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ぽんきち
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<悪の凡庸さ>の「凡庸化」を考える
「悪の凡庸さ」というと一般に、平凡な人物が盲目的に上からの指示にしたがい、結果として恐ろしい悪に加担することを指す。官僚などが職務に忠実に物事にあたったがゆえに、戦争犯罪といった、醜怪な悪事の一端を担うことになるわけだ。
元はといえば、ナチス親衛隊員でユダヤ人大量移送に関与したアドルフ・アイヒマンを評して、哲学者ハンナ・アーレントが述べた言葉から来ている(『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』)。終戦後、南米に逃亡していたアイヒマンは、イスラエル当局に捉えられ、1963年、エルサレムで裁判を受ける。ユダヤ系ドイツ人であるアーレントが裁判の傍聴記として書いたのが前出書である。その中で、アーレントは「悪の凡庸さ(陳腐さ)(Banality of Evil)」という言葉を使っている。
この言葉はかなりのインパクトを持って世間に受け入れられ、スタンレー・ミルグラムの服従試験(いわゆるアイヒマンテスト)やスタンフォード監獄実験といった、「普通の人」が権力を握ったがゆえに悪に傾いていくことを示唆する心理実験なども展開されていく。
だが、実際、アイヒマンとはどういう人物だったのか。そしてアーレントが「悪の凡庸さ」という言葉で表そうとした概念はどういうものだったのか。
それらと、世間一般に抱かれているこの言葉のイメージに、かなりの乖離があるのではないかというのが本書の主眼である。

そもそもアイヒマンは上の命令に唯々諾々としたがうだけの「小役人」であったのか。そのあたりにスポットライトを当てたのが、ベッティーナ・シュタングネトの『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』である。南米での逃亡・潜伏時代のアイヒマンは、饒舌で、ナチス時代を後悔するわけでもなく、むしろ自分の現在の境遇に不満すら抱いていた。「命令で」「仕方なく」やったというには主体的でありすぎたアイヒマンの姿が浮かぶ。

実際、専門家の間では、人口に膾炙した「“凡庸”なアイヒマン像」は、実態に即していないというのは既に認められたことであったという。にもかかわらず、世間一般の認識との大きな差はどうして正されぬままなのか。
「悪の凡庸さ」に関する論点を、歴史学者とアーレント研究者(思想研究者)がさまざまな視点から解き、対談も行ったのが本書である。

アーレント研究者の主張からすると、アーレントがいった「凡庸さ」というのは、「よくある(common)こと」を指しているのではなく、またアイヒマンが結果をまったく想像せずに業務を行っていたとアーレントが考えていたわけでもない。彼は相当理知的で、結果についても十分理解をしていた。けれども自分の枠組みの外側から、それを考え直すことをしなかった。ある種、紋切り型の言葉、紋切り型の行動にしたがい、惨事の中でかなり大きな役割を果たしたことを「凡庸」と呼んでいる。
彼女はある意味、この言葉がもたらすインパクトも予想していた。キャッチ-なフレーズが衆目を集めるだろうと考えてはいただろう。
とはいえ、初出となった『エルサレムのアイヒマン』は雑誌連載が元となっており、その言葉の概念についての説明が十分だったとは言えない。むしろ、やや不用意であったと言ってもよいだろう。
そこから誤解が生じ、十分に訂正されることもなく、現在に至っていると言えそうだ。

さほど長い本ではないが、経緯に対する歴史学者の苛立ちや、歴史学者と思想学者のスタンスの違い、あるいは専門家の常識と世間一般に流布する誤った説との乖離など、読みどころはいろいろある。すべてにクリアな結論が出るわけではないが、考える種や気づきも多い。

個人的にはホロコースト関連の話にはずっと関心があり、断続的ではあるが、関連本や映像作品にも触れてきた。その延長線で数年前、アーレントを扱った映画(『ハンナ・アーレント』)、アイヒマンを扱った映画(『スペシャリスト』)やその他の映画・ドキュメンタリーなども見てきた。そうした中で、記録に残るアイヒマンを「知らずに悪事に加担した平凡な小役人」と捉えるのは、徐々に違和感が大きくなった。
この点に整理がついたのは収穫だった(ここまでが長かった・・・)。
この後もホロコーストを追うかどうかは昨今の中東情勢を見ると少々考えるところはある。いずれにしろ、少し別の面から考えていくことになりそうな気もする。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1827 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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