hackerさん
レビュアー:
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ドイツの児童文学賞を取った作品集ですが、大人も楽しめる児童文学というより、子供も楽しめる大人の文学という方が正しいような気がします。
ベックさんの書評で、この本のことを知りました。感謝いたします。
スイスのドイツ語圏であるルツェルンで、1953年に生まれた作者ペーター・ビクセルの日本初翻訳の作品集です。1969年刊の本書の原題は "Kindergeschichte" で、ドイツ児童文学賞を受賞しましたし、「こどもの物語」という意味に解釈していいのですが、「こども向けの物語」なのか「こども時代の物語」なのかちょっと判然としない原題でもあります。読んでみると、何かを徹底する男の物語ばかりで、昨今のフェイクニュースや、思い込み若しくは洗脳、更には引きこもりを連想させる内容のものもあり、一筋縄ではいかないという印象です。全部で7作収録されていますが、例によって、特に印象的なものを紹介します。
●『地球はまるい』
原題は分からないのですが、先にレビューを書いたガートルード・スタインの『地球はまるい』(1939年)には、こんな一節があります。
「むかしむかし地球はまるくなった。どんどん歩いていくとくるりと回って同じところにもどってくる。平らだったらそうはいかない」
本作は、ここからインスパイアされたのではないかもしれないと思うと楽しいのですが、「どんどん歩いていくとくるりと回って同じところにもどってくる」ことを実践しようとする男の話です。
この男は、物事を徹底的に突きつめないと気が済まないタイプで、地球がまるいことを「頭ではわかってるんだが(中略)それがどうも信じられん。だからこれをとことん確かめてみなければならん」と言い、おまけに「ほかに何もすることがない男」だったので、こんなことをやろうと思ったのです。ところが、計画をたてようとすると、まず隣家の屋根を超えて向こう側に降りなけばならず、そのためには梯子が要ります。その先には森があって木を登らなければなりません。そうなると、ザイル、足にはめるアイゼン、落ちた時のために救急箱、更には戻ってくるまでに時間がかかるでしょうから夏服と冬服、雨の用意で雨合羽という風にどんどん荷物が膨らむので、それを運ぶために荷車という具合に、数限りない品物が必要なことを知ります。それには、とてつもない大金が必要でした。そうこうしているうちに、男は80歳になり、結局大きな梯子を一つ買って出発したのです。
この話を語った「私」は、男が出かけたのは10年前だったと、最後に言います。結局男がどうなったのかは分からないまま終わるのですが、一つのことに捉われることの馬鹿々々しさを語っているようでもあるものの、そういう生き方に対するシンパシーも感じられる不思議なエンディングです。
●『テーブルはテーブル』
少し前のCNNのCMで印象的なものがありました。白をバックにリンゴが一個映し出され、次のような内容のナレーションが被ります。
「これはリンゴです。もし誰かが『これはバナナだ』と言い続けたら、あなたはもしかしたらバナナだと思うかもしれません。それでも、これはリンゴなのです」
そして 'Fact First' という字幕が出て終わるものです。
本作の元ネタは、おそらくロダーリのあらゆるものに本当の名前をいうことが禁じられている国の話『うそつき王国とジェルソミーノ』(1958年)で、本作は自室に閉じこもり「ベッド」を「絵」、「テーブル」を「じゅうたん」というように、あらゆるものを別の名前で呼ぶことにした男が、最後には部屋の外とのコミュニケーションがまったく取れなくなってしまう姿を描いたものです。
こう説明すると、私がCNNのCMを連想した理由もお分かりでしょう。フェイクニュースが氾濫し、それを信じる人間も多数いる現在の状況をも連想します。本作を書いた時に、作者がどこまでこういうことを意識していたのかは分かりませんが、第二次世界大戦中のドイツのプロパガンダのことはリアルタイムではないにしろ知っていたでしょうし、その怖しさが、一見他愛ない本作の背景にあると私は思います。
●『もう何も知りたくなかった男』
「私はもう何も知りたくない」と言った男がいました。電話がかかってきて、相手が「今日は好いお天気ですね」と言うと、「今日が好いお天気であること」を知ってしまった男は、腹を立てて、電話線を引きちぎり、窓ガラスに目張りをして、自室を真っ暗にしてしまいます。部屋に入ってきた奥さんが「それじゃあ、真っ暗になっちゃうじゃないの」と言うと、こう答えます。
「でも、この方がいいんだ。だって、日が入らなければ、確かに真っ暗にはなるが、でもこうしておけば、少なくとも、天気が好いってことは知らずにすむからね」
まるで引きこもりを連想する話ですが、『テーブルはテーブル』と並べてみると、自分の世界と知識に閉じこもり、自分が既に知っている範囲のことしか知ろうとせず、外からの情報を拒否する姿勢の馬鹿らしさを語っているようです。こちらも、いつの時代にも通用する普遍性のある寓話です。
一冊の本としては本邦初紹介ということもあり、日本ではあまり知られていない作家でしょうが、アゴタ・クリストフや、チェチェン戦争中のジャーナリズム活動で知られモスクワで暗殺されたアンナ・ステパノフナ・ポリトコフスカヤについての作品で有名な、スイスのドキュメンタリー映画作家エリック・ベルクラウトが、彼についてのドキュメンタリー『202号室 パリのペーター・ビクセル』(2010年)を撮っているくらいですから、スイスやドイツでは知られた存在なのだろうと思います。どちらかと言うと寡作なようですが、こんなに面白いのですから、ぜひ他の作品も訳してもらいたいものです。
