hackerさん
レビュアー:
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1973年9月11日、もう一つの9・11、米政権の援助を受けた軍部によるクーデターがチリで起こってから、今年で50年になります。
1970年、歴史上はじめて自由選挙によって選ばれた社会主義政権がチリで誕生しました。しかし、その大統領となったサルバドール・アジェンデは、1973年9月11日に起こった米政権とCIAの援助を受けた軍部のクーデターにより、自死に追い込まれます。その間の背景については、トマス・ハウザー著『ミッシング』のレビューの中で簡単に述べていますから、良かったら参考にしてください。『ミッシング』は、クーデターの最中に行方不明となった米国青年を探しにチリにやってきた父親が、息子は既に死んでおり、それは軍部とCIAのつながりに関する情報を偶然知ったためらしいということを知る過程と、息子の最後の数日間を追ったノンフィクションです。また、ガルシア=マルケスによる『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険』は、亡命中にもかかわらず、変装して軍事政権下のチリに潜入してドキュメンタリーを撮った映画監督のルポルタージュでした。つまり、前者は軍事クーデターの発生を、後者は軍事政権下の抑圧の時代を扱ったものです。
これに対し、本書は、軍事政権から民政へ移管された直後の時代を扱っています。本書の訳者解題で時代背景が詳しく述べられていますが、要点を簡単に説明します。チリの軍事政権は、ピノチェト大統領による独裁政権でしたが、彼が失脚するきっかけとなったのは、大統領の任期の8年延長の是非を問うた1988年10月の国民投票での敗北でした。結果、1989年12月にクーデター以来初の普通選挙が行われ、反ピノチェト派のパトロシオ・エイルウィンが次期大統領に選出されて、ピノチェトは1990年3月に大統領職を辞しました。そして、エイルウィン大統領は、軍事政権が行った殺人の調査のためのレティグ委員会を設立し、1991年3月にテレビ放送を通じて、その報告書の内容が公表されます。そこでは推認を含む死亡事例2279件が認定されており、その内容も綿密かつ詳細なもので、医師多数が拷問に証拠隠滅に手を貸していたことも確認されましたが、実行者の氏名は公表されていませんでしたし、殺人に限っての調査でした。
しかし、2003年に民政三代目のラゴス大統領が「政治的拘束および拷問に関する国家委員会」を設立し、2004年の一次報告で、拘禁・拷問被害者として未成年者102名を含む27255名を認定、2011年の二次報告で拷問被害者9795名、強制失踪・超法規的処刑30件が追認されます。そして、「3399名を数える女性証言者のほとんどが性拷問を受けていたと、手段としての拷問は反軍政勢力の情報を引き出すためだけでなく人々の間に恐怖を植えつけ委縮させ、テロルの支配をもって抵抗の芽を摘む目的があったこと」も記録されました。ただ、こちらも「公道での抗議活動や個人を特定しない軍の掃討作戦に起因する不当拘禁を対象としない」上、「レティング委員会と同様、(起訴等の)法的権限はなく、被害者名を除く調査記録の核心部分は50年間機密」となっています。
長くなりましたが、本書を読む際は、このぐらいの知識があった方が良いと思います。ただ、これはチリ軍政下特有のことではなく、ロシア占領下のウクライナ、ミャンマー軍事政権下をはじめとして、世界で現在も起こっていることだということは理解いただけると思います。
本書は三幕からなる戯曲で、登場人物は三人だけです。内容については、作者自身による『日本語版へのあとがき(2023年) クーデター50年後の死と数多くの乙女たち』の文章から引用します。
