hackerさん
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「あたしはこれでいいのよ、これで倖せだわ、あたしは死ねるわ、あなたが亡くなったって噂で死ねるわ」(ヒロイン新子の台詞) 昨年末亡くなった吉田喜重を偲んで、読みました。
昨年末、映画監督吉田喜重が亡くなりました。東大仏文科卒で卒論がサルトルという、日本の映画監督としては珍しいインテリ派で、卒業後は松竹でその道を歩み出しました。私が最も好きな彼の映画となると、そんなにたくさん観ているわけではありませんが、『秋津温泉』(1962年)になり、映画公開の翌々年に主演の岡田茉莉子と結婚したこともあるでしょうが、彼女が最も美しく撮られていた映画の一つであることが、その理由の一つです。その映画の原作が1949年刊の本書になります。吉田喜重の訃報を聞いた後で、録画してあった映画を再見し、本書も手に取った次第です。
作者の藤原審爾(1921-1984)は、映画化作品の多い小説家で、殊に山田洋次の最初の本格的喜劇『馬鹿まるだし』(1964年)と、日本殺し屋映画の傑作『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967年)の原作者として、私の記憶に残っていましたが、実は、作品を読むのは今回が初めてでした。1947年発表の本作は、戦時中の作者が21歳の時から書き始めたもので、発表後にさらに加筆した1949年版が最終形となっています。つまり、7年がかりで完成させた、作者の初期の代表作と言われています。この作品には、作者の生い立ちが色濃く反映していると思われるので、Wikipedia の記載を紹介しておきます。
「東京本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市・法鏡寺がある場所)で祖母に育てられた。閑谷中学校在学中に祖母とも死別、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退する」
本書の一人称の主人公「双親のない」周作は、未亡人になったばかりの伯母に引き取られ、17歳の初夏、岡山のひなびた温泉町である秋津(奥津温泉がモデルと言われています)の秋鹿園という宿にやってきます。そこで、画家の岡田さん、若くして妻を亡くしてから独り身を通している学者の板野さんのような大人たちの中で、ひときわ目立つ脊椎カリエスを患って、祖夫母と湯治に来ている直子という美少女に出会い、恋に落ちます。しかし、まだ若い「私」は、それを相手に伝える術を知りませんし、直子が自分のことをどう思っているかも分かりません。結局、お互いに意思の疎通のないまま、別れてしまいます。
それから3年後、久しぶりに秋鹿園にやってきた「私」は、20歳の宿の女将の娘、新子に出会います。新子は、物静かな直子とは対照的な、はっきりした性格の若さに溢れる娘でした。そして、同宿になった岡田さんから、直子が実は「私」に気持ちを打ち明けられなかった場面を、偶然目撃していたことを知らされます。直子のことはあきらめたつもりになっている「私」でしたが、やはりショックでした。それもあって、新子の「20歳という生身の清潔さを持った小さな体」に恋情を感じますが、おりしも太平洋戦争が始まり、秋鹿園が軍に徴用されることになって、「私」は秋津を去ります。
さらに5年後、岡山の家は空襲され、伯母は病死し、晴枝という女性と結婚し子供もできた「私」は、病弱の身でもあり、戦後の混乱期で生活に苦労していましたが、新子から秋鹿園新装のはがきをもらい、再び秋津へ向かいます。そこで、宿の女将となった成熟した新子と再会し、泊まりにきていた直子の姿も遠くから見ます。新子の話では、直子は結婚して子供も一人いましたが、夫は戦死したとのことでした。
本書は、お分かりのように、「私」を中心として新子と直子をめぐる2人の女性との関係を綴ったものです。秋津温泉は、彼らにとって俗世間から離れた一種の聖地であり、そこが彼らの愛が展開される場所なのです。そして、物語は、直子は別の男と再婚し、新子はいつ来るともしれない「私」を待つ関係がこれからも続くことを示唆して、終わります。
