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ぱせりさん
ぱせり
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この本は、漢詩集でもなくその解釈の本でもなく、エッセイであるけれど、それだけではなく。
漢詩。日本では、漢文訓読という方法で読み下してきた。中国語で音読せず、日本語にも翻訳せずという、独特の距離感で、漢文とつきあってきた。と、言われてみれば、そのとおりだ。
読み下し文には独特の美しさがあるが、中国語と日本語の意味の違いなどから、時には意味が通らなくなることもあった。


著者による、自由詩への漢詩の翻訳は、従来の漢詩読み下し文に感じていた一線が消えたような感じ。
詩人の気持ちに、現代の私でもすんなりと気持ちを寄せられるし、詩人が見ている光景を、既視感のある光景として思い浮かべることもできる。


例えば……
李商隠の「無題」の出だしは
「颯颯東風細雨来」
著者はこう訳す。
「ざわめいたのは東の風
 かぼそい雨を引きつれて」
漢詩って、こんなにも身近な、身に覚えのあるものだった。しかも美しい。漢文としての独特の美しさではなくて、詩としての美しさだ。


31編のエッセイ、各編には、少なくても一編の漢詩が、著者の翻訳詩とともに掲載されている。
エッセイは詩の解釈か、といえば、そうではない。著者は「詩はタコと同じく生きもの」だというが、そうなら、エッセイも詩と同じく生きもので、互いに呼び合い影響し合っている印象だ。
思索の言葉さえも美しくて、エッセイがそのまま詩でもあるように感じる。


「時の年輪がつくりあげた美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨て、人生の後半をたこぶねのように、さらなる未知の世界へ泳ぎだしたい」という願いは、そもそも、たこぶねという、美しい殻を持つ、たこの仲間の習性から始まること。さらにそもそも、著者の目のまえに海があること。
少年と老人が釣りをする岩場、黄色い船が通りすぎる沖。
ほら、これは詩というより絵だ。


一方、海は美しいが嘔吐を誘うような憂鬱がゆらゆら貼り付いているのだという言葉にどきっとする。


いくつもの壊れた目覚まし時計(わざわざ買ってきた)を並べて「こんなふうにばらばらの時を奏でる時計に囲まれて一服するのは、ものすごく瞑想的なリクリエーションなんじゃないか」なんてシュールな絵だ。


外国で、一人になりたい時、「意識のチューニングがゆるむやいなや、まわりを取り囲むすべての言葉が一瞬でらくがきとざわめきに転落するので、自分の声だけが純粋に響きわたる状況というのがしょっちゅうおとずれる」
らくがきとざわめき。こんなふうに、特別な言葉ではないのに、そこでそのように使われる不思議さ、新鮮さを、何度も味わいながら読んでいる。


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ぱせり
ぱせり さん本が好き!免許皆伝(書評数:1742 件)

いつまでも読み切れない沢山の本が手の届くところにありますように。
ただたのしみのために本を読める日々でありますように。

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