ぽんきちさん
レビュアー:
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ゴリラとヒトの違いって何?
2023年メフィスト賞受賞の意欲作。
メフィスト賞というのは、講談社の文芸雑誌「メフィスト」が主催する新人文学賞。
本作。変わったタイトルだが、ある意味、タイトル通りの作品である。
ローズはカメルーンで生まれた雌のニシローランドゴリラ。母とともに、研究者に手話を習い、ヒトと会話することもできる。彼女はアメリカの動物園で暮らすことになる。その動物園のボス格の雄オマリと恋をし、夫婦となる。だが、悲劇が襲う。
4歳の男の子がゴリラエリアの柵を乗り越えて落ち、興奮したオマリに引きずり回される。麻酔銃は効くまでに時間がかかり、逆に動物がさらに興奮することもある。男の子の命を救うことを重視した園側は、やむなくオマリを射殺する。
しかし、ローズは納得がいかなかった。果たして夫は本当に殺されなければならなかったのか。彼女は敢然と立ちあがり、裁判を起こす。
正義とは何か。ゴリラの命とヒトの命、どちらが大切か。
前代未聞の裁判の始まりである。
重いテーマを孕みつつ、エンタメとしても成立させていて、読み心地は重すぎない。
裁判は2回行われるのだが、その間にローズが動物園を出てプロレスラーに転身する驚きの展開もある。個人的にはこのプロレスシーンは少々唐突な感じがしていただけないが、ゴリラの力が強いことを思えばわからなくもない。また、プロレス好きの人なら楽しめるシーンも盛りだくさんだろう。
物語は大部分がローズのモノローグとして展開するが、ところどころ違う視点も入る。2度目の裁判の陪審員に狂信気味の人物が登場し、スプラッター的な展開になるのかとちょっと身構えさせるのだが、着地地点は穏当である。
2回目の裁判の弁護士はやや癖のある人物で、ローズも彼を信用してよいのかどうか躊躇うのだが、これが思わぬ隠し玉を出してくる。最終弁論とローズの最後のスピーチが本作の最後にして最大の見せ場となる。
著者の謝辞にあるように、本作のベースとなっているのは2頭のゴリラのエピソードだろう。
一方は、2016年、シンシナティの動物園で、囲いに落ちた男の子を救うために殺された雄ゴリラ、ハランベ(米動物園ゴリラ射殺(2016/6/1)<東洋経済(The New York Times)>)。
もう一方は、幼いころに研究者から手話を習い、簡単な会話ができることで人気を博した雌ゴリラ、ココ(手話のできるゴリラ、Kokoが亡くなる(2018/6/22)<GIZMODO>)。
この2つを結び付ける着眼点のおもしろさが生きている。
ゴリラの生態に関しては著名な研究者の山極寿一の監修も入っているという(著者インタビュー)。このあたりのリアリティも読ませどころだろう。
ローズのスピーチは公民権運動家ジェシー・ジャクソンの"I am somebody"を引いている。若干アレンジがあるが、意図するところは明確である。
最終弁論中のチンパンジーやオランウータンの事例も実際の事件を引用している。
さて、エンタメでありつつ、動物の権利(あるいは人権)についても考えさせる本作。なるほど、世界的な流れとしてはアニマルウェルフェアがより注視されていることもあり、こうした作品を楽しみつつもそれぞれが考えてみる契機とするのもありだろう。
ただ、個人的にちょっと引っかかるのは、ローズが少し「賢すぎる」点である。手話で意思疎通が可能であったココにしても、「楽しい」「うれしい」「好き」等の感情的な部分であるようで、ローズのように複雑な文法を操るものではない。
ここにはやはり動物の擬人化があると思う。
動物は人間に「近い」から保護されるべきなのか。
人間から見た動物の権利(≒人権)が本当にその動物にとっての福祉となるのか。
そのあたりは少々立ち止まって考えるべきなのではないかという気もする。
エンタメとしておもしろかった、で済ませてもよいのかもしれないが、若干気になった。
メフィスト賞というのは、講談社の文芸雑誌「メフィスト」が主催する新人文学賞。