この「私」は当然、作者自身を反映したものでしょうし、どこまでモデルがいるのかは分かりませんが、このように優柔不断で、はっきりせず、生活能力のない、いわばだらしない男を描いているわりには、作品全体が清々しい雰囲気でおおわれているのが印象的です。本書に収録されている井伏鱒二の『藤原君のこと』というエッセーでは、この特徴を「底抜けに詩情豊かな筆至」と表現していますが、作者自身が俗世間から乖離した、未熟な青年の心情で書いていたからではないかと思います。不覚にも、読みながら、20代の頃の私の心情もよみがえってくるようでした。それを喚起させるだけの力が、この作品にはあり、それが今に至るまで読む者に訴えかけてくるのだと思います。ただし、この小説の清々しい雰囲気は、主人公が20代のままで終わっている、いわば未完のままで終わっていることも大きいと思います。
さて、映画化に対し、吉田喜重は、俗世間と対照的な聖地としての秋津温泉での男女の愛という基本線は残しつつも、大きな変更を加えます。まず、直子を含め秋鹿園で知り合った客はすべて省略し、主人公の周作と新子の関係だけに絞り込んであります。また、二人が知り合うのは、終戦直前に変え、それから17年後を二人の関係の終わりにしてあります。つまり、原作の二人の将来の姿を映画の後半に描き、いわば未完のまま終わらせているとも言える原作を完成させているのです。
映画では、周作は疎開と結核の療養を兼ねて秋津温泉に来たという設定です。そして、自らの病気と暗い時代に絶望している周作の純粋さにうたれ、新子は深く同情し、献身的な看護をします。この部分では、原作の清々しさを残し、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』(1955年、原作は伊藤左千夫『野菊の墓』)を連想させるシーンもあります。その甲斐あって、周作は病気も快方に向かい、やがて秋津温泉を離れます。数年後、周作は再び秋津を訪ねます。当時は太宰治に代表される戦後デカダンスの時代で、生きる目標もなく、仲間の文学青年と飲み歩いてばかりいた周作は、新子に心中を迫ります。新子は同意しますが、心中そのものは失敗し、二人とも生き残ります。しかし周作は新子が一緒に心中を図ってくれたこと自体に感動し、死の観念をようやく捨て去ることができ、新しい人生を誓って岡山に戻るのでした。この心中の部分は、映画化にあたっての創作ですし、これ以降の展開は原作から離れます。
周作はその後何年か一度、自分勝手なタイミングで秋津を訪ねます。その間、東京の出版社に就職し、東京で結婚し、新子とも肉体関係ができます。戦後17年たって、秋津にやって来た周作はかっての純粋さは消えうせた単に俗悪な都会人にすぎません。新子はそれに深く絶望し、今度は新子の方から心中を迫りますが、周作は一笑にふします。彼は、なぜ新子がそんな気持ちになるのかすら、理解することができません。新子は結局手首を切って、その手首を清流につけたまま息をひきとるのです。
映画の方は、何年かに一度しか訪ねてこない男を20年近く待ちつづけた女の話とも、長く続いた戦争の後で、新しい時代の希望の象徴であった「戦後」が、だんだんと堕落していく現実に絶望する話とも解釈できます。しかし、実は一番印象に残るのは、岡田茉莉子の美しさなのです。
映画の世界においては、監督と女優が恋愛関係もしくは夫婦というのが珍しくありません。思い出すだけでも、ジョゼフ・フォン・スタンバーグとマレーネ・ディートリッヒ、ルイ・マルとジャンヌ・モロー、J・L・ゴダールとアンナ・カリーナ、フランソワ・トリュフォーとファニー・アルダン、ジョン・カサベテスとジーナ・ローランズ等々、いくらでも名前が出てきます。
日本でも、溝口健二と田中絹代、小津安二郎と原節子、大島渚と小山明子、篠田正浩と岩下志摩らの名前があげられます。ただ、日本と海外を比較すると、女優をきれいに撮ることに関してのエネルギーの使い方にずいぶん差があるように思えます。海外では惚れた女をきれいに撮るのは当たり前のような感じですし、監督が女優に惚れているのが画面からにじみ出ているような作品はそれだけで魅力的なものです。これに対し、例えば大島渚が小山明子を美しく撮ろうと努力したことが一度でもあったとは、個人的には信じられません。溝口健二などは特にそうですが、映画を見ている限りにおいては、監督と主演女優が恋愛関係にあったとは思えないような作品ばかりです。主演男女優が美しいというのは、映画を鑑賞する側にとっては大きなファクターなのですから、もう少しエネルギーを割いても良いような気がしますが、一般的に日本の著名な監督はこの点については、積極的な努力をしていないように思えます。そんな中で、これは例外的な作品です。
