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ぽんきち
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困難ながらも朗らかさを伴う日常と、同時に、いずこからともなく忍び寄る不吉な暴力と。
大江健三郎の連作短編集。
1983年、円熟期の作にあたる。
知的障害のある長男、光(作中ではイーヨーと呼ばれる)を中心にした家族の出来事を私小説的に綴る。表題作を含めて7作、いずれもウィリアム・ブレイクの詩編や絵画のタイトルから引かれている。表紙もまたブレイクの装画である。

ウィリアム・ブレイクは詩人・画家である。生前には、幻視的・幻想的な作風が理解されず、狂人と見なされるほどであったという。
「古代あの足が(And did those feet in ancient time)」で始まる聖歌『エルサレム』の作詞者でもある。
預言的にも見えるその絵は、人知を超える何かを感じさせるようでもある。希望と同時に畏れも抱かせるような何ものかを。

私小説的作品というのは、どの程度それを作者自身に重ねてよいのか難しいところではあるが、本作に関してはかなり事実に即している、あるいは少なくとも著者の心象風景にかなり近いものを綴っている印象を受ける。
著者を思わせる主人公の「僕」はブレイクにかなり傾倒しており、作品を深く読み取り、吸収している。
ブレイクの作品世界を見つめながら、同時に現実世界も生きる、ふたつが重なり合った世界を漂うような、一種不思議な読み心地である。

イーヨーは少年から青年になろうとしている。けれども知能は童子のままだ。夜はおむつも必要である。家族の生活は彼を中心に回る。
確かに困難な日常なのだが、どこかしら朗らかさがあり、ユーモアがある。「僕」は彼を「わが家の祝祭的な気分の祭司」と呼ぶ。彼が家を笑いで満たすのだ。
父たる「僕」自身にもその朗らかさはあり、精神の健康さ・強さを感じさせる。

だが。
世界にはまた、汚辱も暴力もあるのである。
それは、「僕」の留守中のイーヨーの怒りの発出、三島由紀夫の自決がもたらす影、「僕」が見る不吉な夢など、そこここに顔を出すのだが、最も顕著に現れるのは、終盤近くのイーヨーの誘拐未遂事件である。「僕」の家を訪れたこともある学生が、イーヨーを連れ去り、東京駅に置き去りにしたのである。彼は「僕」の思想に批判的で、イーヨーを連れ去って殺そうと思ったが、それにも嫌気がさし、結局放置したというのだ。そのことを知り、「僕」は激しい怒りにかられる。それまでにも別の人物から無言電話などの嫌がらせを受けており、それも拍車をかけた。急いで駅に向かい、イーヨーは無事保護されはするのだが。
暴力は、まず、第三者から、イーヨーに、そして「僕」に向けられる。深くは知らぬ他人からの、ある種、いわれのない暴力である。だが、それだけではない。「僕」には、それに対して抱く、どす黒い怒りがある。「僕」の妻(イーヨーの母)を不安にさせるほどの暴力的な怒りである。妻は連れ去りの犯人に対して「僕」が暴力で立ち向かい、逮捕されてしまうのではないかとまで恐れるのだ。
そして、作中に現れる暴力はそれだけではない。
「僕」にとって、イーヨーはかわいい息子ではあるが、一方で、どこか、理解しきれない存在でもある。知能の発達の遅れにもかかわらず、息子の身体は成長していく。そのアンバランスさ。あるいは息子は性的衝動から、他者を傷つけることもあるのではないか。4作目、「蚤の幽霊」にはその惧れが色濃くにじむ。
それは実際にイーヨーが暴力を内に秘めているというより、「僕」が見る幻想であるのかもしれないのだが、ブレイクが描いた「蚤の幽霊」のグロテスクさとともに、じわじわと怖さが押し寄せる。

全体のタイトルともなっている表題作は最終話である。
イーヨーは家を出て、寄宿舎で暮らすことになる。久しぶりに帰宅したイーヨーは、相変わらず家族に笑いをもたらしつつ、しかし、明らかに違いを見せつつもある。
そして彼はイーヨーという幼名を捨て、「光」と呼ばれることを選ぶのである。
「新しい人」として。「眼ざめ」たものとして。
彼の歩む先が、汚辱ではなく、祝祭に満ちたものであればよい、と読者たる自分は思うのだが。とはいえ、汚辱の中に祝祭があり、祝祭の中に汚辱はあるものであるのかもしれない。
初老の父。いずれは息子を残して世を去らねばならない。息子を永遠に守ってやることはできないのだ。
「新しい人よ眼ざめよ(Rouse up, O, Young men of the New Age !)」とは、複雑な世を渡っていく息子への父の祈りの言葉のようにも思える。
    • ブレイク『蚤の幽霊』
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1827 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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