<究極のエンターテインメントを求む>という掛け声のもと始まった、賞金ナシ、締切ナシ、下読みナシのちょっと変わった賞である。賞金はないが、受賞すれば出版されるので、印税が賞金替わりというところだろう。これまでに、森博嗣、乾くるみ、殊能将之、舞城王太郎、西尾維新、辻村深月といった作家を輩出している。
本作。変わったタイトルだが、ある意味、タイトル通りの作品である。
ローズはカメルーンで生まれた雌のニシローランドゴリラ。母とともに、研究者に手話を習い、ヒトと会話することもできる。彼女はアメリカの動物園で暮らすことになる。その動物園のボス格の雄オマリと恋をし、夫婦となる。だが、悲劇が襲う。
4歳の男の子がゴリラエリアの柵を乗り越えて落ち、興奮したオマリに引きずり回される。麻酔銃は効くまでに時間がかかり、逆に動物がさらに興奮することもある。男の子の命を救うことを重視した園側は、やむなくオマリを射殺する。
しかし、ローズは納得がいかなかった。果たして夫は本当に殺されなければならなかったのか。彼女は敢然と立ちあがり、裁判を起こす。
正義とは何か。ゴリラの命とヒトの命、どちらが大切か。
前代未聞の裁判の始まりである。
重いテーマを孕みつつ、エンタメとしても成立させていて、読み心地は重すぎない。
裁判は2回行われるのだが、その間にローズが動物園を出てプロレスラーに転身する驚きの展開もある。個人的にはこのプロレスシーンは少々唐突な感じがしていただけないが、ゴリラの力が強いことを思えばわからなくもない。また、プロレス好きの人なら楽しめるシーンも盛りだくさんだろう。
物語は大部分がローズのモノローグとして展開するが、ところどころ違う視点も入る。2度目の裁判の陪審員に狂信気味の人物が登場し、スプラッター的な展開になるのかとちょっと身構えさせるのだが、着地地点は穏当である。
2回目の裁判の弁護士はやや癖のある人物で、ローズも彼を信用してよいのかどうか躊躇うのだが、これが思わぬ隠し玉を出してくる。最終弁論とローズの最後のスピーチが本作の最後にして最大の見せ場となる。
著者の謝辞にあるように、本作のベースとなっているのは2頭のゴリラのエピソードだろう。
一方は、2016年、シンシナティの動物園で、囲いに落ちた男の子を救うために殺された雄ゴリラ、ハランベ(米動物園ゴリラ射殺(2016/6/1)<東洋経済(The New York Times)>)。
もう一方は、幼いころに研究者から手話を習い、簡単な会話ができることで人気を博した雌ゴリラ、ココ(手話のできるゴリラ、Kokoが亡くなる(2018/6/22)<GIZMODO>)。
この2つを結び付ける着眼点のおもしろさが生きている。
ゴリラの生態に関しては著名な研究者の山極寿一の監修も入っているという(著者インタビュー)。このあたりのリアリティも読ませどころだろう。
ローズのスピーチは公民権運動家ジェシー・ジャクソンの"I am somebody"を引いている。若干アレンジがあるが、意図するところは明確である。
最終弁論中のチンパンジーやオランウータンの事例も実際の事件を引用している。
さて、エンタメでありつつ、動物の権利(あるいは人権)についても考えさせる本作。なるほど、世界的な流れとしてはアニマルウェルフェアがより注視されていることもあり、こうした作品を楽しみつつもそれぞれが考えてみる契機とするのもありだろう。
ただ、個人的にちょっと引っかかるのは、ローズが少し「賢すぎる」点である。手話で意思疎通が可能であったココにしても、「楽しい」「うれしい」「好き」等の感情的な部分であるようで、ローズのように複雑な文法を操るものではない。
ここにはやはり動物の擬人化があると思う。
動物は人間に「近い」から保護されるべきなのか。
人間から見た動物の権利(≒人権)が本当にその動物にとっての福祉となるのか。
そのあたりは少々立ち止まって考えるべきなのではないかという気もする。
エンタメとしておもしろかった、で済ませてもよいのかもしれないが、若干気になった。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:講談社
- ページ数:0
- ISBN:9784065310090
- 発売日:2023年03月15日
- 価格:1925円
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