とにかく、ヒロインの岡田茉莉子が美しい。彼女の数々のクローズアップももちろん美しいのですが、桜の木や雪をバックに着物姿の岡田茉莉子が小走りに走ってくるシーンなど、大げさでなく、ため息がでるような美しさです。また、この映画は、ヒロインは誰が見ても美しくないと成立しないような作品でもあるのです。
この映画の後、吉田喜重と岡田茉莉子は結婚して、監督と主演女優の関係で何本もの映画を作ります。ただ、彼の作品はあまり見ていないので断言しにくいのですが、このように岡田茉莉子を撮ったことは最初で最後だったのではないでしょうか。吉田喜重自身が後年「ああいう映画をとっておいて良かった」と語っているぐらいですから。
どんなに原作に忠実に撮ろうと、映画と原作は別物だというのが、私の基本的な考えですが、『秋津温泉』の場合、発表した時代の差―1947年と1962年―が、似て非なるものに仕上がった大きな理由でしょう。殊に、映画となると、周作と新子の関係に何らかの結論を出さないわけにはいかず、それも大きかったと思います。しかし、原作の清々しい雰囲気、映画の岡田茉莉子の美しさと新子という名前が象徴する新しい時代への絶望、という別の理由ではあるものの、共に印象に残る作品であることには変わりありません。少なくとも、両者とも、私の中には、その余韻が深く刻み込まれています。
そして、再見して気づいた点は、映画で描かれる戦後の周作は文学で身をたてようとするも叶わないのですが、宇野重吉が演じた仲間の松宮という男は新人賞を取り、小説家として大成し、周吉に仕事の世話もしたりするようになるという原作にはない展開があることです。これは、もしかしたら、松竹という企業体の中で、小津安二郎という自分の世界を守り続けている巨匠の存在を間近に感じながら、なかなか自分の思うような映画作りができなかった吉田喜重自身を反映したものなのかもしれません。そう考えると、周吉が堕落していく俗世間とは、商業主義を無視できない松竹の姿だったのかもしれません。その意味では、監督の自らの生活への反省の気持ちも込められているのでしょう。
しかし、これで松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた三人の監督(大島渚、吉田喜重、篠田正浩)のうち、二人が亡くなってしまいました。篠田正浩も監督活動は停止しています。彼らの作品に限らず、フィルムに刻まれた美が、これからも保存され、人々の目に触れる機会が絶えないことを祈ります。映画は、ある意味で、死に瀕しているというのが、私の大きな心配となっていますから。
作者の藤原審爾(1921-1984)は、映画化作品の多い小説家で、殊に山田洋次の最初の本格的喜劇『馬鹿まるだし』(1964年)と、日本殺し屋映画の傑作『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967年)の原作者として、私の記憶に残っていましたが、実は、作品を読むのは今回が初めてでした。1947年発表の本作は、戦時中の作者が21歳の時から書き始めたもので、発表後にさらに加筆した1949年版が最終形となっています。つまり、7年がかりで完成させた、作者の初期の代表作と言われています。この作品には、作者の生い立ちが色濃く反映していると思われるので、Wikipedia の記載を紹介しておきます。
「東京本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市・法鏡寺がある場所)で祖母に育てられた。閑谷中学校在学中に祖母とも死別、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退する」
本書の一人称の主人公「双親のない」周作は、未亡人になったばかりの伯母に引き取られ、17歳の初夏、岡山のひなびた温泉町である秋津(奥津温泉がモデルと言われています)の秋鹿園という宿にやってきます。そこで、画家の岡田さん、若くして妻を亡くしてから独り身を通している学者の板野さんのような大人たちの中で、ひときわ目立つ脊椎カリエスを患って、祖夫母と湯治に来ている直子という美少女に出会い、恋に落ちます。しかし、まだ若い「私」は、それを相手に伝える術を知りませんし、直子が自分のことをどう思っているかも分かりません。結局、お互いに意思の疎通のないまま、別れてしまいます。
