書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

ぱせりさん
ぱせり
レビュアー:
「伝わるかもしれないけど、伝わらないかもしれない」
中学二年生のソラは、一年生のころに、一人のクラスメイトの悪意ある言葉がきっかけで、クラスにいることができなくなってしまい、保健室登校を余儀なくされていた。
二年生になってクラス替えがあったが、状況は好転しなかった。一か月頑張ったが、それが限度で、保健室に戻る。
久しぶりの保健室には、同じく二年生のハゼオがいて、句会をやらないか、と誘われる。最初は苦痛だったハゼオの誘いに乗ったのは、言葉についての気づきのせいだろうか。
ソラは、嘗て、ひとつの言葉に突き刺さされた。きたない言葉だった。だけど、同じ言葉だって、輝くときがあるかもしれないのだ。ハゼオは自分の力で輝かせようとしていた。
ハゼオとソラと(それから養護の先生と)で始めた句会に、弓道部のエースで、俳句経験者でもあるユミが加わる。


それぞれらしく自由に詠まれる句は、仲間たちに鑑賞され、さらに磨かれていく。解説されないと、なぜ元の句がダメで後の句のほうがよいのか、わからない私だけれど、だんだんと俳句に魅せられていくソラが語る言葉には、すっと惹きつけられていく。
俳句は余白が大きいから、いろいろなことが読み取れる反面、作者のこめた思いを読み取れないことが多々ある。それでいいのだと。それがいいのだと。
「伝わるかもしれないけど、伝わらないかもしれない。それくらいの感触が、ちょうど心地よい」と、ソラはいう。私は、このソラの言葉が心地よい。


状況はまるっきり違うものの、人間関係で苦しんでいたのは、ソラだけではなかった。三人とも、言葉にできない悩みを抱え、重たい気持ちで日々を過ごしていたのだ。
そういうとき、真摯に言葉にむきあおうとする試みが、いったい何を起こしたのか。「伝わるかもしれないけど、伝わらないかもしれない……」という前提(?)のもとに選ばれ、詠われる言葉たちの間には、気持ちの良い風が通い、なにかを浄化していくようなのだ。


俳句は挨拶でもあるという。
だれかが向こうで手を振っている。わたしもこちらから手を振りかえす。
もしもこの出会いの意味をつきつめて考えよう、なんて思ったら、この小さな出会いが重たくなってしまうかもしれないし、逆に軽くなるのかもしれない。
そういうことは、そこに置いておき、「伝わるかもしれないけど、伝わらないかもしれない。それくらいの感触が、ちょうど心地よい」と、まずは思えたらいいなと、今は手を振る。(そこからの話があるかもしれない。ないならそれもよしだね)


タイトルの「そらのことばが降ってくる」、その意味は(言葉に隠された、伝わらないかもしれなかった思いも)一番最後に、知らされる。なんとも気持ちの良い場面だった。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
ぱせり
ぱせり さん本が好き!免許皆伝(書評数:1744 件)

いつまでも読み切れない沢山の本が手の届くところにありますように。
ただたのしみのために本を読める日々でありますように。

読んで楽しい:5票
参考になる:29票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『そらのことばが降ってくる: 保健室の俳句会』のカテゴリ

登録されているカテゴリはありません。

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