ぽんきちさん
レビュアー:
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「でもそうはいうものの、ナチスだって100パー悪くはなかったんじゃないの?」に答える試み
話題の本。2023年7月刊だが、11月現在でもアマゾン・ヨーロッパ史カテゴリで3位となっている。
岩波ブックレットの1冊で、約120頁と、さして厚い本ではない。
「ナチスはよいこともした」という議論は定期的に繰り返されてきていて、特に、SNSが大きな力を持つ現代において、この話題は時に大きく「バズる」。
ナチスはある種、「絶対悪」として位置づけられている。ナチスを支持すると公言することは多くの人にとって躊躇われることだろう。常識的には、多くの人はナチスを否定し、ナチス的であると言われることはすなわち悪口であり、時には中傷であるだろう。
著者らが「はじめに」で触れるように、そこにはポリティカル・コレクトネスがある。そういった「正しさ」に反発したくなる人が出てくるのは必然であるのかもしれない。もちろん、物事を一面的に見ずに多角的に見ることは大切で、常識を疑う姿勢も大事なわけである。だが、ここで問題になるのは、ではナチスに関してよく言われる「よいこと」は本当に妥当なことなのかということだ。
しばしば取り沙汰されるのは、「結局は人々が選んだ政権である」「アウトバーンを作った」「経済を立て直した」「有給休暇や源泉徴収を発明した」「デザイナーズブランドによるかっこいい制服を作った」といったもの。
これらの中には事実関係として誤っているものもあれば、当時の社会的背景を十分に考慮していないものもある。こうした1つ1つを歴史学者が真面目に検証するというのが本書の主眼である。
ヒトラーとある少女との交流を取り上げて「ヒトラーにも優しい心はあった」とするような意見は、ある種、プロパガンダに目くらましされているというのはわかりやすい例だろう。
アウトバーン建設は、そもそもは前政権の方針を引き継いだものであり、軍事的・経済的効果はそれほど大きいものではなかったという。むしろプロパガンダ効果が大きく、この建設により、「ヒトラーがアウトバーンを作ってドイツを復興した」という説が(今に至るまで)生き続けることになった。
労働者向けに福利厚生を取り入れたとの意見もあるが、多くは他国の模倣やすでに着手されていたものの継承で、目新しいものはなかった。これらを大規模に行い、同時に誇大な宣伝を行ったことからナチスの「手柄」であるように見せかけたというのが実態のようだ。
個人的に最も興味深く読んだのは、第三章「ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?」。ヒトラーや幹部にどれほど権力があろうと、やはりそこに人々の支持がなければ体制は維持できない。ここで、ドイツ人がナチを「支持」するというのはどういうことだったのかという考察である。いわゆる「普通の人々」が「悪」を熱烈に支持していたのかどうか。ナチ体制誕生時のドイツには、そもそも反ユダヤ主義が広がっていた。そのきっかけとなったのが第一次世界大戦である。ドイツが劣勢となった理由が、ユダヤ人の「裏切り」や「前線勤務拒否」によるものだという噂が急速に拡大していった。そうした「社会的反ユダヤ主義」は、ナチ体制の暴力的な「政治的反ユダヤ主義」とは一線を画するものではあったが、反ユダヤを受け入れる一定の基盤とはなっていた。また、ユダヤ人が迫害され、追放されることで、空いたポストを手に入れたり、あるいは彼らが残した財産を得て経済的に潤ったり、といった、実質的な「利益」も生じた。さらに、ナチ体制がユダヤ人を「敵」と見なしたことで、彼らとの交際にはリスクが生じることになった。積極的に排除しないまでも、消極的に関わりを避けてゆく人々が出るのは無理からぬことではあった。
結果的に、全体として、ナチ体制の反ユダヤ政策はドイツ国民から「支持」されているように見えてくる。だが、それを「熱狂的」と捉えるのは、実像からはかなり離れているのではないか。
歴史学的な視点からの検証はなるほどと頷く点も多い。
「ナチスはよいこともした!」と主張する人々にこの本は届くのかというあたりは若干疑問なのだが、専門家が一般書の形で学識を提供してくれることは大いに歓迎したい。
