DBさん
レビュアー:
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趣味と仕事に生きた皇帝の本
著者によればハドリアヌスは古代ローマ最高のリーダーだそうです。
優秀な行政官であると同時に百戦錬磨の軍人でもあったハドリアヌスには、それまで拡大を続けていたローマ帝国の領土の拡張をやめる判断をして、長壁を築いて目に見える形に遺した。
そしてギリシア好きだったハドリアヌスは文化と軍事、芸術と武力が台頭に共存する国家としてローマ帝国をつくり変えていった。
ハドリアヌスが属するアエリウス氏はスペインのアンダルシアにあるバエティカ属州の有力氏族で、イタリカの有力氏族でありトラヤヌス帝を輩出したウルピウス氏と懇意だった。
そのため十歳の時に父親を亡くしたハドリアヌスの後見人になったのが、当時執政官の地位を狙っていた軍人で後に皇帝となるトラヤヌスだった。
ティトゥスとドミティアヌスに重用されたトラヤヌスは、暴君ドミティアヌスが暗殺されて皇帝に選ばれたネルウァ帝から養子に指名される。
これもトラヤヌスがスラを使って裏で手をまわした結果だったようですが、この時ハドリアヌスは二十一歳、人生のターニングポイントを十分に理解できる年齢だ。
ハドリアヌスの成長と軍歴を詳しく見ていく中で、二世紀のローマの教育や社会も知ることができた。
ハドリアヌスは皇妃プロティナの勧めでウルピウス氏の女性であるサビナと結婚したが、サビナの母親マティディアをハドリアヌスは心から慕っていたという。
プロティナといいマティディアといい、年上の女性に愛されるような長所があったのかな。
トラヤヌス帝のもとでハドリアヌスは財務官や護民官、法務官といった仕事をしながら詩作や文学に没頭していたようです。
ダキア戦争での勝利に貢献したハドリアヌスはトラヤヌスからダイアモンドの指輪を贈られたが、これはトラヤヌスがネルウァから贈られた曰くのある指輪だったとか。
トラヤヌスのもとでハドリアヌスはパルティア戦争には将軍として参加し成功をおさめたが、トラヤヌスの領土拡大政策の結果起きたアルメニア、メソポタミア、バビロニアの混乱を目にしたことが、ハドリアヌスが皇帝になって領土拡張を中止し内部の充実にあてる決意をさせたのかもしれない。
トラヤヌスが病死しハドリアヌスがその死の間際に養子に指名されたと公表されたのがハドリアヌス四十一歳の時だ。
トラヤヌスの残したドナウ川での騒乱鎮圧を引き継いで対処していた時、ローマでは四人の元老院議員が処刑されるという大事件が起こっていた。
ローマにもどったハドリアヌスは元老院の懐柔や税の免除と剣闘士試合の開催による民衆への人気取り政策を成功させると、内政が安定したタイミングを見計らって旅に出た。
『ヒストリア・アウグスタ』からの話が多いが、ローマを重要視していることを示すために神殿の建設と祝祭日を新たに作ると、まずはゲルマン前線へ向かいます。
そこで兵士たちと同じものを食べて同じ訓練をこなしながら軍規を引き締め軍の能力を向上させた。
ハドリアヌスの長壁を作らせたり、狩猟を楽しんだり、パルティア問題に取り組んだり、建築や経済開発を推し進めたりと旅先でも忙しい。
屈折した性格だと言われることが多いハドリアヌスだが、キリスト教徒への判断は穏健だったし、自分の犬や馬を愛していて死ぬと必ず墓を建てるような一面もある。
美青年アンティノウスとの関係については、当時のローマの男色についての詳しい解説と共に一章を割いて語られています。
そしてギリシアでのエレウシスの秘儀に参加し、ローマに帰ってきたら郊外の豪華なティブルのウィッラで人生を楽しむ。
公私ともに充実した日々ですが、やはり老いの影には逆らえなかったようだ。
晩年の後継者選びにまつわる騒動もあるが、ハドリアヌスはトラヤヌスから受け継いだローマをより強固に美しいものにしたのは間違いないだろう。
ローマを訪れる機会があったら、アエリウス橋とカステロサンタンジェロ、それにパンテオンでこの個性豊かな皇帝を偲びたい。
優秀な行政官であると同時に百戦錬磨の軍人でもあったハドリアヌスには、それまで拡大を続けていたローマ帝国の領土の拡張をやめる判断をして、長壁を築いて目に見える形に遺した。
