休蔵さん
レビュアー:
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弥生時代の開始年代が定説より500年さかのぼるという。それは多くの議論すべき点を含んでおり、専門的議論を易しく解き明かしてくれる1冊。研究は日進月歩です。
2003年、国立歴史民俗博物館は弥生時代の開始年代を定説より500年さかのぼらせて紀元前10世紀とする新見解を発表した。
もう20年前のことだ。
現在はどうなったものか。
それはともかく、当時の研究動向を教えてくれるのが本書だ。
本書はまず新見解を構築する起爆となった炭素14年代法について解説する。
これは自然界に存在する炭素14がチッソ14に改変する性質を利用した年代測定法という。
1940年代に確立された方法で、新見解は1980年代に実用化が進んだ加速器を用いた方法とのことで、年代測定に供する資料は土器に付着したわずかなススで十分となったそうだ。
この方法で日本全国の資料の調査を行い、新見解へとまとめあげられて公表となったということである。
しかし、新見解が学会にすんなりと受け入れられたわけではない。
厳しい批判も受けたそうだ。
弥生時代は当初から鉄製品を持つとされてきた。
開始期に近い時期に40点余の鉄製品が存在するということだったが、新年代観によるとこれらの鉄製品は中国ですら鉄が稀少な段階の遺物ということになってしまったという。
そんな段階に遠い東方の島に鉄が持ち出されるのか。
ここに批判が集中したようだ。
この疑問を受けて40点余の鉄製品の出土状況が再検討され、いずれもが弥生時代の開始期近くの所属とは言いがたいという見解が出された。
おいおい、学問として大丈夫か・・・。
まあ、それはともかく、鉄からの反証は検討違いということが示されたのだ。
本書後半は新年代観を受けて、弥生時代像をいかに再構築するかというところに力点が置かれている。
稲作が北部九州に入って順次東へと広まり、青銅器や鉄製品を持ち、さらに個人の墳丘墓を築くようになるという、列島全体で比較的等質的な描きかたをされてきた弥生時代像の崩すところから議論は深められている。
地域、時期を細かく追究してそれぞれの様相を詳細に検討し、それを日本列島の全体像を捉える仕事へとフィードバックされたようだ。
その結果、弥生時代の日本列島は決して等質的な文化に覆われていたわけではないということになった。
稲作の有無など生業の問題、墳墓や青銅器の有無といった祭祀など、地域色が色濃い文化という輪郭が描かれたのだ。
そして、そのような地域色豊かな日本列島を古墳という等質的装置で塗り固めていくところに、古墳時代文化の本質が隠されているとも指摘されている。
資料の蓄積や新技法の確立により学問的見解は一新されるが、これは学問の宿命である。
新見解が共通認識たる学説に昇華するまで活発な議論が戦わされるが、それと並行して社会に広める必要がある。
歴史学の場合、教科書という手段が社会拡散の最たる手段と言え、本書のような概説書が担う役割も大きい。
いまでは新しい年代観が当たり前のような印象がある。
いずれにせよ、実生活には大きな影響は及ぼすことはなかったように思う。
もう20年前のことだ。
現在はどうなったものか。
それはともかく、当時の研究動向を教えてくれるのが本書だ。
本書はまず新見解を構築する起爆となった炭素14年代法について解説する。
これは自然界に存在する炭素14がチッソ14に改変する性質を利用した年代測定法という。
1940年代に確立された方法で、新見解は1980年代に実用化が進んだ加速器を用いた方法とのことで、年代測定に供する資料は土器に付着したわずかなススで十分となったそうだ。
この方法で日本全国の資料の調査を行い、新見解へとまとめあげられて公表となったということである。
しかし、新見解が学会にすんなりと受け入れられたわけではない。
厳しい批判も受けたそうだ。
弥生時代は当初から鉄製品を持つとされてきた。
開始期に近い時期に40点余の鉄製品が存在するということだったが、新年代観によるとこれらの鉄製品は中国ですら鉄が稀少な段階の遺物ということになってしまったという。
そんな段階に遠い東方の島に鉄が持ち出されるのか。
ここに批判が集中したようだ。
この疑問を受けて40点余の鉄製品の出土状況が再検討され、いずれもが弥生時代の開始期近くの所属とは言いがたいという見解が出された。
おいおい、学問として大丈夫か・・・。
まあ、それはともかく、鉄からの反証は検討違いということが示されたのだ。
本書後半は新年代観を受けて、弥生時代像をいかに再構築するかというところに力点が置かれている。
稲作が北部九州に入って順次東へと広まり、青銅器や鉄製品を持ち、さらに個人の墳丘墓を築くようになるという、列島全体で比較的等質的な描きかたをされてきた弥生時代像の崩すところから議論は深められている。
地域、時期を細かく追究してそれぞれの様相を詳細に検討し、それを日本列島の全体像を捉える仕事へとフィードバックされたようだ。
その結果、弥生時代の日本列島は決して等質的な文化に覆われていたわけではないということになった。
稲作の有無など生業の問題、墳墓や青銅器の有無といった祭祀など、地域色が色濃い文化という輪郭が描かれたのだ。
そして、そのような地域色豊かな日本列島を古墳という等質的装置で塗り固めていくところに、古墳時代文化の本質が隠されているとも指摘されている。
資料の蓄積や新技法の確立により学問的見解は一新されるが、これは学問の宿命である。
新見解が共通認識たる学説に昇華するまで活発な議論が戦わされるが、それと並行して社会に広める必要がある。
歴史学の場合、教科書という手段が社会拡散の最たる手段と言え、本書のような概説書が担う役割も大きい。
いまでは新しい年代観が当たり前のような印象がある。
いずれにせよ、実生活には大きな影響は及ぼすことはなかったように思う。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
この書評へのコメント
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- 出版社:吉川弘文館
- ページ数:0
- ISBN:9784642057295
- 発売日:2011年09月20日
- 価格:1944円
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