岩波ブックレットの1冊で、約120頁と、さして厚い本ではない。
「ナチスはよいこともした」という議論は定期的に繰り返されてきていて、特に、SNSが大きな力を持つ現代において、この話題は時に大きく「バズる」。
ナチスはある種、「絶対悪」として位置づけられている。ナチスを支持すると公言することは多くの人にとって躊躇われることだろう。常識的には、多くの人はナチスを否定し、ナチス的であると言われることはすなわち悪口であり、時には中傷であるだろう。
著者らが「はじめに」で触れるように、そこにはポリティカル・コレクトネスがある。そういった「正しさ」に反発したくなる人が出てくるのは必然であるのかもしれない。もちろん、物事を一面的に見ずに多角的に見ることは大切で、常識を疑う姿勢も大事なわけである。だが、ここで問題になるのは、ではナチスに関してよく言われる「よいこと」は本当に妥当なことなのかということだ。
しばしば取り沙汰されるのは、「結局は人々が選んだ政権である」「アウトバーンを作った」「経済を立て直した」「有給休暇や源泉徴収を発明した」「デザイナーズブランドによるかっこいい制服を作った」といったもの。
これらの中には事実関係として誤っているものもあれば、当時の社会的背景を十分に考慮していないものもある。こうした1つ1つを歴史学者が真面目に検証するというのが本書の主眼である。
ヒトラーとある少女との交流を取り上げて「ヒトラーにも優しい心はあった」とするような意見は、ある種、プロパガンダに目くらましされているというのはわかりやすい例だろう。
アウトバーン建設は、そもそもは前政権の方針を引き継いだものであり、軍事的・経済的効果はそれほど大きいものではなかったという。むしろプロパガンダ効果が大きく、この建設により、「ヒトラーがアウトバーンを作ってドイツを復興した」という説が(今に至るまで)生き続けることになった。
労働者向けに福利厚生を取り入れたとの意見もあるが、多くは他国の模倣やすでに着手されていたものの継承で、目新しいものはなかった。これらを大規模に行い、同時に誇大な宣伝を行ったことからナチスの「手柄」であるように見せかけたというのが実態のようだ。
個人的に最も興味深く読んだのは、第三章「ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?」。ヒトラーや幹部にどれほど権力があろうと、やはりそこに人々の支持がなければ体制は維持できない。ここで、ドイツ人がナチを「支持」するというのはどういうことだったのかという考察である。いわゆる「普通の人々」が「悪」を熱烈に支持していたのかどうか。ナチ体制誕生時のドイツには、そもそも反ユダヤ主義が広がっていた。そのきっかけとなったのが第一次世界大戦である。ドイツが劣勢となった理由が、ユダヤ人の「裏切り」や「前線勤務拒否」によるものだという噂が急速に拡大していった。そうした「社会的反ユダヤ主義」は、ナチ体制の暴力的な「政治的反ユダヤ主義」とは一線を画するものではあったが、反ユダヤを受け入れる一定の基盤とはなっていた。また、ユダヤ人が迫害され、追放されることで、空いたポストを手に入れたり、あるいは彼らが残した財産を得て経済的に潤ったり、といった、実質的な「利益」も生じた。さらに、ナチ体制がユダヤ人を「敵」と見なしたことで、彼らとの交際にはリスクが生じることになった。積極的に排除しないまでも、消極的に関わりを避けてゆく人々が出るのは無理からぬことではあった。
結果的に、全体として、ナチ体制の反ユダヤ政策はドイツ国民から「支持」されているように見えてくる。だが、それを「熱狂的」と捉えるのは、実像からはかなり離れているのではないか。
歴史学的な視点からの検証はなるほどと頷く点も多い。
「ナチスはよいこともした!」と主張する人々にこの本は届くのかというあたりは若干疑問なのだが、専門家が一般書の形で学識を提供してくれることは大いに歓迎したい。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:0
- ISBN:9784002710808
- 発売日:2023年07月06日
- 価格:902円
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