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DBさん
DB
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二大帝国を考察する本
古代ローマ帝国、それは地中海世界を支配した巨大な帝国だった。
そしてパルティア帝国、それは西アジアを支配した古い歴史と高い文化を持つ帝国だった。
この両者がユーフラテス川を挟んで睨み合い、時に互いに領土を侵略しながら戦い続けた三百年の歴史を追っていきます。

表紙になっている左側はパルティア人戦士の像ですが、右の一目でローマ人とわかる人物は誰だろうと見てみたらクラッススだった。
イタリアの都市国家として始まり拡大し続けていったローマ帝国が小アジアに進出してきて、セレウコス朝崩壊後の支配権をめぐってパルティアと対立するようになったのはスッラがアルメニア王国との争いに巻き込まれていた時だった。
この時スッラとパルティアはユーフラテス川を境界線とした友好条約を結んでおり、パルティアの方ではローマとの平和的な関係を望んでいたようである。

この平和の均衡が破られたのが三巨頭制時の一画であるクラッススのパルティア遠征だった。
大軍に有能な副将もつけて送り出せば勝ってくるだろうというカエサルとポンペイウスの予想に反してクラッススは大敗を喫し、カルラエの戦いでローマの五万の軍勢が一万のパルティア騎兵に打ち破られたのだった。
このパルティア戦でクラッススが戦死したことがカエサルと元老院の間の内乱へと発展していくのはローマでの話だが、パルティアとの激闘史が幕を開けたのもこの戦いである。

この後アントニウス、アウグストゥス、ネロ配下の名将コルブロ、トラヤヌス、セプティミウス・セウルスとカラカラといったローマの支配者とパルティアの戦いや外交について詳しく見ていきます。
直接戦うこともあればアルメニアやメソポタミアの小国の王位を巡って代理戦争をすることもあり、外交によって平和を贖うこともあった。
ローマの方がより積極的にアジアの支配を進めたがっていたように見えるが、パルティアの方でも内部の勢力争いにローマを利用しようとしてみたり、ローマが弱体化したかのように見えれば侵略してみたりとお互いに常に機会を狙っていたようだ。

著者はこのローマとパルティアの関係をアメリカのイラク戦争と結び付けて考察しているが、ローマの支配欲が両者の関係を決定していた。
ローマが境界であったユーフラテス川を越えて軍事行動を行ったのは、勝利者となりたいという欲求でありローマが最強の帝国であることを証明するためだった。
凱旋将軍としての栄光のためにクラッススはパルティアへ軍を進め、カルラエの戦いで大敗したことがローマを繰り返し東方へ進軍させる理由となった。
そしてパルティアの方でも繰り返されるローマとの戦いが国を疲弊させ、ササン朝ペルシャにとってかわられる原因のひとつになっていた。
両国の歴史をわかりやすくまとめてあり、興味深い本だった。
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DB さん本が好き!1級(書評数:2034 件)

好きなジャンルは歴史、幻想、SF、科学です。あまり読まないのは恋愛物と流行り物。興味がないのはハウツー本と経済書。読んだ本を自分の好みというフィルターにかけて紹介していきますので、どうぞよろしくお願いします。

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