三太郎さん
レビュアー:
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58歳の新聞記者がヒマラヤの8000m峰に初めて挑戦した話。
著者は学生時代は岩登りや冬山登山に打ち込んでいましたが、結婚後は山からは離れていたとか。それが50代で海外勤務から戻ると福島県の郡山に転勤になり、地元の山岳会に加わって登山を再開してからヒマラヤのダウラギリ(標高8167m)に挑戦するまでの手記です。
ヒマラヤでの登山には一か月の休暇が必要で、著者は会社を辞めようと思っていたところ、入社30年目の特別休暇と使わなかった年休を合わせて、会社を辞めずにヒマラヤに行けることになったそうです。
山岳会で出会った友人に誘われたことがきっかけでヒマラヤ行きを決めたのでしたが、これまでヒマラヤは6000mクラスの山に一回登っただけで、8000mは未経験。高山病が心配で専門家に相談したり富士山で訓練したり、睡眠時無呼吸症候群だと判明し、鼻の手術をしたりと準備に追われます。
2019年の春(プレモンスーン)に登る予定が、現地では異常気象で雪崩多発のため、秋(ポストモンスーン)に登ることになります。
隊員は本人と友人、それにシェルパ二名、シェルパ見習いとコックが各一名の登山隊です。
ダウラギリは世界に14座ある8000m級の山の中で標高は第七位とちょっと地味な山ですが、ルート上で雪崩が多発する結構危険な山だとか。登山者100名中3名が遭難死するといいます。(写真で見ると、不定形なごつごつした岩山のような、見た目にはあまり恰好がよくはない武骨な山です。)
著者は子供の頃はひどい怖がりだったそうですが、山登りを始めてからは危険な場所(取材で訪れた戦場など)でも冷静で居られるようになったとか。20代に沢登り中にロープで中吊りになり死を覚悟するような危険な状況になりましたが、パニックを起こさずに冷静に対処して無事生還し、その後は恐怖をコントロールすることができるようになったそうです。
著者は人が山に登ろうとする意味を<自由への感覚>を獲得するためだといいます。言い換えれば抑制されていない自分の<ありのままの心>を知るためです。死にかけた体験も有意義なことなのだと。
結局は標高7300mの最終キャンプで天候が悪化し、登頂は諦めて下山することになるのですが、低酸素状態では感情の抑制がなくなるからか、著者は子供の頃のようによだれを流しながら下山したそうです。登頂の緊張から解放され安心したからでしょう。
著者はベースキャンプで、80歳になるスペイン人のクライマーと出会います。彼は51歳からヒマラヤの8000m峰を登り始め、既に14座のうち10座に登っているのだとか。ダウラギリに登れれば11座目ですが、今回で10回目の挑戦だったとか。体力に年齢は関係ないのだと著者は知ります。
ただし、50代では集中力が持続しないことも著者は実感します。若い頃から何十回も登ってきた沢登りで以前にはしなかったようなミスをするようになったのです。
ところで、著者はダウラギリから帰ってから、自分に若い頃の人懐っこさと好奇心が戻ってきたように感じました。高所登山をすると脳がダメージを受けることはMRIを使った研究で知られていることだそうですが、脳がダメージを受けたことで、若い頃の脳が戻ってきたのかもしれません。
この本は、それまで仕事一筋に生きて50代になった著者が自分自身の現在を再認識し、所謂<中年の危機>を乗り越えようとする物語としても読めそうですね。
もちろんヒマラヤ登山は誰にでもお薦めはできませんが、50代になったら、それまでと違う生活をしてみるのもよいかも。僕の場合は、50代半ばでこのサイトに書評を書くようになりました。
それはそれとして、僕も体力をつけて山歩きを再開しようかな。
ヒマラヤでの登山には一か月の休暇が必要で、著者は会社を辞めようと思っていたところ、入社30年目の特別休暇と使わなかった年休を合わせて、会社を辞めずにヒマラヤに行けることになったそうです。
山岳会で出会った友人に誘われたことがきっかけでヒマラヤ行きを決めたのでしたが、これまでヒマラヤは6000mクラスの山に一回登っただけで、8000mは未経験。高山病が心配で専門家に相談したり富士山で訓練したり、睡眠時無呼吸症候群だと判明し、鼻の手術をしたりと準備に追われます。
2019年の春(プレモンスーン)に登る予定が、現地では異常気象で雪崩多発のため、秋(ポストモンスーン)に登ることになります。
隊員は本人と友人、それにシェルパ二名、シェルパ見習いとコックが各一名の登山隊です。
ダウラギリは世界に14座ある8000m級の山の中で標高は第七位とちょっと地味な山ですが、ルート上で雪崩が多発する結構危険な山だとか。登山者100名中3名が遭難死するといいます。(写真で見ると、不定形なごつごつした岩山のような、見た目にはあまり恰好がよくはない武骨な山です。)
著者は子供の頃はひどい怖がりだったそうですが、山登りを始めてからは危険な場所(取材で訪れた戦場など)でも冷静で居られるようになったとか。20代に沢登り中にロープで中吊りになり死を覚悟するような危険な状況になりましたが、パニックを起こさずに冷静に対処して無事生還し、その後は恐怖をコントロールすることができるようになったそうです。
著者は人が山に登ろうとする意味を<自由への感覚>を獲得するためだといいます。言い換えれば抑制されていない自分の<ありのままの心>を知るためです。死にかけた体験も有意義なことなのだと。
結局は標高7300mの最終キャンプで天候が悪化し、登頂は諦めて下山することになるのですが、低酸素状態では感情の抑制がなくなるからか、著者は子供の頃のようによだれを流しながら下山したそうです。登頂の緊張から解放され安心したからでしょう。
著者はベースキャンプで、80歳になるスペイン人のクライマーと出会います。彼は51歳からヒマラヤの8000m峰を登り始め、既に14座のうち10座に登っているのだとか。ダウラギリに登れれば11座目ですが、今回で10回目の挑戦だったとか。体力に年齢は関係ないのだと著者は知ります。
ただし、50代では集中力が持続しないことも著者は実感します。若い頃から何十回も登ってきた沢登りで以前にはしなかったようなミスをするようになったのです。
ところで、著者はダウラギリから帰ってから、自分に若い頃の人懐っこさと好奇心が戻ってきたように感じました。高所登山をすると脳がダメージを受けることはMRIを使った研究で知られていることだそうですが、脳がダメージを受けたことで、若い頃の脳が戻ってきたのかもしれません。
この本は、それまで仕事一筋に生きて50代になった著者が自分自身の現在を再認識し、所謂<中年の危機>を乗り越えようとする物語としても読めそうですね。
もちろんヒマラヤ登山は誰にでもお薦めはできませんが、50代になったら、それまでと違う生活をしてみるのもよいかも。僕の場合は、50代半ばでこのサイトに書評を書くようになりました。
それはそれとして、僕も体力をつけて山歩きを再開しようかな。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:毎日新聞出版
- ページ数:0
- ISBN:9784620326696
- 発売日:2021年02月27日
- 価格:1430円
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