「陽が傾き沈みつつある一日の終わり、ひとりの女性(パウリナ)が夫(ヘラルド)の帰りを待ち受ける。彼女の大地を蝕んだ独裁政権は先ごろ瓦解したばかり、何もかも行く手は定かならず、女性は心身ともすっかり恐怖に呑み込まれ、他人には話せず彼女の愛する男性とのみ分かち合えるテロルの経験にすくんでいる。これから続く夜に日を継いで彼女はその恐怖と真正面から対決せざるを得なくなり、彼女の信ずるところによれば何年も前に自分を拷問にかけ強姦した張本人であるところの医者(ロベルト、夫の車のパンクを助け、夫婦の家に立ち寄りました)を、自宅の居間で裁きにかけようと企てる。さて彼女の夫、何千何万件にも上る前政権下の不服従者殺しを調査する委員会の一員たる法律家は、被告となった医者を弁護する立場に立たされ、法の支配に目をつぶれば民主主義への移行をも危険に晒しかねず、またもし妻が医者を殺すに及べば夫たる自分の経歴も先はないがゆえに医者を弁護するものの、過去に傷つき病んだ大地を癒す上では彼とて何ら手の施しようがない。
それは何年も前の出来事でありながら今日おきつつあってもおかしくない出来事、私にはまさしく今このとき似たようなことがどこかで起きているという確信がある」
作者は場所を特定しているわけではありませんが、明らかに1990年のチリを舞台にしたものです。少し補足すると、バウリナは道路を歩いていたところをいきなり拉致され、2カ月にわたって虐待と性的拷問を受けており、ずっと目隠しされていたので、その場に立ち会っていた医師の顔は知りませんが、声と話し方の癖から、ロベルトが自分をシューベルトの『死と乙女』を流しながら、自分をサディスティックに暴行した相手だと確信したのです。しかし、その時の体験は夫にも詳しく話せずにいて、いまだにその影響で精神が不安定な彼女の判断がどこまで信用できるのか、彼女は正気なのか、はたしてロベルトがその医者だと断定できるのか、そして彼女の言葉の端々からかうかがえる残虐行為の実態のひどさが、読む者(=観客)を緊張感で包みます。
また、作者のメッセージとしては、チリは平和的に民政へと移管したのですが、その代償として、軍事政権下の残虐行為の個人の責任は問わない、かつということにしたわけで、さらに「公道での抗議活動や個人を特定しない軍の掃討作戦に起因する不当拘禁」を調査対象としないということは、ザル調査にしかならず、それで良いのかという抗議が読み取れます。同時に、残虐行為を積極的に指導した軍部の責任を曖昧にしたまま個別の人間を罰することに、はたして意味があるのか、責任を取るべきは組織であり同時に個人ではないか、という主張も読み取れるのが、本書を単純な勧善懲悪のパターンと違うものに仕立てあげています。バウリナの次の台詞がそれを表しています。
「この国の体制移行とかいうのも、その伝じゃないの?あたしたちが民主主義を手にすることは許す、その代わり彼らは経済と軍とを握り続ける、とこうでしょう?委員会は犯罪行為を調査してよろしい、ただし犯罪者たちが罰を受けることはない、これもそうよね?ありとあらゆるすべてを語る自由がある、ただし何もかもすべてを語るのでないときに限って」
そして、本書のラスト・シーンは、それまでシューベルトという名前を聞くのも堪えられなかったパウリナがヘラルドと『死と乙女』のコンサートを聴いている場面です。しかし、ロベルトはどうなったのでしょうか。そこは、読者(=観客)に委ねられた終わり方となっています。
この極めて普遍的な内容と広がりを持つ戯曲を書いたのは、1942年アルゼンチン生まれで、アメリカを経て、チリに定住したアリエル・ドルフマンです。軍事政権発足時にアメリカに亡命しましたが、1990年にチリに戻りました。本書がチリで出版されたのは1992年ですが、チリ版への序文によると、本国での初演は悪評ぷんぷんだったそうです。その時代、こういう話をチリ社会が受け入れる用意はなかったようです。しかし、ノーブル文学賞受賞者ハロルド・ピンターの援助もあってこぎつけたロンドン公演は大成功し、アメリカでのブロードウェー公演は、グレン・クローズ、リチャード・ドレイファス、ジーン・ハックマンという豪華キャストを組んで、行われました。その評判をもって、一種の凱旋帰国だったチリでの再演は大好評だったそうです。また、ロマン・ポランスキーが、シガニー・ウィーバー、ベン・キングズレー、スチュアート・ウィルスン出演で1994年に映画化し、『死と処女』という邦題で日本公開されました。この映画の脚本には、ドルフマンも名を連ねています。日本でも、宮沢りえ、堤真一、段田安則出演で、2019年に公演が行われています。これらは、この作品の持つ普遍性を示すものだと思います。
