hackerさん
レビュアー:
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警察官を主人公とする著名なシリーズもので印象的な脇役というと、87分署シリーズのオリー・ウィークス、そしてこのメグレ警視シリーズのロニョンが、まず挙がるでしょう。
1954年刊でシリーズの長編第45作である本書を読むのは3回目です。もちろん、過去2回はポケミス版の旧訳でですし、既に旧訳でレビューを書いているので、それとは少し違う視点で、このレビューを書きます。
本書の冒頭は午前3時のパリ司法警察局、3人組の泥棒を前日の朝から「締め上げ」続けたメグレと部下たちは、ようやく彼らに供述書を署名させ、ほっと一息ついた場面です。まぁ、こういう「締め上げ」自体、今ではご法度でしょうが、この時代は珍しくなかったのだろうと思います。そこに、パリの歓楽街にあるブランシュ広場から少し離れたヴァンティミエ広場で、若い女の死体が見つかったという連絡が入ります。そこは、仲間内では「不愛想な刑事」として有名なロニョンの受け持ち地域で、メグレが駆けつけてみると、案の定、ロニョンは既に到着しており、例によって、また俺の仕事を横取りしにきたのか、という態度で出迎えます。ロニョンが刑事としての能力に長けているのは、メグレをはじめ、警察関係者は皆認めているのですが、単独行動を好み、仲間との協調性に欠け、愛想もまったくないため、こんなあだ名がついていたのでした。おまけに、彼には病弱でほとんどベッドから離れない妻がいて、家に帰ると彼女の面倒と家事全般をこなさなければならず、さらに仕事熱心で捜査が始まると、それにかかりきりになることもあって、勉強時間が取れず、昇進のための試験に何度も失敗していました。そのため未だに司法警察局への転勤が叶わないのでした。こういう理由で、手柄をたてることには人一倍貪欲なのですが、そういう可能性のある事件が起こると、メグレが登場し、事件の指揮をとってしまうことが大いに不満だったのです。
そして、本書は、殺されたニース育ちの若い女の不幸な過去と人生が徐々に明らかになっていくプロセスが、いかにも、このシリーズらしく、それが最大の魅力なのですが、メグレVSロニョンという側面も前面に出ている作品です。例えば、メグレはロニョンにある聞きこみ調査を依頼するのですが、一晩じゅうその調査を実施して、翌朝メグレに報告にくる場面があります。
「ロニョンが警視を待っているようすは、とても警察官には見えなかっただろう。むしろ自首をしに来た犯人のようだ。それほど彼は暗く、陰鬱だった。しかも今回は、本当に風邪を引いているらしい。声はしゃがれて、しゅっちょうポケットからハンカチを取り出している。それでも彼は泣き言を言うまいと、あきらめきった顔をしていた。これまでずっと苦しみ続けてきた男、残りの人生も苦しみ続ける男の顔を」
「ロニョンは車を使える身分ではない。タクシーにも乗らなかっただろう。経費を申告したとしても、どうせあとからとやかく言われるだろうからと。捜査に要した道のりを、ひと晩じゅう徒歩で行ったり来たりしたのだ。朝になったら、地下鉄かバスにのっただろうが」
「彼が行き来した道のりをすべて合わせたら、何十キロにもなるだろう。夜どおし、そして明け方まで、せっせと歩きまわるロニョンの姿を、メグレは思い浮かべずにはおれなかった。重い荷物を抱えながら、なにがあっても前に進み続ける働きアリのような姿を。
どんな細かな点もゆるがせにせず、なにひとつ成り行きにまかせることもなく、これほどの艱難辛苦に敢然とたちむかう刑事は、彼をおいてほかにはいないだろう。それなのに哀れなロニョンはこの20年間、いつか司法警察局の一員になれることをひたすら願いながら、いまだ叶わずにいるのだ。
原因の一端は、彼の性格にある。必要な基礎訓練を受けていないことや、あらゆる試験で落ち続けているのも一因だ」
メグレは、ロニョンの綿密な調査と報告に感謝して、労わりの言葉をかけるのですが、結果こんなやり取りになってしまいます。
「よく調べあげたな」
「やるべき仕事をしただけです」
「もう帰って寝ろ。体を大事にしないと」
