ぽんきちさん
レビュアー:
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「東洋の魔窟」はどのように生まれたか
九龍城寨は香港にかつてあった城寨(城砦)であり、また、その後に発展したスラム街である。
過密かつ無秩序に多くの建物が建てられ、水道や電気などのインフラも秩序だった形では整えられなかった。街の中はまさにカオスで迷路のよう。麻薬売買や売春、賭博なども行われた。
都市のごく近くに、ある種、「異界」のような場所ができたのは、香港の複雑な歴史と深い関わりがある。
それをざっくりと紐解いてみようというのが本書の主題である。
「九龍」という印象的な地名の由来には、山脈を龍と見立てて九頭の龍がいるようであったからなどとする、いくつかの説がある。かつてこの地に九龍村という村があり、その名がもとになっていることは確かなようである。
香港島の対岸に位置する九龍は、地理的に重要な場所であった。
海賊や外敵が襲ってくるのを見張るため、のろし台が建てられたのが17世紀半ばの康熙帝の時代のこと。19世紀初頭には砲台が建てられた。
その後、1839年にアヘン戦争がはじまり、この地の軍事的地位はますます高まることになる。
アヘン戦争後、イギリスが香港島を占領。
イギリス側と中国側との協議の結果、密輸や海賊を取り締まる必要があるとされ、中国側が九龍に城砦を築くことになる。同時にここは、中国側がイギリス側を偵察する役割も果たすことになる。
1860年には九龍半島南部がイギリスに割譲、1898年には新界と称される深圳河以南や香港島周辺の島々等が租借されるが、九龍城砦は中国領として保留された。
ことがさらに面倒になったのは、太平洋戦争がはじまり、香港が日本に占領されたことによる。九龍城砦の領有をめぐる小競り合いは何度かあったが、はっきりと結論の出ない宙ぶらりんの形のまま推移していく。
戦後は、香港政庁(イギリスが設置していた香港統治機関)もイギリス政府も中国政府も管轄できない「三不管」の地となる。
1950年代には中国から大量の移民が香港に押し寄せ、九龍城砦の中に勝手に建物を建て住み着く。大陸から来たヤクザが香港のヤクザ組織と手を組んで違法な活動を始める。彼らはまずストリップショーで客を集め、さらに賭博場へと誘い込んだ。ポルノや麻薬、何でもござれである。
ヤクザたちは、「三不管の地だから取り締まられることもない」と客を呼び込み、荒稼ぎをした。
スラムのイメージはこの時代以降のもので、逆に言えばスラムとしての歴史はそれほど古くはないといえそうだ。
一方、周辺地域に比べて格段に安く住めたため、多くの貧しい住民が住み着いた。
大工場の下請けをする小規模工場や製作所も多く作られた。
おもしろいところでは、香港政庁のライセンスが得られなかった歯医者や西洋医がこの地に多く開業したという話がある。これらは住民たちに廉価な医療サービスを提供してくれた。
だが、増え続ける住民を背景に家は高層化し、住環境は劣悪化した。
1997年の香港返還を前に、九龍城砦を取り壊す計画が持ち上がった。住民からは反対意見も出て、すんなりとことが運んだわけではなかった。本書の著者は住民側に同情的で、「歴史的経緯を考えれば手厚い補償・保護があってしかるべき」としている。付録として付された「九龍城寨取り壊し関連資料」も興味深い。
本書の原著刊行は1988年だが、その後、1993年~94年、九龍城砦は取り壊された。現在では跡地に公園や資料館が設けられている。
在りし日の姿を写した写真集などもあるようなので、別途、機会があれば手に取ってみたい。
過密かつ無秩序に多くの建物が建てられ、水道や電気などのインフラも秩序だった形では整えられなかった。街の中はまさにカオスで迷路のよう。麻薬売買や売春、賭博なども行われた。
都市のごく近くに、ある種、「異界」のような場所ができたのは、香港の複雑な歴史と深い関わりがある。
それをざっくりと紐解いてみようというのが本書の主題である。
「九龍」という印象的な地名の由来には、山脈を龍と見立てて九頭の龍がいるようであったからなどとする、いくつかの説がある。かつてこの地に九龍村という村があり、その名がもとになっていることは確かなようである。
香港島の対岸に位置する九龍は、地理的に重要な場所であった。
海賊や外敵が襲ってくるのを見張るため、のろし台が建てられたのが17世紀半ばの康熙帝の時代のこと。19世紀初頭には砲台が建てられた。
その後、1839年にアヘン戦争がはじまり、この地の軍事的地位はますます高まることになる。
アヘン戦争後、イギリスが香港島を占領。
イギリス側と中国側との協議の結果、密輸や海賊を取り締まる必要があるとされ、中国側が九龍に城砦を築くことになる。同時にここは、中国側がイギリス側を偵察する役割も果たすことになる。
1860年には九龍半島南部がイギリスに割譲、1898年には新界と称される深圳河以南や香港島周辺の島々等が租借されるが、九龍城砦は中国領として保留された。
ことがさらに面倒になったのは、太平洋戦争がはじまり、香港が日本に占領されたことによる。九龍城砦の領有をめぐる小競り合いは何度かあったが、はっきりと結論の出ない宙ぶらりんの形のまま推移していく。
戦後は、香港政庁(イギリスが設置していた香港統治機関)もイギリス政府も中国政府も管轄できない「三不管」の地となる。
1950年代には中国から大量の移民が香港に押し寄せ、九龍城砦の中に勝手に建物を建て住み着く。大陸から来たヤクザが香港のヤクザ組織と手を組んで違法な活動を始める。彼らはまずストリップショーで客を集め、さらに賭博場へと誘い込んだ。ポルノや麻薬、何でもござれである。
ヤクザたちは、「三不管の地だから取り締まられることもない」と客を呼び込み、荒稼ぎをした。
スラムのイメージはこの時代以降のもので、逆に言えばスラムとしての歴史はそれほど古くはないといえそうだ。
一方、周辺地域に比べて格段に安く住めたため、多くの貧しい住民が住み着いた。
大工場の下請けをする小規模工場や製作所も多く作られた。
おもしろいところでは、香港政庁のライセンスが得られなかった歯医者や西洋医がこの地に多く開業したという話がある。これらは住民たちに廉価な医療サービスを提供してくれた。
だが、増え続ける住民を背景に家は高層化し、住環境は劣悪化した。
1997年の香港返還を前に、九龍城砦を取り壊す計画が持ち上がった。住民からは反対意見も出て、すんなりとことが運んだわけではなかった。本書の著者は住民側に同情的で、「歴史的経緯を考えれば手厚い補償・保護があってしかるべき」としている。付録として付された「九龍城寨取り壊し関連資料」も興味深い。
本書の原著刊行は1988年だが、その後、1993年~94年、九龍城砦は取り壊された。現在では跡地に公園や資料館が設けられている。
在りし日の姿を写した写真集などもあるようなので、別途、機会があれば手に取ってみたい。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:みすず書房
- ページ数:0
- ISBN:9784622095163
- 発売日:2022年10月19日
- 価格:4620円
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