最後ですが、この本を独裁国家の話と捉えてはいけないと思います。太平洋戦争終結後、個人として戦犯に処された者はいたものの、組織としての軍に対して、あるいは大元帥であった昭和天皇に対して、どういう形で責任を取らせたのか、あるいは取らせなかったのかを思い出せば、理解できるでしょう。これだけの普遍性を持つ本は、そうはないのです。
これに対し、本書は、軍事政権から民政へ移管された直後の時代を扱っています。本書の訳者解題で時代背景が詳しく述べられていますが、要点を簡単に説明します。チリの軍事政権は、ピノチェト大統領による独裁政権でしたが、彼が失脚するきっかけとなったのは、大統領の任期の8年延長の是非を問うた1988年10月の国民投票での敗北でした。結果、1989年12月にクーデター以来初の普通選挙が行われ、反ピノチェト派のパトロシオ・エイルウィンが次期大統領に選出されて、ピノチェトは1990年3月に大統領職を辞しました。そして、エイルウィン大統領は、軍事政権が行った殺人の調査のためのレティグ委員会を設立し、1991年3月にテレビ放送を通じて、その報告書の内容が公表されます。そこでは推認を含む死亡事例2279件が認定されており、その内容も綿密かつ詳細なもので、医師多数が拷問に証拠隠滅に手を貸していたことも確認されましたが、実行者の氏名は公表されていませんでしたし、殺人に限っての調査でした。
しかし、2003年に民政三代目のラゴス大統領が「政治的拘束および拷問に関する国家委員会」を設立し、2004年の一次報告で、拘禁・拷問被害者として未成年者102名を含む27255名を認定、2011年の二次報告で拷問被害者9795名、強制失踪・超法規的処刑30件が追認されます。そして、「3399名を数える女性証言者のほとんどが性拷問を受けていたと、手段としての拷問は反軍政勢力の情報を引き出すためだけでなく人々の間に恐怖を植えつけ委縮させ、テロルの支配をもって抵抗の芽を摘む目的があったこと」も記録されました。ただ、こちらも「公道での抗議活動や個人を特定しない軍の掃討作戦に起因する不当拘禁を対象としない」上、「レティング委員会と同様、(起訴等の)法的権限はなく、被害者名を除く調査記録の核心部分は50年間機密」となっています。
長くなりましたが、本書を読む際は、このぐらいの知識があった方が良いと思います。ただ、これはチリ軍政下特有のことではなく、ロシア占領下のウクライナ、ミャンマー軍事政権下をはじめとして、世界で現在も起こっていることだということは理解いただけると思います。
本書は三幕からなる戯曲で、登場人物は三人だけです。内容については、作者自身による『日本語版へのあとがき(2023年) クーデター50年後の死と数多くの乙女たち』の文章から引用します。
「陽が傾き沈みつつある一日の終わり、ひとりの女性(パウリナ)が夫(ヘラルド)の帰りを待ち受ける。彼女の大地を蝕んだ独裁政権は先ごろ瓦解したばかり、何もかも行く手は定かならず、女性は心身ともすっかり恐怖に呑み込まれ、他人には話せず彼女の愛する男性とのみ分かち合えるテロルの経験にすくんでいる。これから続く夜に日を継いで彼女はその恐怖と真正面から対決せざるを得なくなり、彼女の信ずるところによれば何年も前に自分を拷問にかけ強姦した張本人であるところの医者(ロベルト、夫の車のパンクを助け、夫婦の家に立ち寄りました)を、自宅の居間で裁きにかけようと企てる。さて彼女の夫、何千何万件にも上る前政権下の不服従者殺しを調査する委員会の一員たる法律家は、被告となった医者を弁護する立場に立たされ、法の支配に目をつぶれば民主主義への移行をも危険に晒しかねず、またもし妻が医者を殺すに及べば夫たる自分の経歴も先はないがゆえに医者を弁護するものの、過去に傷つき病んだ大地を癒す上では彼とて何ら手の施しようがない。
それは何年も前の出来事でありながら今日おきつつあってもおかしくない出来事、私にはまさしく今このとき似たようなことがどこかで起きているという確信がある」
