歴史の専門家でもないのに、テュルゴーの史観を前提に考古学の良いとこ取りをしていると手厳しい。ダンパーは、有名なダンパー数(人間が常時付き合える人数は大脳皮質の容量から上限150人という理論)から、ある人数以上の組織化にはヒエラルキーが必要と言う理論の元になってしまう概念を唱えた人として批判されている。いずれの著者、作品も自分が文明論や人類学の本として感銘を受け、高く評価してきただけに、本書の批判にはいささかショックである。しかし、著者らの厳密な、厳密過ぎる本書の論証を読むと、説得されてしまう。勿論、この本は人間の本来の能力と、今閉塞状態に陥ってしまった世界がよりよくなる可能性を提示したものだから、本書の理論が本当であってほしいと思う。それにしても著者たちの力の入れようは半端ではない。1頁に上下2段で描かれた本論が600頁、参考文献のリストだけでも54頁もある。自分は読むのにまる2週間かかってしまった。読むのが大変な本ではあるが、読み応えはあって歴史の好きな方には必ず手に取って欲しいと思う。
本書は従来の社会進化論を批判した本だが、三つの自由(移動の自由、不服従の自由、新たな世界で新しい人間関係を創り出す自由)も大事な概念として述べられている。憲法に種々の自由が規定されているものの、真の自由が現代社会にないのは、これらの自由が本当の意味で達成されていないからだ。例えば会社で自分の信念を告白することは憲法に表現の自由があっても、普通は出来ない。特に上位の人と意見が合わなければ、会社を首になるまでに至らなくても不利な扱いを受ける可能性があるからだ。しかし、著者らの移動の自由をこの場合転職の自由と解釈すれば、そうはならないだろう。しかし日本の会社組織、ビジネス形態では、本当に優秀な人に握りの人しかそうした自由は有しない。それが閉塞状態である。
また、本書ではこのような閉塞状態の裏に男性優位の社会があると言っている。古代の自由の中には、女性たちの活躍があったようだ。
本書では、狩猟採集時代の豊かな社会の一例として日本の三内丸山遺跡の事も取り上げている。日本人として、このような事例が国内にあり、著者に取り上げてもらったのはうれしい。
この本では、社会進化学の、ここでは敢えてドグマと書くが、以下を真向から否定し、歴史を通じて新しいホモサピエンス像を打ち立てようとする野心的な本である。本書で否定されている社会進化学のドグマとは、主に以下の4つである。
①テュルゴーの経済的進歩の段階論:社会の進歩は狩猟者から始まり、牧畜、農耕を経て現代の都市商業文明の段階に至る。
実は、この進歩思想には裏があり、それはルソーの試論である。
②ルソーの試論(人間不平等起源論):狩猟採集時代は平等で善、農耕が始まって不平等が生じ、争いが起きた。争いを止めさせるために人間は権力(政府)を作ったが、これが自由を縛る罠となった。
③トマス・ホッブズの理論:人間社会は万人の万人のための闘争へと導く人間の卑しい本能を集団で抑圧することで成り立っているのであり、多数の人間が同じ場所で生活しているような時、そんな抑圧が一層必要になる。
④ルドルフ・フォン・イェーリングの国家の定義:国家とは、所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関である
①の理論は②の試論への反論として編み出されたのだが、本書では両方とも否定されている。③の理論においては、何をかいわんやである(さらにひどい理論とされている)。④は本書では③までとは別の流れの議論となるのだが、このような近代の国民国家の定義で歴史をみてはいけない、という。