スイスのドイツ語圏であるルツェルンで、1953年に生まれた作者ペーター・ビクセルの日本初翻訳の作品集です。1969年刊の本書の原題は "Kindergeschichte" で、ドイツ児童文学賞を受賞しましたし、「こどもの物語」という意味に解釈していいのですが、「こども向けの物語」なのか「こども時代の物語」なのかちょっと判然としない原題でもあります。読んでみると、何かを徹底する男の物語ばかりで、昨今のフェイクニュースや、思い込み若しくは洗脳、更には引きこもりを連想させる内容のものもあり、一筋縄ではいかないという印象です。全部で7作収録されていますが、例によって、特に印象的なものを紹介します。
●『地球はまるい』
原題は分からないのですが、先にレビューを書いたガートルード・スタインの『地球はまるい』(1939年)には、こんな一節があります。
「むかしむかし地球はまるくなった。どんどん歩いていくとくるりと回って同じところにもどってくる。平らだったらそうはいかない」
本作は、ここからインスパイアされたのではないかもしれないと思うと楽しいのですが、「どんどん歩いていくとくるりと回って同じところにもどってくる」ことを実践しようとする男の話です。
この男は、物事を徹底的に突きつめないと気が済まないタイプで、地球がまるいことを「頭ではわかってるんだが(中略)それがどうも信じられん。だからこれをとことん確かめてみなければならん」と言い、おまけに「ほかに何もすることがない男」だったので、こんなことをやろうと思ったのです。ところが、計画をたてようとすると、まず隣家の屋根を超えて向こう側に降りなけばならず、そのためには梯子が要ります。その先には森があって木を登らなければなりません。そうなると、ザイル、足にはめるアイゼン、落ちた時のために救急箱、更には戻ってくるまでに時間がかかるでしょうから夏服と冬服、雨の用意で雨合羽という風にどんどん荷物が膨らむので、それを運ぶために荷車という具合に、数限りない品物が必要なことを知ります。それには、とてつもない大金が必要でした。そうこうしているうちに、男は80歳になり、結局大きな梯子を一つ買って出発したのです。
この話を語った「私」は、男が出かけたのは10年前だったと、最後に言います。結局男がどうなったのかは分からないまま終わるのですが、一つのことに捉われることの馬鹿々々しさを語っているようでもあるものの、そういう生き方に対するシンパシーも感じられる不思議なエンディングです。
●『テーブルはテーブル』
少し前のCNNのCMで印象的なものがありました。白をバックにリンゴが一個映し出され、次のような内容のナレーションが被ります。
「これはリンゴです。もし誰かが『これはバナナだ』と言い続けたら、あなたはもしかしたらバナナだと思うかもしれません。それでも、これはリンゴなのです」
そして 'Fact First' という字幕が出て終わるものです。
本作の元ネタは、おそらくロダーリのあらゆるものに本当の名前をいうことが禁じられている国の話『うそつき王国とジェルソミーノ』(1958年)で、本作は自室に閉じこもり「ベッド」を「絵」、「テーブル」を「じゅうたん」というように、あらゆるものを別の名前で呼ぶことにした男が、最後には部屋の外とのコミュニケーションがまったく取れなくなってしまう姿を描いたものです。
こう説明すると、私がCNNのCMを連想した理由もお分かりでしょう。フェイクニュースが氾濫し、それを信じる人間も多数いる現在の状況をも連想します。本作を書いた時に、作者がどこまでこういうことを意識していたのかは分かりませんが、第二次世界大戦中のドイツのプロパガンダのことはリアルタイムではないにしろ知っていたでしょうし、その怖しさが、一見他愛ない本作の背景にあると私は思います。
●『もう何も知りたくなかった男』
「私はもう何も知りたくない」と言った男がいました。電話がかかってきて、相手が「今日は好いお天気ですね」と言うと、「今日が好いお天気であること」を知ってしまった男は、腹を立てて、電話線を引きちぎり、窓ガラスに目張りをして、自室を真っ暗にしてしまいます。部屋に入ってきた奥さんが「それじゃあ、真っ暗になっちゃうじゃないの」と言うと、こう答えます。
「でも、この方がいいんだ。だって、日が入らなければ、確かに真っ暗にはなるが、でもこうしておけば、少なくとも、天気が好いってことは知らずにすむからね」
まるで引きこもりを連想する話ですが、『テーブルはテーブル』と並べてみると、自分の世界と知識に閉じこもり、自分が既に知っている範囲のことしか知ろうとせず、外からの情報を拒否する姿勢の馬鹿らしさを語っているようです。こちらも、いつの時代にも通用する普遍性のある寓話です。
一冊の本としては本邦初紹介ということもあり、日本ではあまり知られていない作家でしょうが、アゴタ・クリストフや、チェチェン戦争中のジャーナリズム活動で知られモスクワで暗殺されたアンナ・ステパノフナ・ポリトコフスカヤについての作品で有名な、スイスのドキュメンタリー映画作家エリック・ベルクラウトが、彼についてのドキュメンタリー『202号室 パリのペーター・ビクセル』(2010年)を撮っているくらいですから、スイスやドイツでは知られた存在なのだろうと思います。どちらかと言うと寡作なようですが、こんなに面白いのですから、ぜひ他の作品も訳してもらいたいものです。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:未知谷
- ページ数:0
- ISBN:9784896420746
- 発売日:2003年04月01日
- 価格:1760円
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