作者は場所を特定しているわけではありませんが、明らかに1990年のチリを舞台にしたものです。少し補足すると、バウリナは道路を歩いていたところをいきなり拉致され、2カ月にわたって虐待と性的拷問を受けており、ずっと目隠しされていたので、その場に立ち会っていた医師の顔は知りませんが、声と話し方の癖から、ロベルトが自分をシューベルトの『死と乙女』を流しながら、自分をサディスティックに暴行した相手だと確信したのです。しかし、その時の体験は夫にも詳しく話せずにいて、いまだにその影響で精神が不安定な彼女の判断がどこまで信用できるのか、彼女は正気なのか、はたしてロベルトがその医者だと断定できるのか、そして彼女の言葉の端々からかうかがえる残虐行為の実態のひどさが、読む者(=観客)を緊張感で包みます。
また、作者のメッセージとしては、チリは平和的に民政へと移管したのですが、その代償として、軍事政権下の残虐行為の個人の責任は問わない、かつということにしたわけで、さらに「公道での抗議活動や個人を特定しない軍の掃討作戦に起因する不当拘禁」を調査対象としないということは、ザル調査にしかならず、それで良いのかという抗議が読み取れます。同時に、残虐行為を積極的に指導した軍部の責任を曖昧にしたまま個別の人間を罰することに、はたして意味があるのか、責任を取るべきは組織であり同時に個人ではないか、という主張も読み取れるのが、本書を単純な勧善懲悪のパターンと違うものに仕立てあげています。バウリナの次の台詞がそれを表しています。
「この国の体制移行とかいうのも、その伝じゃないの?あたしたちが民主主義を手にすることは許す、その代わり彼らは経済と軍とを握り続ける、とこうでしょう?委員会は犯罪行為を調査してよろしい、ただし犯罪者たちが罰を受けることはない、これもそうよね?ありとあらゆるすべてを語る自由がある、ただし何もかもすべてを語るのでないときに限って」
そして、本書のラスト・シーンは、それまでシューベルトという名前を聞くのも堪えられなかったパウリナがヘラルドと『死と乙女』のコンサートを聴いている場面です。しかし、ロベルトはどうなったのでしょうか。そこは、読者(=観客)に委ねられた終わり方となっています。
この極めて普遍的な内容と広がりを持つ戯曲を書いたのは、1942年アルゼンチン生まれで、アメリカを経て、チリに定住したアリエル・ドルフマンです。軍事政権発足時にアメリカに亡命しましたが、1990年にチリに戻りました。本書がチリで出版されたのは1992年ですが、チリ版への序文によると、本国での初演は悪評ぷんぷんだったそうです。その時代、こういう話をチリ社会が受け入れる用意はなかったようです。しかし、ノーブル文学賞受賞者ハロルド・ピンターの援助もあってこぎつけたロンドン公演は大成功し、アメリカでのブロードウェー公演は、グレン・クローズ、リチャード・ドレイファス、ジーン・ハックマンという豪華キャストを組んで、行われました。その評判をもって、一種の凱旋帰国だったチリでの再演は大好評だったそうです。また、ロマン・ポランスキーが、シガニー・ウィーバー、ベン・キングズレー、スチュアート・ウィルスン出演で1994年に映画化し、『死と処女』という邦題で日本公開されました。この映画の脚本には、ドルフマンも名を連ねています。日本でも、宮沢りえ、堤真一、段田安則出演で、2019年に公演が行われています。これらは、この作品の持つ普遍性を示すものだと思います。
最後ですが、この本を独裁国家の話と捉えてはいけないと思います。太平洋戦争終結後、個人として戦犯に処された者はいたものの、組織としての軍に対して、あるいは大元帥であった昭和天皇に対して、どういう形で責任を取らせたのか、あるいは取らせなかったのかを思い出せば、理解できるでしょう。これだけの普遍性を持つ本は、そうはないのです。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:0
- ISBN:9784003770139
- 発売日:2023年08月10日
- 価格:792円
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