紅い芥子粒さん
レビュアー:
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ちがう、おかん。芸術は、詐欺じゃない。
この本のことは、新聞の記事で知った。本の紹介というより、松田修という現代美術アーチストの紹介記事だった。
松田修は、1979年、尼崎に生まれる。
母親は、ホステスをして松田さんと二人の弟を育ててくれた。父親は、生まれてから一度も働いたことがないということを、自慢にしているような人だった。
絵に描いたような貧困家庭だったが、まわりも似たようなものだったから、貧乏を気にもせずに育った。倫理や道徳の意識も低く、少年鑑別所に二度も送られた。
中学を出たら自立せよというのが、おかんの方針で、松田少年は、安アパートに下宿して、アルバイトしながら四年かかって工業高校を卒業する。
東京に出たが、なりたい自分もやりたい仕事もなかった。
その日その日をおもしろおかしく暮らしていければそれでいい……と思っていたはずが、いろいろあって、トラック運転手をしながら東京芸大の油画科を何度も受験し、23歳で合格する。大学院まで出て、現代美術家として活動している。
そんな松田さんに、苦労して育ててくれたおかんは、「東京でなにしとんねん」と、きく。松田さんは、自分のアートの説明をする。百号のキャンバスに油絵描いとるねん、という答えなら、いくら芸術に縁のない暮らしをしているおかんでも、納得したかもしれない。ところが、松田さんの現代アートの説明は、美術館にはそこそこ足を運んでいる良識人でも、あんぐり口をあけてしまうようなものだった。
おかんは、息子を叱責する。
「あかん、そんなもん、サギやんけ。いますぐやめい!」
この本は、そんなおかんに、そして現代アートを敬遠する良識人にも、松田さんのアートと活動を理解してもらおうという目的で書かれている。
尼崎の貧困地帯出身の人間のことを「尼人」と、松田さんはよぶ。
松田さんの母親の母親も、そのまた母親もホステスだった。
母親は、ほんとうはスチュワーデスになりかったんや、なりかたもしらんけど、という。親もそのまた親も貧困だったから、自分の人生を選べなかった。ホステス人生に悔いはないけどな、と笑う。
松田さんが、芸術に初めて触れたのは、少年鑑別所の更生プログラムで美術館を見学にいったときだという。ピカソの絵が展示されていた。ピカソの絵の芸術性にががんと撃たれたわけではない。わけのわからん一枚の絵が十億円ときいて、おったまげた。感想は、おかんと同じようなもので、こんなん詐欺やんけ……、だった。
芸術にはまったく縁のなかった少年が、芸術エリートが集う東京芸大受験を思い立ち、合格までたどりつけたのは、世間の常識だの良識に囚われない”自由”な人だったからかもしれない。
本をめくっていくと、松田さんのアート作品の写真が、ところどころに挿入されている。「尼」には「尼」の美学、美意識があり、それを底辺から世界に照射する、というのが松田さんの活動のポリシーである、とわたしは理解した。
サギやんけといいながらも、「尼人」のおかあさんは、見れば即座にわかるのかもしれない。
松田修は、1979年、尼崎に生まれる。
母親は、ホステスをして松田さんと二人の弟を育ててくれた。父親は、生まれてから一度も働いたことがないということを、自慢にしているような人だった。
絵に描いたような貧困家庭だったが、まわりも似たようなものだったから、貧乏を気にもせずに育った。倫理や道徳の意識も低く、少年鑑別所に二度も送られた。
中学を出たら自立せよというのが、おかんの方針で、松田少年は、安アパートに下宿して、アルバイトしながら四年かかって工業高校を卒業する。
東京に出たが、なりたい自分もやりたい仕事もなかった。
その日その日をおもしろおかしく暮らしていければそれでいい……と思っていたはずが、いろいろあって、トラック運転手をしながら東京芸大の油画科を何度も受験し、23歳で合格する。大学院まで出て、現代美術家として活動している。
そんな松田さんに、苦労して育ててくれたおかんは、「東京でなにしとんねん」と、きく。松田さんは、自分のアートの説明をする。百号のキャンバスに油絵描いとるねん、という答えなら、いくら芸術に縁のない暮らしをしているおかんでも、納得したかもしれない。ところが、松田さんの現代アートの説明は、美術館にはそこそこ足を運んでいる良識人でも、あんぐり口をあけてしまうようなものだった。
おかんは、息子を叱責する。
「あかん、そんなもん、サギやんけ。いますぐやめい!」
この本は、そんなおかんに、そして現代アートを敬遠する良識人にも、松田さんのアートと活動を理解してもらおうという目的で書かれている。
尼崎の貧困地帯出身の人間のことを「尼人」と、松田さんはよぶ。
松田さんの母親の母親も、そのまた母親もホステスだった。
母親は、ほんとうはスチュワーデスになりかったんや、なりかたもしらんけど、という。親もそのまた親も貧困だったから、自分の人生を選べなかった。ホステス人生に悔いはないけどな、と笑う。
松田さんが、芸術に初めて触れたのは、少年鑑別所の更生プログラムで美術館を見学にいったときだという。ピカソの絵が展示されていた。ピカソの絵の芸術性にががんと撃たれたわけではない。わけのわからん一枚の絵が十億円ときいて、おったまげた。感想は、おかんと同じようなもので、こんなん詐欺やんけ……、だった。
芸術にはまったく縁のなかった少年が、芸術エリートが集う東京芸大受験を思い立ち、合格までたどりつけたのは、世間の常識だの良識に囚われない”自由”な人だったからかもしれない。
本をめくっていくと、松田さんのアート作品の写真が、ところどころに挿入されている。「尼」には「尼」の美学、美意識があり、それを底辺から世界に照射する、というのが松田さんの活動のポリシーである、とわたしは理解した。
サギやんけといいながらも、「尼人」のおかあさんは、見れば即座にわかるのかもしれない。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:イースト・プレス
- ページ数:0
- ISBN:9784781620664
- 発売日:2023年04月20日
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