「ただの風邪です」
「でも、気をつけないと気管支をやられるぞ」
「わたしは、毎年冬に気管支炎になりますが、それで寝込んだことなど一度もありません」
「ここがロニョンの困ったところだ」とメグレは思うのでした。
この後も、ロニョンは「報告しろ」とメグレに言われなかったためというか、それをいいことに、メグレには何も報告せず自分一人で歩きまわって捜査を進めます。メグレはメグレで部下たちを使って捜査を進めるのですが、証人を訪ねて行く先々にロニョンが既に訪れていて「なぜ、同じことを2回話さないといけないのか」と相手に言われたりします。しかし、ロニョンが犯人を捜そうとするのに対し、メグレは被害者がどういう人物であったのかをまず知ろうとしていることが、最後に差をとなって現れます。つまり、メグレが最後に聞きこみに行った先で、相手は被害者の女性のとった行動を話すのですが、そんな行動を彼女がするはずがないとメグレには分かり、それが犯人逮捕へとつながるのです。
「技術的な点からすれば、彼(ロニョン)にはなんのミスもなかった。頭のイカれた母親に、ニースで育てられた娘の立場になってみることなど、どこの警察学校でも教えてくれないのだから」
さて、本書全体の評価ですが、途中のプロセスは実に素晴らしいのですが、ただ、最後の解決がちょっとあっさりしているという不満があって、シリーズ中のベストの部類とは思っておらず、それに続く作品と私の中では位置づけています。ただ、このシリーズの魅力を味わうには格好の一冊だと思います。
なお、本書は最近映画化されました。パトリス・ルコントが監督して、ジェラール・ドパルデューがメグレを演じており、まだ未見なのですが、ネット上の情報によるとだいぶ原作の内容を変えているようです。原作は原作、映画は映画、別物として見るべしというのが、私の基本的な考えなので、それ自体を否定するつもりはありません。ですから、登場人物にロニョンの名前がないのにも驚きません。ロニョンを演じるのは、メグレを演じる以上に大変でしょうし、仮にロニョン役が素晴らしかったとすると、映画全体が『ロニョンと若い女の死』になってしまう可能性がありますから。
本書の冒頭は午前3時のパリ司法警察局、3人組の泥棒を前日の朝から「締め上げ」続けたメグレと部下たちは、ようやく彼らに供述書を署名させ、ほっと一息ついた場面です。まぁ、こういう「締め上げ」自体、今ではご法度でしょうが、この時代は珍しくなかったのだろうと思います。そこに、パリの歓楽街にあるブランシュ広場から少し離れたヴァンティミエ広場で、若い女の死体が見つかったという連絡が入ります。そこは、仲間内では「不愛想な刑事」として有名なロニョンの受け持ち地域で、メグレが駆けつけてみると、案の定、ロニョンは既に到着しており、例によって、また俺の仕事を横取りしにきたのか、という態度で出迎えます。ロニョンが刑事としての能力に長けているのは、メグレをはじめ、警察関係者は皆認めているのですが、単独行動を好み、仲間との協調性に欠け、愛想もまったくないため、こんなあだ名がついていたのでした。おまけに、彼には病弱でほとんどベッドから離れない妻がいて、家に帰ると彼女の面倒と家事全般をこなさなければならず、さらに仕事熱心で捜査が始まると、それにかかりきりになることもあって、勉強時間が取れず、昇進のための試験に何度も失敗していました。そのため未だに司法警察局への転勤が叶わないのでした。こういう理由で、手柄をたてることには人一倍貪欲なのですが、そういう可能性のある事件が起こると、メグレが登場し、事件の指揮をとってしまうことが大いに不満だったのです。
そして、本書は、殺されたニース育ちの若い女の不幸な過去と人生が徐々に明らかになっていくプロセスが、いかにも、このシリーズらしく、それが最大の魅力なのですが、メグレVSロニョンという側面も前面に出ている作品です。例えば、メグレはロニョンにある聞きこみ調査を依頼するのですが、一晩じゅうその調査を実施して、翌朝メグレに報告にくる場面があります。
