三太郎さん
レビュアー:
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米国生まれの詩人アーサー・ビナードによる英語と日本語のトリビアなあれこれ。
詩人のアーサー・ビナードさんが主に2001年から2004年にかけて日本語で書いたコラムを集めた(ちょっと古い)本が今年の2月に文庫化された。時期的には米国のブッシュ大統領と英国のブレアー首相が始めたイラク戦争のうさん臭さが取り上げられているが、時事ネタばかりではない。
へえっと思いながら読んだのは「あの夏の土用にぼくが死にたくなかったワケ」だ。イタリアのベネトンが出していた雑誌「カラーズ」の特集「体のための買い物」に載せるために、日本ならではの商品を探すことになった話だ。集めた商品は例えば、血液型別コンドームとか一重まぶたを二重にする接着剤、くすんだ色の乳首をピンク色に変色させる薬剤、防災頭巾などがあるが、変わったものでは大便の臭いを消す薬があった。これは著者自身が試してみて効果があったとか(僕も要介護になったら欲しいかも)。
探すのに苦労したのはアダルトビデオ等で使われる潤滑ローション。フランス人編集者によればナマコだかウミウシだかの抽出物なんだとか。でもそんなものは池袋のアダルトショップでも売っていない。結局AV監督に聞いてやっと商品名が分った。実はそれはナマコとは何の関係もなくて、天草などの海藻のヌルヌル成分から作られているとか。(化学的にはアルギン酸などの多糖類からなる水溶性天然高分子だ。)
女性用の陰毛カツラというものも探した。普通のカツラ屋さんにはなくて、やっとそれ専門の業者を発見。聞いてみると無毛症の女性が新婚前に求めることが多いのだとか。また修学旅行前の女子学生も。今では陰部を脱毛する女性も多いと聞くけれど、当時は無毛症はいらぬ誤解を招く恐れがあったのかも。
著者は詩人だから英文の詩の日本語訳や日本語の詩の英訳もするので、誤訳じゃないかと思うことも少なくないらしい。
でも芭蕉の句の英訳に関する「蝉たちの沈黙」の著者の意見にはちょっと異論がある。その芭蕉の句は奥の細道の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」だった。その英訳は、「閑さや」を「how silent! 」と感嘆符付きで訳していた。これに対して著者は、silent は無音・無声の状態であって、この句の訳には相応しくないと。この句の閑さは音が一切ない状態ではなく、人間の喧騒から離れた状態を示すのだと。そこで彼なりに英訳しているが、結果は本書をご覧あれ。
僕が気になったのは「閑さや」という芭蕉の切れ句の効果を著者が考慮していない気がした点だ。奥の細道の中の芭蕉の切れ句はまさにキレキレで、「閑さや」と「岩にしみ入る蝉の声」の間の直接の関連性を一旦バッサリと切ってしまっていると僕は思う。芭蕉の「や」には一種の異化作用があるのではないかと。「how silent! 」の感嘆符(!)はこの切れ字の効果を上手く表しているように思えた。
だから「閑さ」は決して蝉の声の様子を説明している訳ではないだろうと思う。この句の舞台になった立石寺は寺院群全体が一個のそそり立つ岩山にへばりついているような山で、この句の岩はその巨大な岩山全体を指すのだろう。音のない悠久の時間を経てそそり立つ岩山と、この瞬間の夏の盛りを示す蝉の声の時間的対比が主題だと僕は思うなあ。
「火鉢バーベキュー」は英語の"hibachi"について。英語ではhibachiといえばバーべキューになくてはならない道具だとか。でも日本の火鉢でなはくて、日本語でいう七輪(七厘)のことだとか。アメリカ人は七輪でサンマの替わりにビーフを焼くんだね。
へえっと思いながら読んだのは「あの夏の土用にぼくが死にたくなかったワケ」だ。イタリアのベネトンが出していた雑誌「カラーズ」の特集「体のための買い物」に載せるために、日本ならではの商品を探すことになった話だ。集めた商品は例えば、血液型別コンドームとか一重まぶたを二重にする接着剤、くすんだ色の乳首をピンク色に変色させる薬剤、防災頭巾などがあるが、変わったものでは大便の臭いを消す薬があった。これは著者自身が試してみて効果があったとか(僕も要介護になったら欲しいかも)。