それから3年後、久しぶりに秋鹿園にやってきた「私」は、20歳の宿の女将の娘、新子に出会います。新子は、物静かな直子とは対照的な、はっきりした性格の若さに溢れる娘でした。そして、同宿になった岡田さんから、直子が実は「私」に気持ちを打ち明けられなかった場面を、偶然目撃していたことを知らされます。直子のことはあきらめたつもりになっている「私」でしたが、やはりショックでした。それもあって、新子の「20歳という生身の清潔さを持った小さな体」に恋情を感じますが、おりしも太平洋戦争が始まり、秋鹿園が軍に徴用されることになって、「私」は秋津を去ります。
さらに5年後、岡山の家は空襲され、伯母は病死し、晴枝という女性と結婚し子供もできた「私」は、病弱の身でもあり、戦後の混乱期で生活に苦労していましたが、新子から秋鹿園新装のはがきをもらい、再び秋津へ向かいます。そこで、宿の女将となった成熟した新子と再会し、泊まりにきていた直子の姿も遠くから見ます。新子の話では、直子は結婚して子供も一人いましたが、夫は戦死したとのことでした。
本書は、お分かりのように、「私」を中心として新子と直子をめぐる2人の女性との関係を綴ったものです。秋津温泉は、彼らにとって俗世間から離れた一種の聖地であり、そこが彼らの愛が展開される場所なのです。そして、物語は、直子は別の男と再婚し、新子はいつ来るともしれない「私」を待つ関係がこれからも続くことを示唆して、終わります。
この「私」は当然、作者自身を反映したものでしょうし、どこまでモデルがいるのかは分かりませんが、このように優柔不断で、はっきりせず、生活能力のない、いわばだらしない男を描いているわりには、作品全体が清々しい雰囲気でおおわれているのが印象的です。本書に収録されている井伏鱒二の『藤原君のこと』というエッセーでは、この特徴を「底抜けに詩情豊かな筆至」と表現していますが、作者自身が俗世間から乖離した、未熟な青年の心情で書いていたからではないかと思います。不覚にも、読みながら、20代の頃の私の心情もよみがえってくるようでした。それを喚起させるだけの力が、この作品にはあり、それが今に至るまで読む者に訴えかけてくるのだと思います。ただし、この小説の清々しい雰囲気は、主人公が20代のままで終わっている、いわば未完のままで終わっていることも大きいと思います。
さて、映画化に対し、吉田喜重は、俗世間と対照的な聖地としての秋津温泉での男女の愛という基本線は残しつつも、大きな変更を加えます。まず、直子を含め秋鹿園で知り合った客はすべて省略し、主人公の周作と新子の関係だけに絞り込んであります。また、二人が知り合うのは、終戦直前に変え、それから17年後を二人の関係の終わりにしてあります。つまり、原作の二人の将来の姿を映画の後半に描き、いわば未完のまま終わらせているとも言える原作を完成させているのです。
映画では、周作は疎開と結核の療養を兼ねて秋津温泉に来たという設定です。そして、自らの病気と暗い時代に絶望している周作の純粋さにうたれ、新子は深く同情し、献身的な看護をします。この部分では、原作の清々しさを残し、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』(1955年、原作は伊藤左千夫『野菊の墓』)を連想させるシーンもあります。その甲斐あって、周作は病気も快方に向かい、やがて秋津温泉を離れます。数年後、周作は再び秋津を訪ねます。当時は太宰治に代表される戦後デカダンスの時代で、生きる目標もなく、仲間の文学青年と飲み歩いてばかりいた周作は、新子に心中を迫ります。新子は同意しますが、心中そのものは失敗し、二人とも生き残ります。しかし周作は新子が一緒に心中を図ってくれたこと自体に感動し、死の観念をようやく捨て去ることができ、新しい人生を誓って岡山に戻るのでした。この心中の部分は、映画化にあたっての創作ですし、これ以降の展開は原作から離れます。
周作はその後何年か一度、自分勝手なタイミングで秋津を訪ねます。その間、東京の出版社に就職し、東京で結婚し、新子とも肉体関係ができます。戦後17年たって、秋津にやって来た周作はかっての純粋さは消えうせた単に俗悪な都会人にすぎません。新子はそれに深く絶望し、今度は新子の方から心中を迫りますが、周作は一笑にふします。彼は、なぜ新子がそんな気持ちになるのかすら、理解することができません。新子は結局手首を切って、その手首を清流につけたまま息をひきとるのです。
映画の方は、何年かに一度しか訪ねてこない男を20年近く待ちつづけた女の話とも、長く続いた戦争の後で、新しい時代の希望の象徴であった「戦後」が、だんだんと堕落していく現実に絶望する話とも解釈できます。しかし、実は一番印象に残るのは、岡田茉莉子の美しさなのです。
