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hackerさん
hacker
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東京創元社の意欲的な「日本ハードボイルド全集」全七巻、これにて完結!
この「日本ハードボイルド全集」は今まで六巻出版されており、本書で完結となります。このシリーズの編者は、北上次郎、日下三蔵、松江松恋の三名で、書かれた時代や編者の偏った嗜好を、できるだけ排除しようという姿勢が見えます。「傑作集」と銘うった本書は、狭義でなく、広義で考えると、ハードボイルドというジャンルはこんなに広いものなのだ、ということを認識させてくれるセレクションになっています。

例によって、特に印象的な作品を紹介します。()内は、作者名と初出年になります。


●『おれだけのサヨナラ』(山下諭一、1963年)

昔『マンハント』という、あまり正統派でないハードボイルド小説を中心とした雑誌がありましたが、作者はそこの編集者で、「通俗ハードボイルド」という名称の創案者とのことです。本作は、実に見事な「通俗ハードボイルド」で、ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドの流ればかりがハードボイルドでないよという主張が小気味いいです。

●『凍土のなかから』(稲見一良、1968年)

「びっこの老犬と、生きることに不熱心な老けた男とが、人の世と断絶したところで生きて来たのだ。慰めあわなければ、生きられなかった」

ひと晩で髪の毛が真白になる出来事の後、5年前に都会を離れ、山中に猟犬のジロを暮らすことを選んだ「私」は、ある冬の日、ジロと一緒に前から狙っていた巨大猪の追跡を行っていました。こうして、狩猟や釣りに打ち込んでいる時だけ、「私」はすべてを忘れられることができるのでした。ジロは以前の狩りの負傷のせいで、後ろ足が不自由な上、猟犬としてはやや年を取っていましたが、「生きる気力を失った私」にはまたとないパートナーでした。二日がかりの追跡の後、首尾よく猪は仕留めますが、その解体処理をしている時、何者かに襲われ、気を失ってしまいます。意識を取り戻すと、二人の男に猟銃は奪われ、ジロは殺されていました。男たちが持っていたラジオのニュースから、彼らが三日前に看守を殺して脱獄し、ふもとの村でも若夫婦を殺害して、山中に逃げてきたことを知ります。男たちは、山越えをして、海まで案内することを「私」に強要したのでした。

作者の稲見一良は、自然に対する愛着と、趣味の狩猟を通して得た銃の知識を活かした作品で知られており、それがよく表れている一作です。

●『新宿その血の渇き』(藤原審爾、1969年)

地方から東京に出てきて町工場で働く高卒の若い男が、屈折した怒りと憎しみを、連続通り魔事件という形でしか発散できなくまでを描いた作品です。自分の故郷には居場所がなく、高等教育を受けることもなく、そこから放り出された形で、東京で暮らしている若者というのは、これが書かれた時代にはイメージしやすい設定でしたが、この設定の本質的な部分は現在も変わらず存在していると思います。

●『骨の聖母』(高城高、1972年)

サハリン(樺太)と北海道の海洋学・水産関係の学者との交流を行いたいと旧ソ連からの提案で、サハリンに行った北大の島本教授は、現地でたまたま、土葬されていた上半身だけの日本人の白骨が発見されたことを知ります。なぜ日本人と分かったかというと、首に数珠がかけられていたからで、数珠を使うのは日本人だけだからです。島本教授はソ連当局と交渉の末、白骨を日本に持ち帰りますが、身元の手がかりがなくて往生していたところ、数珠に小さな写真が埋め込まれており、そこからサハリン在住の歯医者だったことが分かり、その妻と娘に遺骨を引き渡すことができ、ちょっとしたニュースにもなりました。ところが、娘から電話があり、島本が会ってみると、納骨に立ち会ってほしいという依頼だったので、快諾しましたが、その席で、こんなことを言われたのでした。

「あの、先生。あのお骨なんですが、全部父のものなんでしょうか。ちょっと混じっているような気がするんです」

この作家を読むのは初めてでした。後述する『日本ハードボイルド史[黎明期]』で、日下三蔵は、本作の作者高城高については「本来であればこの全集に一巻が充てられて然るべき」存在であるが「2008年に同じ創元推理文庫から全四巻の個人全集が刊行されているため」見送ったと述べています。殊に『X橋付近』(1955年)は日本におけるハードボイルドの嚆矢と目されている作品だそうです。