そしてギリシア好きだったハドリアヌスは文化と軍事、芸術と武力が台頭に共存する国家としてローマ帝国をつくり変えていった。
ハドリアヌスが属するアエリウス氏はスペインのアンダルシアにあるバエティカ属州の有力氏族で、イタリカの有力氏族でありトラヤヌス帝を輩出したウルピウス氏と懇意だった。
そのため十歳の時に父親を亡くしたハドリアヌスの後見人になったのが、当時執政官の地位を狙っていた軍人で後に皇帝となるトラヤヌスだった。
ティトゥスとドミティアヌスに重用されたトラヤヌスは、暴君ドミティアヌスが暗殺されて皇帝に選ばれたネルウァ帝から養子に指名される。
これもトラヤヌスがスラを使って裏で手をまわした結果だったようですが、この時ハドリアヌスは二十一歳、人生のターニングポイントを十分に理解できる年齢だ。
ハドリアヌスの成長と軍歴を詳しく見ていく中で、二世紀のローマの教育や社会も知ることができた。
ハドリアヌスは皇妃プロティナの勧めでウルピウス氏の女性であるサビナと結婚したが、サビナの母親マティディアをハドリアヌスは心から慕っていたという。
プロティナといいマティディアといい、年上の女性に愛されるような長所があったのかな。
トラヤヌス帝のもとでハドリアヌスは財務官や護民官、法務官といった仕事をしながら詩作や文学に没頭していたようです。
ダキア戦争での勝利に貢献したハドリアヌスはトラヤヌスからダイアモンドの指輪を贈られたが、これはトラヤヌスがネルウァから贈られた曰くのある指輪だったとか。
トラヤヌスのもとでハドリアヌスはパルティア戦争には将軍として参加し成功をおさめたが、トラヤヌスの領土拡大政策の結果起きたアルメニア、メソポタミア、バビロニアの混乱を目にしたことが、ハドリアヌスが皇帝になって領土拡張を中止し内部の充実にあてる決意をさせたのかもしれない。
トラヤヌスが病死しハドリアヌスがその死の間際に養子に指名されたと公表されたのがハドリアヌス四十一歳の時だ。
トラヤヌスの残したドナウ川での騒乱鎮圧を引き継いで対処していた時、ローマでは四人の元老院議員が処刑されるという大事件が起こっていた。
ローマにもどったハドリアヌスは元老院の懐柔や税の免除と剣闘士試合の開催による民衆への人気取り政策を成功させると、内政が安定したタイミングを見計らって旅に出た。
『ヒストリア・アウグスタ』からの話が多いが、ローマを重要視していることを示すために神殿の建設と祝祭日を新たに作ると、まずはゲルマン前線へ向かいます。
そこで兵士たちと同じものを食べて同じ訓練をこなしながら軍規を引き締め軍の能力を向上させた。
ハドリアヌスの長壁を作らせたり、狩猟を楽しんだり、パルティア問題に取り組んだり、建築や経済開発を推し進めたりと旅先でも忙しい。
屈折した性格だと言われることが多いハドリアヌスだが、キリスト教徒への判断は穏健だったし、自分の犬や馬を愛していて死ぬと必ず墓を建てるような一面もある。
美青年アンティノウスとの関係については、当時のローマの男色についての詳しい解説と共に一章を割いて語られています。
そしてギリシアでのエレウシスの秘儀に参加し、ローマに帰ってきたら郊外の豪華なティブルのウィッラで人生を楽しむ。
公私ともに充実した日々ですが、やはり老いの影には逆らえなかったようだ。
晩年の後継者選びにまつわる騒動もあるが、ハドリアヌスはトラヤヌスから受け継いだローマをより強固に美しいものにしたのは間違いないだろう。
ローマを訪れる機会があったら、アエリウス橋とカステロサンタンジェロ、それにパンテオンでこの個性豊かな皇帝を偲びたい。
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好きなジャンルは歴史、幻想、SF、科学です。あまり読まないのは恋愛物と流行り物。興味がないのはハウツー本と経済書。読んだ本を自分の好みというフィルターにかけて紹介していきますので、どうぞよろしくお願いします。
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