映画の世界においては、監督と女優が恋愛関係もしくは夫婦というのが珍しくありません。思い出すだけでも、ジョゼフ・フォン・スタンバーグとマレーネ・ディートリッヒ、ルイ・マルとジャンヌ・モロー、J・L・ゴダールとアンナ・カリーナ、フランソワ・トリュフォーとファニー・アルダン、ジョン・カサベテスとジーナ・ローランズ等々、いくらでも名前が出てきます。
日本でも、溝口健二と田中絹代、小津安二郎と原節子、大島渚と小山明子、篠田正浩と岩下志摩らの名前があげられます。ただ、日本と海外を比較すると、女優をきれいに撮ることに関してのエネルギーの使い方にずいぶん差があるように思えます。海外では惚れた女をきれいに撮るのは当たり前のような感じですし、監督が女優に惚れているのが画面からにじみ出ているような作品はそれだけで魅力的なものです。これに対し、例えば大島渚が小山明子を美しく撮ろうと努力したことが一度でもあったとは、個人的には信じられません。溝口健二などは特にそうですが、映画を見ている限りにおいては、監督と主演女優が恋愛関係にあったとは思えないような作品ばかりです。主演男女優が美しいというのは、映画を鑑賞する側にとっては大きなファクターなのですから、もう少しエネルギーを割いても良いような気がしますが、一般的に日本の著名な監督はこの点については、積極的な努力をしていないように思えます。そんな中で、これは例外的な作品です。
とにかく、ヒロインの岡田茉莉子が美しい。彼女の数々のクローズアップももちろん美しいのですが、桜の木や雪をバックに着物姿の岡田茉莉子が小走りに走ってくるシーンなど、大げさでなく、ため息がでるような美しさです。また、この映画は、ヒロインは誰が見ても美しくないと成立しないような作品でもあるのです。
この映画の後、吉田喜重と岡田茉莉子は結婚して、監督と主演女優の関係で何本もの映画を作ります。ただ、彼の作品はあまり見ていないので断言しにくいのですが、このように岡田茉莉子を撮ったことは最初で最後だったのではないでしょうか。吉田喜重自身が後年「ああいう映画をとっておいて良かった」と語っているぐらいですから。
どんなに原作に忠実に撮ろうと、映画と原作は別物だというのが、私の基本的な考えですが、『秋津温泉』の場合、発表した時代の差―1947年と1962年―が、似て非なるものに仕上がった大きな理由でしょう。殊に、映画となると、周作と新子の関係に何らかの結論を出さないわけにはいかず、それも大きかったと思います。しかし、原作の清々しい雰囲気、映画の岡田茉莉子の美しさと新子という名前が象徴する新しい時代への絶望、という別の理由ではあるものの、共に印象に残る作品であることには変わりありません。少なくとも、両者とも、私の中には、その余韻が深く刻み込まれています。
そして、再見して気づいた点は、映画で描かれる戦後の周作は文学で身をたてようとするも叶わないのですが、宇野重吉が演じた仲間の松宮という男は新人賞を取り、小説家として大成し、周吉に仕事の世話もしたりするようになるという原作にはない展開があることです。これは、もしかしたら、松竹という企業体の中で、小津安二郎という自分の世界を守り続けている巨匠の存在を間近に感じながら、なかなか自分の思うような映画作りができなかった吉田喜重自身を反映したものなのかもしれません。そう考えると、周吉が堕落していく俗世間とは、商業主義を無視できない松竹の姿だったのかもしれません。その意味では、監督の自らの生活への反省の気持ちも込められているのでしょう。
しかし、これで松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた三人の監督(大島渚、吉田喜重、篠田正浩)のうち、二人が亡くなってしまいました。篠田正浩も監督活動は停止しています。彼らの作品に限らず、フィルムに刻まれた美が、これからも保存され、人々の目に触れる機会が絶えないことを祈ります。映画は、ある意味で、死に瀕しているというのが、私の大きな心配となっていますから。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:集英社
- ページ数:0
- ISBN:B000J8KR56
- 発売日:1978年11月01日
- 価格:1650円
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