「ロニョンが警視を待っているようすは、とても警察官には見えなかっただろう。むしろ自首をしに来た犯人のようだ。それほど彼は暗く、陰鬱だった。しかも今回は、本当に風邪を引いているらしい。声はしゃがれて、しゅっちょうポケットからハンカチを取り出している。それでも彼は泣き言を言うまいと、あきらめきった顔をしていた。これまでずっと苦しみ続けてきた男、残りの人生も苦しみ続ける男の顔を」
「ロニョンは車を使える身分ではない。タクシーにも乗らなかっただろう。経費を申告したとしても、どうせあとからとやかく言われるだろうからと。捜査に要した道のりを、ひと晩じゅう徒歩で行ったり来たりしたのだ。朝になったら、地下鉄かバスにのっただろうが」
「彼が行き来した道のりをすべて合わせたら、何十キロにもなるだろう。夜どおし、そして明け方まで、せっせと歩きまわるロニョンの姿を、メグレは思い浮かべずにはおれなかった。重い荷物を抱えながら、なにがあっても前に進み続ける働きアリのような姿を。
どんな細かな点もゆるがせにせず、なにひとつ成り行きにまかせることもなく、これほどの艱難辛苦に敢然とたちむかう刑事は、彼をおいてほかにはいないだろう。それなのに哀れなロニョンはこの20年間、いつか司法警察局の一員になれることをひたすら願いながら、いまだ叶わずにいるのだ。
原因の一端は、彼の性格にある。必要な基礎訓練を受けていないことや、あらゆる試験で落ち続けているのも一因だ」
メグレは、ロニョンの綿密な調査と報告に感謝して、労わりの言葉をかけるのですが、結果こんなやり取りになってしまいます。
「よく調べあげたな」
「やるべき仕事をしただけです」
「もう帰って寝ろ。体を大事にしないと」
「ただの風邪です」
「でも、気をつけないと気管支をやられるぞ」
「わたしは、毎年冬に気管支炎になりますが、それで寝込んだことなど一度もありません」
「ここがロニョンの困ったところだ」とメグレは思うのでした。
この後も、ロニョンは「報告しろ」とメグレに言われなかったためというか、それをいいことに、メグレには何も報告せず自分一人で歩きまわって捜査を進めます。メグレはメグレで部下たちを使って捜査を進めるのですが、証人を訪ねて行く先々にロニョンが既に訪れていて「なぜ、同じことを2回話さないといけないのか」と相手に言われたりします。しかし、ロニョンが犯人を捜そうとするのに対し、メグレは被害者がどういう人物であったのかをまず知ろうとしていることが、最後に差をとなって現れます。つまり、メグレが最後に聞きこみに行った先で、相手は被害者の女性のとった行動を話すのですが、そんな行動を彼女がするはずがないとメグレには分かり、それが犯人逮捕へとつながるのです。
「技術的な点からすれば、彼(ロニョン)にはなんのミスもなかった。頭のイカれた母親に、ニースで育てられた娘の立場になってみることなど、どこの警察学校でも教えてくれないのだから」
さて、本書全体の評価ですが、途中のプロセスは実に素晴らしいのですが、ただ、最後の解決がちょっとあっさりしているという不満があって、シリーズ中のベストの部類とは思っておらず、それに続く作品と私の中では位置づけています。ただ、このシリーズの魅力を味わうには格好の一冊だと思います。
なお、本書は最近映画化されました。パトリス・ルコントが監督して、ジェラール・ドパルデューがメグレを演じており、まだ未見なのですが、ネット上の情報によるとだいぶ原作の内容を変えているようです。原作は原作、映画は映画、別物として見るべしというのが、私の基本的な考えなので、それ自体を否定するつもりはありません。ですから、登場人物にロニョンの名前がないのにも驚きません。ロニョンを演じるのは、メグレを演じる以上に大変でしょうし、仮にロニョン役が素晴らしかったとすると、映画全体が『ロニョンと若い女の死』になってしまう可能性がありますから。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:早川書房
- ページ数:0
- ISBN:9784150709532
- 発売日:2023年02月21日
- 価格:1122円
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