本作は、「全集刊行後に存在が確認された作品」だそうで、厳密な意味ではハードボイルドではないかもしれませんが、遺骨をめぐる謎と、それを取りまく人間模様、そして登場人物たちが波風を立てないで終わることを選択するラストなど、作品の雰囲気はハードボイルドですし、何よりも、さり気ない描写の文章の上手さが印象に残ります。作者の他の作品も読んでみます。

●『暗いクラブで逢おう』(小泉喜美子、1974年)

本作では、事件と呼べるようなことは起こりません。主人公ジョーンジイが経営するクラブ「ジョーンジイの店」にある夜の出入りする人間模様を描いた無国籍風ドラマです。映画『カサブランカ』(1942年)でハンフリー・ボガートが経営しているクラブを思い出してもらえば、良いでしょうか。これも、雰囲気がハードボイルドな作品です。

●『東一局五十二本場』(阿佐田哲也、1976年)

麻雀を知っている方なら、この題名の異常な状況が分かるでしょう。作者の麻雀小説は実に面白いのですが、麻雀を知らない方には、その面白さが伝わらないのは残念です。なお、念のためですが、本作発表当時は、親がテンパらないと流局するというルールは主流ではなかったと記憶しています。と、この説明も、麻雀を知らない方には何のことか分かりませんよね。

●『彼岸花狩り』(谷 恒生、1979年)

本作は、元一等航海士の積荷鑑定人・日高凶平が探偵役となる連作短編の一つです。凶平という名前は実名らしく、親が酔狂でつけたものという説明が作中にあります。横浜を舞台にした本作は、暴力団の助けを得て人身売買目的で娼婦を誘拐する外国船の犯罪を、警察と協力して主人公が阻止する話です。主人公が「腐臭のような臭い」を感じる主犯格の一等航海士の日本人の不気味さは秀逸ですが、ストーリーそのものよりも、船員相手の売春婦やポン引きそして主人公が出入りする酒場の人間たちの底辺世界の描写の方が、印象に残ります。これもハードボイルドの世界なのです。


この中から更にベストを選ぶとなると、『凍土のなかから』と『骨の聖母』になります。他の収録作は、題名と作者名と初出年だけ紹介しておきます。もちろん、個別に紹介した作品を含め、どれを気に入るかは、個人の嗜好によるものになるでしょうが、このジャンルの広さを意識した選考であったことが分かります。

・『私刑(リンチ)』(大坪砂男、1949年)
・『あたりや』(多岐川 恭、1965年)
・『待伏せ』(石原慎太郎、1967年)
・『天使の罠』(三好徹、1969年)
・『アイシス讃歌』(三浦浩、1970年)
・『無縁仏に明日を見た』(笹沢佐保、1972年)*
・『裏口の客』(半村良、1977年)
・『時には星の下で眠る』(片岡義雄、1978年)
・『春は殺人者』(小鷹信光、1980年)**

なお、*は中村敦夫主演のTVドラマ『木枯し紋次郎』の原作の一つ、**は作者が原案を提供していた松田優作主演のTVドラマ『探偵物語』のノベライゼーションの一つです。

また、本書には以下の三つの評論が掲載されており、とても参考になります。

・『日本ハードボイルド史[黎明期・1950~1970年代]』(日下三蔵)
・『日本ハードボイルド史[成長期・1980~1990年代]』(北上次郎)
・『日本ハードボイルド史[発展期・1990~2020年代]』(杉江松恋)

内容は紹介しませんが、こういう評論を読むと、読みたい本がどんどん出てきて、本当に困ります。しかし、いろいろ知らない作家や本を教えてくれてありがとうございます、と感謝したいです。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. ベック2023-10-16 19:40

    これ、気になってました。読んでおくべき本ですね、これは。1巻から6巻までは、読まなくてもいいかと思っていたんですが(笑)。

  2. hacker2023-10-16 21:07

    ベックさん、コメントありがとうございます。私は1巻から6巻まで読みましたが、結局、一番後まで残ったのは、再読でしたが『野獣死すべし』だったようです。

  3. No Image

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