では著者らはどうしてこのような考えに至ったのだろうか?第1章では問題設定が行われる。そもそも、人間の不平等の起源を問うても意味はない。ルソーの言う「狩猟採集時代には所有権などの無い平等な自然状態にあった」なる理論は空想であり、ルソー本人も空想の産物に過ぎないと認めている。人間は過去から現在に至るまで同じ程度の能力を有しており、狩猟採集時代がそんな単純な社会である筈はないと言う。ルソーの試論があたかも真実の様に扱われ、今日の社会進化、社会理論、歴史、特にビッグ・ヒストリーの分野の理論は打ち立てられている。第2章では、北米の先住民との交流が始まった頃にヨーロッパで啓蒙思想が流行った要因を分析している。ヨーロッパの思想家が狩猟採集的な生活を送る北米先住民の思想に触れて啓蒙思想を編み出したというが著者たちの主張である。従来は、それはヨーロッパ人が理想を未開人に投影したに過ぎない(いわゆる「高貴な未開人」の考え)とか、何かの間違いくらいで片づけられていたが、そうではないと言う事を著者らは数々の文献を引用して証拠づけている。本書では引用されていないが、『アメリカ建国とイロコイ民主制』という本もある。第3章からが具体論である。第3章では、狩猟採集時代が部族やバンド、首長制と言ったような単純な言葉で片づけられない複雑な社会であることを描き出している。特に目を引くのは、狩猟採集時代でも、季節によってヒエラルキーを設けたり、自由な状態になったりと、社会組織に季節性を持たせた狩猟採集民のことである。結局、狩猟採集時代にもヒエラルキーはあり、ルソーの「不平等の起源」を問うことに代え、なぜ人間は不平等社会を受け入れるまま閉塞に落ちったのかという新たな問いを設けている。この問いの答えは明確に出ないようだが、第11章を見ると、その答えの一端がよくわかるようになっている。第4章では、人間社会は本来広い地域で移動の自由もあったのだが、文化圏により細分化されてしまったことが述べられている。これは束縛のひとつの原因と思われる(文化圏が非常に広ければよいが細分化されてしまうと、ある文化圏に属する人間の移動の自由はそれだけ減っててしまう)。そして、従来は農耕の開始と関連付けられていた所有という概念が、神聖不可侵なものを手元に置くと言うことから始まったのだと言う著者たちの理論が明かされる。第5章では北米大陸西岸のカナダ側とカリフォルニア側の先住民の社会組織の大きな違いを論じ、分裂生成の概念の説明をする。分裂生成とは前章の文化圏の考えとも被るのだが、隣人と自分は違うと言う人間のアイデンティティを示す本能のようなものである。第6、7章では農業の起源を問い直す。農業革命などと称されるが、人類は農業に適した作物の品種改良のために3千年も要しており、このタイムスケールでは「革命」とは言えない。しかも、農業の導入を嫌う社会もあったことを述べている。第8,9章は多人数を擁しヒエラルキーの登場・固定化と結び付けられ易い都市の出現を論じている。果たして都市が出現すれば、必ずヒエラルキーが登場するのだろうか?興味深い反論がウクライナやメソアメリカの遺跡をもとに組み立てられる。第10、11章は国家の起源を論じている。④に挙げたイェーリングの理論をもとに古代国家を論じるとどんな不具合があるのか、著者らはその代わり三つの要素(暴力の統制、知・情報の統制、カリスマ性)で古代の社会組織を論じている。ここではテュルゴーの理論をもとにした社会進化がいかにおかしなものか、決定打が放たれる。確かにユーラシア大陸の社会組織は、互いの影響があって似たような経過をたどったのかもしれない。しかし、コロンブス以前のアメリカ大陸は、人類の社会進化のもう一つの道、の他の影響を受けなかった純粋な一例である。
ユーラシア大陸で起きたことの影響がない唯一の例外はアメリカ大陸である。それは(コロンブス到達以前は)決して同一の世界システムには組み込まれなかった。それは真に独立した比較対象のひとつ(南北アメリカを別物とするならば二つかもしれない)を、わたしたちは有していることになるからである(512頁)。
そしてこの章では第2章に登場するイロコイ族の先住民思想家カンディラロンクの思想が再び参照される。第11章は、結論ではあるが、なぜ人類の社会組織がヒエラルキーに閉塞してしまったのか、著者たちの考えが明かされる。