探すのに苦労したのはアダルトビデオ等で使われる潤滑ローション。フランス人編集者によればナマコだかウミウシだかの抽出物なんだとか。でもそんなものは池袋のアダルトショップでも売っていない。結局AV監督に聞いてやっと商品名が分った。実はそれはナマコとは何の関係もなくて、天草などの海藻のヌルヌル成分から作られているとか。(化学的にはアルギン酸などの多糖類からなる水溶性天然高分子だ。)
女性用の陰毛カツラというものも探した。普通のカツラ屋さんにはなくて、やっとそれ専門の業者を発見。聞いてみると無毛症の女性が新婚前に求めることが多いのだとか。また修学旅行前の女子学生も。今では陰部を脱毛する女性も多いと聞くけれど、当時は無毛症はいらぬ誤解を招く恐れがあったのかも。
著者は詩人だから英文の詩の日本語訳や日本語の詩の英訳もするので、誤訳じゃないかと思うことも少なくないらしい。
でも芭蕉の句の英訳に関する「蝉たちの沈黙」の著者の意見にはちょっと異論がある。その芭蕉の句は奥の細道の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」だった。その英訳は、「閑さや」を「how silent! 」と感嘆符付きで訳していた。これに対して著者は、silent は無音・無声の状態であって、この句の訳には相応しくないと。この句の閑さは音が一切ない状態ではなく、人間の喧騒から離れた状態を示すのだと。そこで彼なりに英訳しているが、結果は本書をご覧あれ。
僕が気になったのは「閑さや」という芭蕉の切れ句の効果を著者が考慮していない気がした点だ。奥の細道の中の芭蕉の切れ句はまさにキレキレで、「閑さや」と「岩にしみ入る蝉の声」の間の直接の関連性を一旦バッサリと切ってしまっていると僕は思う。芭蕉の「や」には一種の異化作用があるのではないかと。「how silent! 」の感嘆符(!)はこの切れ字の効果を上手く表しているように思えた。
だから「閑さ」は決して蝉の声の様子を説明している訳ではないだろうと思う。この句の舞台になった立石寺は寺院群全体が一個のそそり立つ岩山にへばりついているような山で、この句の岩はその巨大な岩山全体を指すのだろう。音のない悠久の時間を経てそそり立つ岩山と、この瞬間の夏の盛りを示す蝉の声の時間的対比が主題だと僕は思うなあ。
「火鉢バーベキュー」は英語の"hibachi"について。英語ではhibachiといえばバーべキューになくてはならない道具だとか。でも日本の火鉢でなはくて、日本語でいう七輪(七厘)のことだとか。アメリカ人は七輪でサンマの替わりにビーフを焼くんだね。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
この書評へのコメント
- miol mor2023-02-13 10:33
リービ 英雄 さんなら、ビナードさんとは違う感想だろうなと、思いました。
切れ字の「や」は、三太郎さんのご指摘の通り、何らかの形で表すべきと思います。
「閑さ」は、蝉の声が、かえって、あたり(寺と岩山をつつむあたり)の静寂さを際立たせているのだと、ふつうの日本人は感じるだろうと思います。
この句の英訳は少なくとも十種類以上はありますが、「閑さ」に宛てられる英語は
stillness
quietness
tranquility
silence
など、名詞が多いです。
中で、上にお挙げになった silent の例のように、形容詞を使うものもあります。
その形容詞の例として、やや説明的ではありますが、故キーンさんの次の訳が印象に残ります
How still it is here—
Stinging into the stones,
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