本書を読み進めるにつれて、2冊の書物のことが思い浮かんだ。一冊目はアメリカの先住民社会を論じたチャールズ・C・マンの「1491年―――コロンブス以前のアメリカ新大陸の新発見」である。概ねこの本に書かれていることは、マンが描写したアメリカ大陸の先住民の様子と矛盾はない。例えばこんな記述が本書にもある。
開拓者の目には手つかずの荒野に見えても実際には先住民が何十年と管理してきた光景である(168頁)。
つい最近までアマゾンは孤立した諸部族の隠れ家とし、ホッブズの言う自然状態だと勘違いされてきた。しかし、キリスト生誕の頃、アマゾンは既に町や段々畑、モニュメントや道路が散りばめられていた。16世紀にアマゾンに到達した最初のヨーロッパ人は近隣一体を治める最高首長の統治する活気に満ちた氾濫源を活写するが、これは出資者の気を惹きたい誇張だと片付けられていた(308頁)。
しかし、著者たちはマンの著作には重大な過誤があると394頁で指摘している。もう一冊はジェイムズ・C・スコットの「反穀物の人類史」である。こちらの方は素晴らしい先行例として著者らは高く評価しているし、第11章ではこの本の概要まで述べている。
本書では、ジャレド・ダイヤモンド(「銃・病原菌・鉄」や「昨日までの世界」)、ユヴァル・ノア・ハラリ(「サピエンス全史」)、ロビン・ダンパーなどが批判のやり玉に挙がっている。ダイヤモンドやハラリは、歴史の専門家でもないのに、テュルゴーの史観を前提に考古学の良いとこ取りをしていると手厳しい。ダンパーは、有名なダンパー数(人間が常時付き合える人数は大脳皮質の容量から上限150人という理論)から、ある人数以上の組織化にはヒエラルキーが必要と言う理論の元になってしまう概念を唱えた人として批判されている。いずれの著者、作品も自分が文明論や人類学の本として感銘を受け、高く評価してきただけに、本書の批判にはいささかショックである。しかし、著者らの厳密な、厳密過ぎる本書の論証を読むと、説得されてしまう。勿論、この本は人間の本来の能力と、今閉塞状態に陥ってしまった世界がよりよくなる可能性を提示したものだから、本書の理論が本当であってほしいと思う。それにしても著者たちの力の入れようは半端ではない。1頁に上下2段で描かれた本論が600頁、参考文献のリストだけでも54頁もある。自分は読むのにまる2週間かかってしまった。読むのが大変な本ではあるが、読み応えはあって歴史の好きな方には必ず手に取って欲しいと思う。
本書は従来の社会進化論を批判した本だが、三つの自由(移動の自由、不服従の自由、新たな世界で新しい人間関係を創り出す自由)も大事な概念として述べられている。憲法に種々の自由が規定されているものの、真の自由が現代社会にないのは、これらの自由が本当の意味で達成されていないからだ。例えば会社で自分の信念を告白することは憲法に表現の自由があっても、普通は出来ない。特に上位の人と意見が合わなければ、会社を首になるまでに至らなくても不利な扱いを受ける可能性があるからだ。しかし、著者らの移動の自由をこの場合転職の自由と解釈すれば、そうはならないだろう。しかし日本の会社組織、ビジネス形態では、本当に優秀な人に握りの人しかそうした自由は有しない。それが閉塞状態である。
また、本書ではこのような閉塞状態の裏に男性優位の社会があると言っている。古代の自由の中には、女性たちの活躍があったようだ。
本書では、狩猟採集時代の豊かな社会の一例として日本の三内丸山遺跡の事も取り上げている。日本人として、このような事例が国内にあり、著者に取り上げてもらったのはうれしい。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:光文社
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- ISBN:9784334100599
- 発売日:2023年09月21日
- 価格:5500円
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